ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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対米依存で専守非核の日本9

2007-01-06 08:14:30 | 国際関係
●田中首相による受動的専守防衛への転換

 話を、日中国交回復の時代に戻す。
 田中首相は当時、ニクソンやキッシンジャーまたは周恩来から、アメリカと中国と結んだ密約について聞かされていたのだろうか。私には、そうは考えられない。田中は、キッシンジャー外交の裏が読めないまま、アメリカの外交に従い、わが国の防衛戦略に重大な変更を行ったのだろうと私は想像する。

 防衛戦略の重大な変更は、日中国交回復の翌月に行われた。昭和47年の10月31日、田中は、衆院本会議で次のように答弁した。
 「専守防衛ないし専守防御というのは、防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行うということでございまして、これはわが国の基本的な方針であり、この考え方を変えるということは全くありません。
 なお戦略守勢も、軍事的な用語としては、この専守防衛と同様の意味のものであります。積極的な意味を持つかのように誤解されないーー専守防衛と同様の意味を持つものでございます」と。

 これが、その後、30年以上、わが国の防衛政策を制約した政策の変更である。田中は、ここで専守防衛を「防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行う」と説明している。

 田中のいう意味での専守防衛は、戦略守勢の概念とは大きく異なる。戦略守勢は、全般的にみれば守勢であるが、戦術的な攻撃を含んでいる。敵から攻撃を受けた場合は、敵基地に反撃するし、明らかに攻撃を受けることが予測される場合は、先制攻撃することも含まれる。
 ところが、田中は、戦略守勢を、田中が上記のように定義した専守防衛と同様の意味のものであるという。これは、戦略守勢の本来の意味を否定し、受身の防御をもって「専守防衛=戦略守勢」だと歪曲したものである。

●防衛の意識も訓練もなき専守防衛の危険性

 柿谷勲夫氏は、田中による国防政策の転換について、「田中首相が意識的に変えたのか、無知によるものか不明であるが、鳩山発言から大きく後退した戦略思想の大転換である」と指摘している。
 田中が意識的に変えたとすれば、自国より他国を有利にする転換である。無知による誤りだったとしても、その政治的責任は大きい。田中は、日中国交回復によって、経済的な利益を求める一方、わが国の防衛を危うくした。私は、国益を大きく損ねた重大な過失だと思う。そして、その背後には、日本の核武装と自主防衛を阻止し、東アジアで日本に発言権を持たせないという、アメリカ・中国の密約があったものと思う。

 専守防衛という政策は、よほど国防をしっかりしないと、国を危うくする。相手が攻めてくるのを防ぐのみでは、相手はこちらが防ぎきれなくなるまで攻め続けるだろう。よほど守備がしっかりしていないと、執拗な攻撃を防ぎきれず、敗北する。スポーツでも武道でも、彼我の力に大差がない限り、防御だけで守り通すことは、できない。
 もし専守防衛という理想を追求するなら、よほど国民の国防意識を高め、共同防衛の義務を徹底し、防備と訓練を怠らないようにしなければならない。私は、永世中立国だったスイスに学ぶべきものが、非常に多いと考えているが、わが国は、スイスに比べ、国民の国防意識が著しく低く、防衛の装備も訓練もされていない。非常事態のマニュアルもない。核シェルターもない。受身一方の専守防衛政策を取りながら、国民をこのような状態に置いてきた政治家の怠慢は、許しがたい。しかし、これもまた、そうした政治家を選び、国政をゆだねてきた国民の責任ではある。

 次回に続く。

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