ほそかわ・かずひこの BLOG

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憲法:天皇は「元首」と規定すべき~大原康男氏

2013-07-04 09:28:01 | 憲法
 現行憲法において、天皇は、日本国の象徴及び日本国民統合の象徴であると規定されている。天皇を象徴とする規定は、国民の間に定着しており、今後制定すべき日本人自身の手による憲法においても、この規定は維持すべきである。
 課題は、日本国の元首をどうするかである。元首は、対外的に国家を代表する存在である。欧州の多くの君主国の憲法では、国王は単なる象徴ではなく、元首であることが明記されている。明治憲法では、第4条に「天皇ハ國ノ元首」と明記されていた。昭和憲法では、元首の地位については、はっきりしていない。新憲法では、この点を明確にする必要がある。
 天皇は日本国の象徴であり、日本国を対外的に代表して、外交上の国事行為を多く行っている。昭和憲法には天皇を元首とする規定はないが、天皇をわが国の元首とするのは政府の公式見解であり、また最も有力な学説である。政府の見解は、わが国を立憲君主国としている。天皇が諸外国をご訪問される場合、訪問国で礼砲の数等、元首としての儀礼を受けている。それゆえ、憲法に天皇を元首と明記することは、実態を表すものとなる。
 天皇を元首と規定しても、それは天皇が政治にかかわることにはならない。天皇の国事に関するすべての行為は、内閣の助言と承認を必要とし、その行為の責任は、内閣が負うからである。それゆえ、新憲法には、天皇を元首と規定すべきである。
 国学院大学教授の大原康男氏は、「これまでの政府見解は、天皇は対外的には「元首」であるとしてきたものの、国内法上の地位については明言を避けてきたため、いまだに決着がついていない」と述べたうえで、氏が起草委員を務めた産経新聞社の「国民の憲法」の規定を紹介している。同憲法案では、第1条で「日本国は、天皇を国の永続性および国民統合の象徴とする立憲君主国である」とし、第2条で「天皇は、日本国の元首であり、国を代表する」と規定している。優れた案の一つだと思う。
 以下は、大原氏の記事。

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●産経新聞 平成25年6月7日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130607/imp13060703040001-n1.htm
【正論】
国学院大学名誉教授・大原康男 「象徴」では曖昧な天皇の地位
2013.6.7 03:03

 皇太子殿下が平成5年に雅子妃と結婚されてこの9日で20年になる。まことにおめでたいことで、心からお祝い申し上げたい。いずれの日か皇位につかれ、第126代の天皇として国民に臨まれることになるが、ますますのご健勝を改めてお祈りする次第である。

≪広範な意味持つ「シンボル」≫
 周知のように、日本国憲法は、首章に8カ条にわたって「天皇」の条項を設けていて、第1条で、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という基本的な地位が定められている。だが、その正確な法意を認識している人がどれだけいるのか、今でもしばしば論議されることがある。
 施行以来、明治憲法の58年を超えて66年にも達しているというのに、こうした言及がなされるのは、「象徴」という語が公布の当初から法の用語としてなじみにくいとされていたからであろう。
 確かに、手元の辞典をひもといてみると、「象徴」は「形を持たない事物・思想・情調などの観念内容を示す記号で、それ自身でも独立した意味と存在を持つ感性的な形象または心象」とある。
 明治の啓蒙思想家・中江兆民が『維氏(ヴェロン)美学』(明治16年)を翻訳した際、フランス語のsymbole(英語形がsymbol)に当てた語が、ルーツとされる。文学や宗教・美術などの分野ではしばしばお目にかかるものの、法学には縁が薄く、これまでも立法例がごく限られていた。それゆえ、天皇の地位を表す言葉として、すぐには一般に溶け込みにくい概念であったことは否めない。
 しかし、時間の経過とともに、「象徴」は漸次、国民の間に浸透していき、今日ではほとんど違和感なく受け止められている。各種世論調査でも、「象徴天皇制」への支持は常に90%前後ある。
 にもかかわらず、これまで私がいつも気になっていたのは、「象徴」という語を認知する圧倒的多数の国民が、その言葉によって、どのような天皇像を具体的にいだいているのかという点だ。

≪国の内と外で違う位置づけ≫
 憲法制定議会では、天皇をいわゆる“憧れの中心”とする、いささかメルヘンチックな説明がなされた。その後、「象徴」には、単に“シルシ”といった静態的概念にとどまらず、結合、合一のような動態的意味が含まれているとの理解が有力になってきた。「象徴天皇」は、国家という共同体を構成するさまざまな分子の精神を、ある一点に集中・収斂(しゅうれん)させ、歴史的連続性の共有意識や、対外的・文化的連帯感を育成・強化させるように期待されているとする、積極的・能動的な解釈である。
 そこから、施行以来、極めて制限的に解釈されてきた憲法の「国事行為」を補うものとして、象徴たる地位に基づく「公的行為」という新たな範疇(はんちゅう)が生み出された。
 例えば、「全国戦没者追悼式」や「植樹祭」など国家的行事・儀式へのご臨席や、国民との交流を深める全国ご巡幸、さらには現実政治を超えたところで行われる国際親善活動、いわゆる“皇室外交”(宮内庁は「外国交際」と称している)などがよく知られている。これらは、その必要に応じて解釈・運用上案出されたものだけに、「国事行為」との関係で整合性に欠けるところが少なくない。
 もう一つ、「象徴」は、明治憲法では明記されていた国家の「元首」としての地位を含んでいるのか、というこれまで何度も繰り返されてきた問題がある。
 これは、「元首」の定義によって分かれる議論である。これまでの政府見解は、天皇は対外的には「元首」であるとしてきたものの、国内法上の地位については明言を避けてきたため、いまだに決着がついていない。これは天皇が「君主」であるか否かという議論とも重なる。

≪元首と定めた「国民の憲法」≫
 産経新聞が発表した「国民の憲法」要綱は、前述した2点を中心に、現憲法では曖昧さが多分にある天皇の地位を明確に規定している。まず、第1条で「日本国は、天皇を国の永続性および国民統合の象徴とする立憲君主国である」と宣明してわが国の「国体」を明らかにし、続いて第2条で「天皇は、日本国の元首であり、国を代表する」との基本規定を置いた。皇位の継承に関しては、「世襲」という議論を招く表現を避け「男系」である旨を明記している。
 天皇の行為については、従来、統合性を欠き気味であった「国事行為」を整理し、不足しているもの(元号の制定など)は追加するとともに、象徴としての「公的行為」(皇室祭祀(さいし)など)を明文化し、「象徴」たる天皇の国民統合の機能が過不足なく全うされるように工夫をこらしている。
 また、皇室がこれまで全く関わることができなかった、皇室典範の改正も、事前に皇室会議(皇族お二方が議員)の議を経ることとし、占領期の過渡的な施策にすぎない、皇室の財産享有権能を厳しく制約していた規定も緩和した。こうした現行の“非民主的”な条項を大幅に改めたのも、特筆すべき点であろう。(おおはら やすお)
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