ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権54~権力による支配と保護

2013-07-21 09:24:04 | 人権
●権力による支配と保護

 権力の要素として権威を挙げ、支配と権威、権威を生み出し権力に基盤を与えるものについて書いた。権力論では、実力及び権威による支配を述べる議論が多い。だが、権力は支配する力というだけでなく、保護する力でもある。
 人間は、集団で生活を営む社会的動物である。集団生活を行わなければ、生存・繁栄できない。集団生活には秩序が必要である。秩序を形成し維持するためには、集団の成員の意思を合成しなければならない。意思の合成を通じて、成員は互いの力を合わせて生活することができる。集団の力は、社会的な力である。社会的な力は、集団内で、成員を支配する力として働くことも、保護する力として働くこともできる。他の集団に対しても、同様である。社会的な力を表す言葉が権力であり、権力の働きもまた支配的にも保護的にもなり得る。
 家族において、親が子に、夫が妻に、兄姉が弟妹に、祖父母が孫に対して、また社会において、年長者が年少者に、知識・経験の豊かな者が知識・経験の乏しい者に、能力の優れた者が能力の劣った者に対して、保護や支援、指導や教育をする。集団には成員に年齢の違いがあり、人間は世代交代をしながら生命を維持・継承していく。それゆえ、優位の者が劣位の者を保護・支援・指導・教育するのは、集団生活に不可欠な行為である。保護・支援・指導・教育される者は、自らの成長と集団の世代交代の進行の中で、やがて保護・支援・指導・教育する者となる。生命と知識と経験は、世代間的に継承されていく。 生命は身体を以て生きる能力であり、知識・経験はよりよく生きるための能力である。そうした能力を社会的に結集すれば、それだけ大きな力となる。その社会的な力を、権力と呼んでいる。それゆえ、権力は本来、協同的なものであり、保護・支援・指導・教育する力であり、権力関係は保護―受援の関係である。その関係が対立的闘争的に変化したところに、支配―服従の関係が生じ、権力の闘争的な側面が発達する。
 人権について、多くの論者は、権力は人権を抑圧したり規制したりするという点を強調し、人権は権力との戦いによって得られたものであり、権力と戦うことによって人権は実現されると説く。これは、人権の発達において重要な側面だが、それだけでは一面的である。権利の相互作用を力の観念でとらえたものが権力であり、権利に闘争性と共同性があるように、権力にも闘争性と共同性がある。個人だけでなく集団も行為の主体である。行為は意思の遂行である。集団は諸個人の意思を合成し、合成意思の遂行によって行為をする。その際に発揮される組織の能力が権力である。こうした権力は、集団の成員に権利を付与したり、その権利を保護したり、拡大したりする。人権の考察は、こうした権力の両面性を踏まえたものでなければならない。
 一面において、人権は人民が権力に抵抗し、権利を獲得し、また権利を拡大してきたものである。その際の権力は、自由と権利を抑圧・規制する力である。だが、他面において、人権は権力によって実現され、保障されてきたものでもある。その際の権力は、自由と権利を保護・拡大する力である。こうした権力の機能の違いは、社会関係のあり方による。社会関係が対立的抗争的であるか協調的協力的であるかによって、その社会の生み出す権力の機能が、支配的となるか保護的となるかが決まる。独裁者や特権集団が集団を支配していたり、集団が敵対的な階級に分裂していたりする場合、権力は、ある対象には支配的だが、別の対象には保護的というように作用する。特に権力を行使する指導者の存在が重要である。

●指導者の権力と権威

 集団の成員の力を結集するには、集団を統率し、指導する人間が必要である。その人間は集団の意思を代表し、その力を行使する。この集団における中心的な人間が、指導者である。
 家族における指導者は、家長である。氏族・部族では族長、組合・団体・社団では代表である。これらをまとめて首長と呼ぶ。首長は集団の成員を統率・指導し、共同生活の目的を実現する権利を持つ。この権利を首長権と呼ぶ。首長は、首長権を用い、その集団における決まりごとに基づいて、判断し指示を行う。成員にはそれに従う義務が課せられる。首長は、決まりごとに従わない成員に対して、これを順守するよう指導する。その意思に従わぬ者に対しては、強制を行う。強制は、命令として発せられる。怒りを伴ったり、脅しが用いられる場合がある。強制力の発揮は、物理的な実力の行使を最終手段とする。こうした集団の首長が発動する強制力が、権力として表象されることが多い。
 だが、強制力は権力の機能の一部であって、権力は集団の意思の合成によって結集された力の総体である。首長は集団を代表して、その力を用いることで、成員の保護・支援・指導・教育を行う。権力は、主にこうした指導者の権利の作用を、力の観念でとらえたものでもある。権力を行使する指導者は、権力者ともいわれる。
 先に権力の要素として権威を挙げたが、首長は通常、その立場に伴う伝統的権威、個人的なカリスマ的権威、制度的な合法的権威のいずれかを持つ。首長の持つ権威は、成員を信服させるものであり、首長の判断や指示は、成員に権威をもって受容される。首長及びその支持者は、非合理的な感情に働きかける手段と合理的な知性に働きかける手段を用いて、権威を人々の心に作り出し、権力への讃嘆と忠誠を引き出し、権力に信服させようとする。権威を持たない、または権威を失った指導者が権力を行使する場合、成員の中にその意思に反発したり、対抗したりする者が現れる。
 権力の働きは、指導者が権力を公的な利益のために使用するか、私的な利益のために使用するかによっても違うものになる。集団の合力としての権力は、指導者がどのように使うかによって、支配的とも保護的ともなる。そして、権威を持たないか権威を失った指導者が、権力を私的に行使する場合、反発や対抗はより大きなものとなる。

 次回に続く。