春、一瞬、棚田に美しい幾何学模様が現れる。
「家業を譲る」今でいう、経営移譲は農家でも昔から行われていた。
長男が所帯を持ち、子供も設けた、ほどよい時期に、一家の長たる親父から、通帳と印鑑を渡され「今日からお前が・・・・」と、長男はこの日のために頑張ったからと、感激も束の間。
肝心の通帳、内容がしっかりしていればいいが、戦後の農家は、とかく農協と付き合いが良くなり、お金を借りては農機具を買ったり、おりから、茅葺きの家の新、改築がはやった頃、おまけに招待旅行目当ての共済(生命保険)加入で掛金もテンコ盛り。
長男は財産を引き継いだことで、弟や妹の結婚や独立の援助も同時に引き受けたことになり、加えて、一家の長として、集落の役員やら親戚との付き合いが一気に肩にのしかかる。
中身の薄い通帳と共に、大きな負担となり、結局は農作業のない冬の間は、出稼ぎして現金収入を図る。
それでも昭和40年頃までは良かった。
その頃までは、土地や財産を譲られた長男は、まだ羨ましがられたが、次第に経済成長とかで、地方にも企業が次々と進出し、農家を守る長男以外の二、三男は身近に職場が出来て確実な収入の途が拓けた。
多分、その頃からだろう「家業を譲る」、「経営移譲」は、長男にもあまり歓迎されなくなった。
嫁さんは、嫁さんで 「・・・・・だから農家の長男の嫁は・・・・」と言い出す。
親父は無理して、ピカピカのトラクターを餌にして長男を後継に、釣ろうとする。
それも効果が薄くなり、長男もサラリーマンの道を選び、やがては後継どころか、町場に新しい家を建てて、別居する農家の長男もポツポツ。
その内に、土地の値段も下がり、農地も財産的な魅力はなくなり、米の値段も下がり、次第に年寄りが頑張ることになり、経営移譲お断りの長男が土、日曜に親父の手伝いをする程度。
昨今はサラリーマンを退職した農家も多くなり、専業農家のお年寄りもそれなりの年金があるのが救い。
若夫婦が、懸命に働き、集落や親戚の付き合いをしながら兄弟を援助し、妻子との家庭を築くというパターンの崩壊は、昭和40年代、米余りの生産調整の頃から同時進行したと感じる。
僅かに70年余の農家生活、変わりに変わったものである。
やる気のある、若手農家はこれからが、大きなチャンス、面白い事もいっぱい、サラリーマンを続けながら楽しむ農業も結構。
そんな訳で、我が家も家業は譲っていない。
もっとも、息子も家業を譲られるという意識もない。
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