ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権79~国益とは何か

2014-01-19 08:43:18 | 人権
●国益とは何か

 集団の権利が確保されてはじめて、個人の権利が保護され、保障される。集団としての国民の権利は、国民個人の利益に係る権利であるとともに、国民全体の利益に係る権利でもある。このことを抜きにして、人権は論じられない。そこで、次に国益について考察したい。
 国益とは「国家の利益」であり、「国民の利益」である。共同体としての国家の利益であり、そこに所属する国民の利益である。国民は個人としての利益を追求するとともに、国民全体としての自分たちの利益を追求する。前者の利益は私的な利益であり、後者の利益は公的な利益である。公共の利益としての国益を追求することは、国民固有の権利である。政府は国益を追求する権利を持ち、国民は国家の一員として国益の実現を要求する権利がある。国民はまた国益の実現に寄与する義務を負う。国民が相互に義務を果たしつつ、国民全体の利益を追求するところに国益は実現する。
 国益には、政治的・経済的・軍事的・外交的の利益がある。わが国では、国益について政府を主体に考える傾向があるが、国益は national interests の訳語である。国益は state またはgovernment の利益ではなく、nation の利益である。すなわち共同体としての国家の利益であり、国民共同体の利益である。この意味をより明確に表す言葉に、「国利民福」がある。国家の利益と人民の幸福を表す言葉である。national interests としての国益は、政治的・経済的・軍事的・外交的の利益であり、かつ国民の幸福を実現し、増大するものである。
 幸福の追求は、今日多くの国で国民の権利と認められているものである。わが国の憲法も、国民の基本的な権利として、生命及び自由の権利とともに幸福追求の権利を規定している。この幸福追求を、国民個人ではなく、国民全体で追求するところに、国民の幸福の追求がある。国民の幸福の実現は、国民の利益としての国益の実現と一体のものである。
 そこで私は、国益について、国民の幸福の追求という観点を入れる考え方を提唱している。この考え方において、私はマズローの欲求段階論を応用し、これに価値論を組み合わせる。マズローは、人間の欲求は、生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、そして自己実現の欲求の5段階に大別されるとした。国民の幸福は、これらの欲求が満たされるときに実現される。そして、政府の役割は、これらの欲求が満たされるように、国家の統治を行うところにある。
 国民の幸福の実現の条件は、第一に、生理的欲求という最低限の欲求を満たすことである。とりわけ食欲が満たされ、国民が食っていけることが必要である。また性欲が満たされ、国民が家族を構成し、子孫が繁栄できることである。
 第二に、安全の欲求を満たすことである。国民の身の安全が確保されていることである。他国の侵攻に対する国防や、暴力や革命に対する治安維持が、これにあたる。また、生活が保障され、自分の財産が守られ、維持・増加できるよう、社会秩序が維持されていることである。
 一般に政府の役割は国民の生命と財産を守ることだといわれるのは、国民のこうした生存と安全の欲求を満たすことである。生存と安全は、幸福の実現の最低条件である。
 ここで価値の概念を適用すると、価値とは「よい」と思われる性質である。生理的欲求、安全の欲求は、価値の実現を求める欲求であり、生命的価値と文化的価値の実現を求めるものである。文化的価値は、物質的価値と精神的価値に分かれる。生命的価値と物質的価値が、ある程度、実現しているとき、次の幸福の実現の条件となるのが、精神的価値の追及である。所属と愛の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求は、精神的価値の実現を求める欲求である。
 精神的価値の追求は、マズローの段階説においては、まず第三の所属と愛の欲求を満たすことである。人間は、生存と安全が確保された環境では、社会や集団に帰属し、愛で結ばれた他人との一体感を求める欲求が働く。国家に所属することによる安心、集団において何か役割を持っているというやりがいなどがこれに当たる。国民または民族としてのアイデンティティを持つことは、各個人が自己のアイデンティティを保持するために、重要な要素である。国民的・民族的なアイデンティティの混乱や喪失は、個人に深刻な危機をもたらす。アイデンティティという用語を精神医学・心理学にもたらしたのは、エリック・エリクソンだが、彼自身、自己の民族的な出自に悩んだことが、アイデンティティ論のはじまりだった。
 次に第四の承認の欲求を満たすことである。人間には他人から評価され、尊敬されたいという欲求がある。その欲求が満たされるためには、個人の自由や名誉等が得られることが必要である。国際社会において、国民としての誇りを持てることは、これに当たる。国家や民族の固有の伝統・文化・価値を保ち、子孫に教え、受け継ぐことによって、国民としての誇りを保つことができる。国民としての誇りを持てない場合、国民は欲求不満に陥る。欲求不満は、健全な形で解決されないと、自信喪失によって自虐・自滅への傾向に進んだり、自信回復を目指し、独善的・排外的な傾向に進んだりする。
 さらに、高次の条件として、第五の自己実現の欲求が発揮できるようにすることである。それには、国民の個人個人が自己実現をめざすことのできるような環境を維持または創造することが必要である。自己実現の欲求は、まず個人の才能、能力、潜在性などを充分に開発、利用したいという欲求である。さらに、この欲求がより高次になると、自己の本質を知ることや、宇宙の真理を理解したいという欲求となり、人間がなれる可能性のある最高の存在になりたいという願望となる。それは悟り、宇宙との一体感などといったより高い目標に向かっていく。自己実現とは、自己の成ることのできる最高のものを目指そうとする精神的・心霊的な成長の欲求である。
 これらをまとめると、国益とは、生命的・物質的・精神的価値の実現によって、国民の幸福を実現し、増大することである。政府は、こうした重層的・複合的な価値を理解して、国益の実現に努めなければならない。

 次回に続く。


(1)アブラハム・マズローについては、下記の拙稿をご参照下さい。
「人間には自己実現・自己超越の欲求がある~マズローとトランスパーソナル学」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11.htm
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■追記
 本項を含む拙稿「人権ーーその起源と目標」第1部は、下記に掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-1.htm

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