●アジアにおけるキリスト教
次に、アジア及び日本について書く。
アジアは、広大な地域である。西は中東、東は日本、北はシベリア、南はインド洋、大洋州に及ぶ。アジアでは、古代から多くの文明が興亡盛衰してきた。今日は、世界の8つの主要文明のうち5つが存在する。すなわち東方正教会文明、イスラーム文明、インド文明、シナ文明、日本文明である。また、主要文明から文化的刺激を受けて発達した周辺文明もアジアには存在する。ユダヤ文明、イラン文明、チベット文明、インドシナ文明、上座部仏教文明、モンゴル文明、朝鮮文明等である。また、これらの諸文明のうえに西洋文明があり、アジアのおいても他の主要文明と周辺文明に強い影響力を振っている。そして、アジアに存在または関与する主要文明のうち、西洋文明は西方キリスト教を宗教的中核とし、東方正教文明は東方キリスト教を中核とする。
キリスト教は、古代から西アジアをはじめ、中央アジア、東アジアへと伝道がされていた。キリスト教のアジアへの進出で、最も早く記録に留められているのは、ネストリウス派である。キリストの人性と神性を区別するネストリウス派教会は、431年のエフェソス宗教会議で異端と決定された。東シリアを拠点としていたが、東ローマ帝国の迫害を逃れて、5世紀後半からササン朝ペルシャで勢力を拡大した。その後、ゾロアスター教を国教とするペルシャを出て、 広大な地域に布教活動を展開した。布教の経路は、北のクルディスターンからシルクロードを通って中央アジアから東アジアに及ぶ陸路と、アラビア半島からインドに達する海路があった。635年には、唐代の長安に入り、シナでは景教という名で知られる。仏教の浄土信仰に影響を与えたが、その後、消滅した。ネストリウス派が現代にも継承されているのは、アッシリア東方教会、インドのトマス派教会とされる。
ネストリウス派の東進以後、キリスト教が本格的なアジア進出を開始したのは、15世紀末、ヨーロッパが大航海時代に入ったことによるものである。16世紀初め、西方キリスト教で宗教改革が起ると、カトリック教会は対抗宗教改革を行い、アジアへの宣教を拡大した。ヨーロッパ以外での信者の獲得やそれによる富の獲得によって、プロテスタントに対抗する意図があったと見られる。
アジア伝道は、イエズス会がその先頭に立った。イエズス会は、インドにフランシスコ・ザビエルやロベルト・デ・ノビリ、日本にザビエルやルイス・デ・アルメイダ、シナにマテオ・リッチらを派遣して、活発に伝道を行った。
17世紀に入ると、プロテスタントもヨーロッパの外への伝道を始めた。それが活発になったのは、イギリスのバプテストによってであり、インドやシナへの布教が行われた。
この間、ヨーロッパ諸国の中心勢力は、旧教国のスペイン、ポルトガルから新教国のオランダ、イギリスへ移った。キリスト教の諸大陸への進出は、こうした国家の海外進出に乗じたものである。19世紀は、キリスト教の「偉大な宣教の世紀」と呼ばれる。キリスト教は、19世紀を通じて、アジア、アフリカに多くの新しい教会を誕生させた。その宣教は、イギリス、フランス、オランダ、ベルギー、ドイツ、アメリカ等の欧米諸国がアジア、アフリカに植民地を拡大することに伴った活動だった。各国の宣教師は、植民地拡大の先頭に立って活動した。19世紀末には、アジアのほぼ全域にキリスト教が伝わった。
アメリカ合衆国が世界最大の工業国に成長するに従い、各地で活動する宣教師の中で、米国の長老派、バプテスト、メソディストが多くなった。彼ら米国の白人キリスト教徒は、自分たちの信念を広めることを神から与えられた「明白な使命」と信じた。使命感を以て広大な西部を開拓し終えると、太平洋に乗り出してアジア諸国に進出し、キリスト教を伝道した。
キリスト教は、アジア各地で既存の宗教に対抗して、教勢の拡大に努めた。キリスト教の宣教師はアジアで、仏教、イスラーム教のような世界宗教が分布している地域や、ヒンドゥー教、儒教、道教、神道のような地域宗教が文明の宗教的中核となっている国家に出会った。北米・南米のようにシャーマニズム、アニミズム的な部族宗教が併存する社会へ進出するのと、他の世界宗教や地域宗教が広く社会に定着しているところへ進出するのでは、大きな違いがある。アジアの宣教者には、教義論争における説得力、集団間の関係における組織力、国家指導層の許可・受容を獲得するための交渉力等が必要となった。彼らは、アジア各地で積極的な活動を行ったが、他の世界宗教や地域宗教が深く社会に浸透している地域や国家では、少数派にとどまることになった。例外の一つがフィリピンで、近代に入ってキリスト教が進出するまで、世界宗教・地域宗教がほとんど浸透していなかったので、キリスト教が浸透し得たものである。
現代の話になるが、21世紀の今日、アジアにおけるキリスト教は、信者の絶対数では、中華人民共和国、フィリピン、インドの順に多い。中国には、人口の8~10%に当たる1億人から1億3万人のキリスト教徒がいると見られる。フィリピンに約9000万人、インドに約2850万人がいる。国民全体に占めるキリスト教信者の割合では、東ティモール、フィリピン、韓国の順となる。インドネシアから独立した東ティモールはキリスト教徒が人口の99%を占める。次いで、フィリピンは90%以上である。これらの2国は、数少ないアジアのキリスト教国である。韓国は人口の約3割がキリスト教徒であり、諸宗教のうちキリスト教が最も多い。日本には、人口の1%未満、100万人程度の信者がいるに過ぎない。
次回に続く。
次に、アジア及び日本について書く。
アジアは、広大な地域である。西は中東、東は日本、北はシベリア、南はインド洋、大洋州に及ぶ。アジアでは、古代から多くの文明が興亡盛衰してきた。今日は、世界の8つの主要文明のうち5つが存在する。すなわち東方正教会文明、イスラーム文明、インド文明、シナ文明、日本文明である。また、主要文明から文化的刺激を受けて発達した周辺文明もアジアには存在する。ユダヤ文明、イラン文明、チベット文明、インドシナ文明、上座部仏教文明、モンゴル文明、朝鮮文明等である。また、これらの諸文明のうえに西洋文明があり、アジアのおいても他の主要文明と周辺文明に強い影響力を振っている。そして、アジアに存在または関与する主要文明のうち、西洋文明は西方キリスト教を宗教的中核とし、東方正教文明は東方キリスト教を中核とする。
キリスト教は、古代から西アジアをはじめ、中央アジア、東アジアへと伝道がされていた。キリスト教のアジアへの進出で、最も早く記録に留められているのは、ネストリウス派である。キリストの人性と神性を区別するネストリウス派教会は、431年のエフェソス宗教会議で異端と決定された。東シリアを拠点としていたが、東ローマ帝国の迫害を逃れて、5世紀後半からササン朝ペルシャで勢力を拡大した。その後、ゾロアスター教を国教とするペルシャを出て、 広大な地域に布教活動を展開した。布教の経路は、北のクルディスターンからシルクロードを通って中央アジアから東アジアに及ぶ陸路と、アラビア半島からインドに達する海路があった。635年には、唐代の長安に入り、シナでは景教という名で知られる。仏教の浄土信仰に影響を与えたが、その後、消滅した。ネストリウス派が現代にも継承されているのは、アッシリア東方教会、インドのトマス派教会とされる。
ネストリウス派の東進以後、キリスト教が本格的なアジア進出を開始したのは、15世紀末、ヨーロッパが大航海時代に入ったことによるものである。16世紀初め、西方キリスト教で宗教改革が起ると、カトリック教会は対抗宗教改革を行い、アジアへの宣教を拡大した。ヨーロッパ以外での信者の獲得やそれによる富の獲得によって、プロテスタントに対抗する意図があったと見られる。
アジア伝道は、イエズス会がその先頭に立った。イエズス会は、インドにフランシスコ・ザビエルやロベルト・デ・ノビリ、日本にザビエルやルイス・デ・アルメイダ、シナにマテオ・リッチらを派遣して、活発に伝道を行った。
17世紀に入ると、プロテスタントもヨーロッパの外への伝道を始めた。それが活発になったのは、イギリスのバプテストによってであり、インドやシナへの布教が行われた。
この間、ヨーロッパ諸国の中心勢力は、旧教国のスペイン、ポルトガルから新教国のオランダ、イギリスへ移った。キリスト教の諸大陸への進出は、こうした国家の海外進出に乗じたものである。19世紀は、キリスト教の「偉大な宣教の世紀」と呼ばれる。キリスト教は、19世紀を通じて、アジア、アフリカに多くの新しい教会を誕生させた。その宣教は、イギリス、フランス、オランダ、ベルギー、ドイツ、アメリカ等の欧米諸国がアジア、アフリカに植民地を拡大することに伴った活動だった。各国の宣教師は、植民地拡大の先頭に立って活動した。19世紀末には、アジアのほぼ全域にキリスト教が伝わった。
アメリカ合衆国が世界最大の工業国に成長するに従い、各地で活動する宣教師の中で、米国の長老派、バプテスト、メソディストが多くなった。彼ら米国の白人キリスト教徒は、自分たちの信念を広めることを神から与えられた「明白な使命」と信じた。使命感を以て広大な西部を開拓し終えると、太平洋に乗り出してアジア諸国に進出し、キリスト教を伝道した。
キリスト教は、アジア各地で既存の宗教に対抗して、教勢の拡大に努めた。キリスト教の宣教師はアジアで、仏教、イスラーム教のような世界宗教が分布している地域や、ヒンドゥー教、儒教、道教、神道のような地域宗教が文明の宗教的中核となっている国家に出会った。北米・南米のようにシャーマニズム、アニミズム的な部族宗教が併存する社会へ進出するのと、他の世界宗教や地域宗教が広く社会に定着しているところへ進出するのでは、大きな違いがある。アジアの宣教者には、教義論争における説得力、集団間の関係における組織力、国家指導層の許可・受容を獲得するための交渉力等が必要となった。彼らは、アジア各地で積極的な活動を行ったが、他の世界宗教や地域宗教が深く社会に浸透している地域や国家では、少数派にとどまることになった。例外の一つがフィリピンで、近代に入ってキリスト教が進出するまで、世界宗教・地域宗教がほとんど浸透していなかったので、キリスト教が浸透し得たものである。
現代の話になるが、21世紀の今日、アジアにおけるキリスト教は、信者の絶対数では、中華人民共和国、フィリピン、インドの順に多い。中国には、人口の8~10%に当たる1億人から1億3万人のキリスト教徒がいると見られる。フィリピンに約9000万人、インドに約2850万人がいる。国民全体に占めるキリスト教信者の割合では、東ティモール、フィリピン、韓国の順となる。インドネシアから独立した東ティモールはキリスト教徒が人口の99%を占める。次いで、フィリピンは90%以上である。これらの2国は、数少ないアジアのキリスト教国である。韓国は人口の約3割がキリスト教徒であり、諸宗教のうちキリスト教が最も多い。日本には、人口の1%未満、100万人程度の信者がいるに過ぎない。
次回に続く。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます