◆ショーペンハウアー
アルトゥル・ショーペンハウアーは、1819年に31歳で『意志と表象としての世界』を刊行した。本書の成立には、インド哲学の影響がある。ショーペンハウアーは、ヘルダーの弟子でインド学者のフリードリッヒ・マイヤーを通じて、インド哲学を知った。デュペロンのラテン語訳による『ウパニシャッド』等を読み、自分のぶつかっていた哲学上の課題の解決に大きな示唆を得た。
カントは、感性界と叡智界、自然と自由、実在と観念を厳然と区別した。断絶をつなぐもの、根源的なものを探求したものの、その哲学は結論の出ないままに終わった。ショーペンハウアーは、カントの課題を引き継いだ。カントから現象界と叡智界に二分する思想を継承して、世界は表象であるとしつつ、カントの物自体とは意志であるとする独自の説を唱えた。人間だけでなく動植物・無機物も「生きんとする意志」の表れだとし、意志による一元論を打ち出した。インド哲学に示唆を受けたショーペンハウアーは、この衝動的な盲目の意志を否定することで、解脱の境地へと達することができるという思想を説いた。
ショーペンハウアーは、「ヴェーダは、人間の最高の知恵と認識の果実であり、その核心はウパニシャッドの中にある。そしてそれは今世紀最大の贈り物として、ついにわれわれ(西欧人)の手にも届けられるにいたったのである」と書いている。
ショーペンハウアーは、自分の説く意志を、ウパニシャッドを核心とするヴェーダーンダ哲学における最高原理、ブラフマンと同一視した。ショーペンハウアーは、ブラフマンを「誰もの中にあり、生き、苦悩し、解脱を望むもの」と書いている。だが、ブラフマン(梵)は宇宙の根本原理であり、苦悩したり、解脱を望んだりはしない。
ブラフマンは、アートマン(我)という個体的原理と対をなす。ブラフマンとアートマンは同一無差別であると説くのが、梵我一如の思想である。ヴェーダーンダ哲学では、輪廻転生を繰り返している世界から抜け出ることを解脱とし、人生の目的はブラフマンとアートマンとの合一による解脱であると説く。ショーペンハウアーは意志を否定すべき対象としたが、ウパニシャッドにおけるブラフマンは合一すべき対象であって、否定すべき対象ではない。また、ショーペンハウアーは、魂の輪廻転生を認めていないから、解脱の語が意味するところも、ヴェーダーンダ哲学とは異なっている。
ショーペンハウアーは、衝動的な盲目の意志を否定することで解脱の境地へと達することができると説く。その点に関する限り、彼の思想は、ヴェーダーンダ哲学より仏教に近い。ショーペンハウアーは、「私の哲学の結論を真理の標準とするならば、私は他のすべてのものよりも仏教に優位を認めずにはいられない」と述べている。仏教では、無明を原因とする煩悩を説く。ショーペンハウアーの衝動的な盲目的な意志は、煩悩を思わせる。ショーペンハウアーは、当時の諸学者から仏教に関する知識を得て、ウパニシャッドだけでなく仏教からも示唆を受けたと考えられる。だが、彼の時代には、まだ仏教の聖典は欧米の言語に翻訳されておらず、ショーペンハウアーは仏教の教義を詳しく正確に知ることはできなかった。
仏教では、アートマンの存在を認めず、無我説を説く。また、因縁生起すなわち縁起の理法を明らかにする。ショーペンハウアーは、「表象は根拠律に従属する」とし、時間、空間、因果性は根拠律の三つの特殊形態であり、表象を成立させる形式とみなした。だが、因果性については基本的にカントのカテゴリー論を踏襲しており、仏教における縁起の理法を知って、考察するには至っていない。
仏教の代表的な教説の一つである唯識説は、あらゆる存在や事象は心の本体である識の作用によって仮に現れたものに過ぎないとし、阿頼耶識を万物の展開の根源であり、万物発生の種子であると説く。これに対し、ショーペンハウアーは、「客観的世界は単なる脳の現象である」「我々によってア・プリオリに認識された法則は、(略)単に直観並びに悟性の形式から、つまり脳の諸機能から発生する」とし、表象を脳が生み出す現象と考えている。その場合、表象の記憶は残存するか、どこに保持されるかという問題がある。
いずれにしてもショーペンハウアーの哲学は、ヴェーダーンダ哲学と仏教にそれぞれ似てはいるが、どちらとも違う彼独自の意志の形而上学を打ち立てたものである。
西欧でウパニシャッドや大乗仏典の本格的な翻訳が出たのは、ショーペンハウアーの死後のことだった。ショーペンハウアーがインド哲学と仏教を同じようなものと理解していたのは、時代による制約が大きい。
ショーペンハウアーの哲学は、ニーチェやドイッセン等の哲学者、フロイトやユング等の精神分析学者、ワーグナーやトルストイ等の芸術家、アインシュタインやシュレーディンガー等の科学者に重要な影響を与えた。また欧米における東洋思想への関心を高め、また理解を助ける役割をした。
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
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アルトゥル・ショーペンハウアーは、1819年に31歳で『意志と表象としての世界』を刊行した。本書の成立には、インド哲学の影響がある。ショーペンハウアーは、ヘルダーの弟子でインド学者のフリードリッヒ・マイヤーを通じて、インド哲学を知った。デュペロンのラテン語訳による『ウパニシャッド』等を読み、自分のぶつかっていた哲学上の課題の解決に大きな示唆を得た。
カントは、感性界と叡智界、自然と自由、実在と観念を厳然と区別した。断絶をつなぐもの、根源的なものを探求したものの、その哲学は結論の出ないままに終わった。ショーペンハウアーは、カントの課題を引き継いだ。カントから現象界と叡智界に二分する思想を継承して、世界は表象であるとしつつ、カントの物自体とは意志であるとする独自の説を唱えた。人間だけでなく動植物・無機物も「生きんとする意志」の表れだとし、意志による一元論を打ち出した。インド哲学に示唆を受けたショーペンハウアーは、この衝動的な盲目の意志を否定することで、解脱の境地へと達することができるという思想を説いた。
ショーペンハウアーは、「ヴェーダは、人間の最高の知恵と認識の果実であり、その核心はウパニシャッドの中にある。そしてそれは今世紀最大の贈り物として、ついにわれわれ(西欧人)の手にも届けられるにいたったのである」と書いている。
ショーペンハウアーは、自分の説く意志を、ウパニシャッドを核心とするヴェーダーンダ哲学における最高原理、ブラフマンと同一視した。ショーペンハウアーは、ブラフマンを「誰もの中にあり、生き、苦悩し、解脱を望むもの」と書いている。だが、ブラフマン(梵)は宇宙の根本原理であり、苦悩したり、解脱を望んだりはしない。
ブラフマンは、アートマン(我)という個体的原理と対をなす。ブラフマンとアートマンは同一無差別であると説くのが、梵我一如の思想である。ヴェーダーンダ哲学では、輪廻転生を繰り返している世界から抜け出ることを解脱とし、人生の目的はブラフマンとアートマンとの合一による解脱であると説く。ショーペンハウアーは意志を否定すべき対象としたが、ウパニシャッドにおけるブラフマンは合一すべき対象であって、否定すべき対象ではない。また、ショーペンハウアーは、魂の輪廻転生を認めていないから、解脱の語が意味するところも、ヴェーダーンダ哲学とは異なっている。
ショーペンハウアーは、衝動的な盲目の意志を否定することで解脱の境地へと達することができると説く。その点に関する限り、彼の思想は、ヴェーダーンダ哲学より仏教に近い。ショーペンハウアーは、「私の哲学の結論を真理の標準とするならば、私は他のすべてのものよりも仏教に優位を認めずにはいられない」と述べている。仏教では、無明を原因とする煩悩を説く。ショーペンハウアーの衝動的な盲目的な意志は、煩悩を思わせる。ショーペンハウアーは、当時の諸学者から仏教に関する知識を得て、ウパニシャッドだけでなく仏教からも示唆を受けたと考えられる。だが、彼の時代には、まだ仏教の聖典は欧米の言語に翻訳されておらず、ショーペンハウアーは仏教の教義を詳しく正確に知ることはできなかった。
仏教では、アートマンの存在を認めず、無我説を説く。また、因縁生起すなわち縁起の理法を明らかにする。ショーペンハウアーは、「表象は根拠律に従属する」とし、時間、空間、因果性は根拠律の三つの特殊形態であり、表象を成立させる形式とみなした。だが、因果性については基本的にカントのカテゴリー論を踏襲しており、仏教における縁起の理法を知って、考察するには至っていない。
仏教の代表的な教説の一つである唯識説は、あらゆる存在や事象は心の本体である識の作用によって仮に現れたものに過ぎないとし、阿頼耶識を万物の展開の根源であり、万物発生の種子であると説く。これに対し、ショーペンハウアーは、「客観的世界は単なる脳の現象である」「我々によってア・プリオリに認識された法則は、(略)単に直観並びに悟性の形式から、つまり脳の諸機能から発生する」とし、表象を脳が生み出す現象と考えている。その場合、表象の記憶は残存するか、どこに保持されるかという問題がある。
いずれにしてもショーペンハウアーの哲学は、ヴェーダーンダ哲学と仏教にそれぞれ似てはいるが、どちらとも違う彼独自の意志の形而上学を打ち立てたものである。
西欧でウパニシャッドや大乗仏典の本格的な翻訳が出たのは、ショーペンハウアーの死後のことだった。ショーペンハウアーがインド哲学と仏教を同じようなものと理解していたのは、時代による制約が大きい。
ショーペンハウアーの哲学は、ニーチェやドイッセン等の哲学者、フロイトやユング等の精神分析学者、ワーグナーやトルストイ等の芸術家、アインシュタインやシュレーディンガー等の科学者に重要な影響を与えた。また欧米における東洋思想への関心を高め、また理解を助ける役割をした。
次回に続く。
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『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
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