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年末に地元の図書館から借りていた本と音楽CDを返却してきた。本が4冊、CDは3枚である。いつものことだが、一度に何冊借りてきても、一冊読めるかどうかで他の本は、ざっと頁をひっくり返しただけで、そのまま返してしまう場合が多いのである。わかっていながらいつも欲張って借りてきてしまう。今回も、まともに読んだのは「富永太郎詩集」(思潮社)の一冊だけだった。富永は24歳で夭折した詩人だから生前に残された作品もほんのわずかである。薄い詩集がそのまま彼の全集というべきもので日記や書簡なども残されたものは、ほとんどこの中に所収されているらしい。
返却日が近づいて、あわてて読み始めた一冊があった。河上肇の「自叙伝(上)」(岩波書店)である。これは面白そうで続けて読もうと思い期間延長を申し出て再度借りなおしてきた。河上肇は明治末期から昭和の始めにかけて活躍したマルクス主義経済学者だったが、ご多分にもれず治安維持法にひっかかり投獄された。獄中5年。いわゆる転向して出獄してきたときは齢60近かった。
転向とは権力に屈服したことであり、自他共に褒められた話ではない。以後、河上は故郷に帰り、戦争が終わるまでもっぱら当の自伝執筆に没頭していた。ふたたび共産党の活動に戻りたいと折々もらしていたこともあったらしいが、戦争が終わってまもなく亡くなった。河上肇の場合、転向する経緯がとても独特だった。思想を捨てろと迫る官憲との対決もムキになって抵抗する若い革命家の面影はない。たとえば小林多喜二などは最後の晩に「日本共産党万歳」と何度も叫んでいたというし宮本顕治の場合は何を聞かれても黙秘を通した。
河上肇の場合は、いささか様子が違っていたようだ。どんな場面にいたっても無益な意地を通したり「革命的」大言壮語をわめくような気配はまったくない。のらりくらりと言い逃れて官憲を煙にまき妥協するところは妥協して結局、牢から出てきてしまったように思われる。白か黒かと即断できないまま、ついつい年月を重ねてしまうというのも人生の実際だろう。紆余曲折に満ちた心理的経緯こそ自叙伝の核心である。河上は自分について、謙遜しぼやくことおびただしい。これが隠し味となって彼の思想と文章に深みをあたえ、ひょうひょうとして老成を遂げた人柄に隠された学問への情熱と、昔ながらの人情こそが偲ばれる。
・中学校でも高等学校でも大学でも、私は嘗て首席をしめたことのない人間である
・私はもちろん駿馬というには縁遠い人間である
・鈍根である私の身にとって、いかにも相応しいものに思われる
・なるほど私はむらの多い人間であろう
等々とうとう、人間的弱さを自覚した、その正直さから見えてくる彼の魅力は尽きることはない。
<2007.01.18 記>
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