図書館から借りてきた漫画を読んだ。なかなか面白かった。
「曽野綾子大批判」 kアンドkプレス 著者:佐高信・山崎行太郎 2014年刊
当漫画本に出てくるお二人が予想通りの漫画に出てくる馬鹿かアホかの典型的御仁であったので大笑いしながら読了した。読了感想を、かいつまんで申せば、著者たるご両人ともどもに、いかに自分が知識人の一員であるかと互いに吹聴しあい、承認しあっているだけのこと。互いが互いの小ざかしさを誇りつつ褒めあいながら、ああでもないこうでもないと不平不満をぶちまけている。
いかにも矮小な初老男が二人、テーブルを挟んで傷をなめあっている。二匹の老いたるブタが角突合せ口角泡を飛ばして戦後イデオロギーの残飯あさりをしている。これが笑わずにおられるだろうか。漫画なのであり、それ以上でも以下でもない。
ただし、巻末に20頁ほど載せられていた、江藤淳と佐高信の対談は、当漫画本の中で、唯一文学らしい趣きがあった。副題に「闘う批評とはなにか・・・文学と憲法のはざまで」(1993年)とある。この副題に含まれたのっぴきならない意味内容は、25年前はかけだしだった佐高とかいう薄っぺらの鼻ったれジャーナリストには何の関係もない。日本国憲法に内在されている大いなる矛盾と現代文学の錯誤を憂慮していたのは最後の文人たる江藤淳の根っからの主題だったのである。
江藤淳は侍だった。すくなくとも武士たらんと矜持した。そして彼は、ご多聞にもれず孤立した。比して佐高なにがしの思想と主張は今にいたってなお毀誉褒貶のポピュリズムに明け暮れているドン百姓のそれでしかない。
上の写真の二冊は昨年度拙者が読んだ数ある文学書の中でも忘れられない図書である。悪いことは言わないイデオロギーに脳がやられた百姓連中の君たちも、ここはだまされたと思って読んでみたまえ。現代政治に混濁させれられている諸君の小さな脳内喧騒も多少は整理がつくに違いない。
おい、今井。いい年をして、漫画ばっかり読んでいるんじゃあるまい。 たまには本を読め、本を。
左 「江藤淳の言い分」 斉藤禎著 書籍工房早川 2015.05.02刊
右 「沖縄戦「集団自決の真実」 曽野綾子著 (株)ワック 2014.08.14刊
120万円。今日は嬉しいことに株価が下がったから明日は買い注文を出しておかねばねば納豆よ。
なんてたって配当金はうはうはだよね~ん。
らんらんらん~♪
ばかなフルつぁんは、しょっちゅうラーメンと餃子を散歩先で食べているそうな。こったら中華まみれの食生活ではせっかくの散歩も効果を発揮しないだべし。血液どろどろで心臓が止まる。だっから、あのね。フルつぁん。フルつぁんも、たまには、野菜を食えっつーの。もっフルつぁんには、みかんも大根も送ってやらねぇよっと。