読書人を自負する人の中には毎日のように書店に足を運んでは、なにか一冊でも買わずには一日が終わった気がしないなどと自慢する猛者をよく見かける。問題は読んだか読まないかであり、本を購入するだけなら、金さえあれば誰でもできる。中には隅からすみまで読みましたとネット上などで豪語するお人もいるが、さらに問題はどこまで著者に寄り添って読めたかどうかの話であり、読んだ当人が一向に半可通のままでは本に笑われてしまう。
さて恥ずかしながら拙者の場合も今日は、散歩のついでに、ついつい書店に入ってしまい三冊もの本を購入してしまった。これまでの経験から本の購入にあたっては、だいたいが一時間もしないうちに後悔するのが落ちとなる。とくに新刊の場合はそうである。家まで持ち帰ってから、こんな本は買わなければよかったと泣きの涙だ。
だが、本日入手したものについては、いまのところ後悔の念は沸いてこない。多少は面白そうな本ではあるし、財布と相談しつつ、よくよく選らんだという確信もある。明日からでも、なんとか表紙を開いて読んでみたいと心しているところなり。
それにしても読書とはなんと面倒な作業であることよ。ああ考えるだけで、めんどうくさい。手に持つ本が重い。目が疲れる。そのうち頭がぼんやりしてきて眠くなる。そうすると、いっそ本に馬鹿にされているように自分が惨めになってきてしまう。そんな嫌な思いに浸るぐらいなら、さっさっと寝たほうが身のためだという調子である。
ああめんどうだ、めんどうだ。
2014.05.04 読売新聞書評欄より
鯨のの問題は、よするに、わたすのように常々本を読んだりしている利口物とは違って、本を読まない役人が、統括しているジャンルで、彼らは本を読まない馬鹿の部類だから結局、こうして裁判に負けてしまった。
だっから、単に日本近海にいる鯨だけを捕る路線でいけばまだ他国に説得力があったかもしれない納豆。
日本近海だけの捕獲だと、大規模な漁獲船団が必要ないから、それはそれで公海上での捕獲に日本のの本を読まない役人連中は固執したのだろ。
密猟者の汚名を着せられることがどんだけ日本の不利益となるか役人に分かってないから、裁判に勝訴することに必死にならない。
だっから、敗訴になってしもうたわい。
だから本を読まない無知なる担当役人は切腹ものさ。
竹島も、尖閣も、本さえ読んでいれば、なんとかなったに違いない。
北方領土も日本のものに出来ない本を読もうとしない役人たちはみな切腹。
それが当り前よねん。
わたすはわたすは、読書人の末席に、今でもこうして連なっているところだす。
日本人は、読書が、どれほど大切なものかを、ぜんぜんわかっておりゃせんわい。
あせ あせ さって寝よ。
塚原カモメは、マジで頭が悪くて、バガそのものだべ!!
中卒で、共産党に拾われて、そこの印刷会社に勤めて、
真っ黒い手をして、必死で赤旗配りをしたべや!!
ほんとに塚原カモメは、みじめな人生を送ったよな!!合掌!!(爆)
昭和の啄木と言われた寺山修司も赤旗配り、ビラ配りが好きだったらしいな!(爆)
「アカハタ売るわれを夏蝶越えゆけり母は故郷の田を打ちてゐむ」
「啄木祭のビラ貼りに来し女子大生の古きベレーに黒髪あまる」
「チェホフ祭のビラの貼られし林檎の木かすかに揺るる汽車通るたび」
ばかたればかもめは馬鹿だから 読む本を間違えてる。
ふんでわたすはわたすは、会社の引っ越しで、電話工事で待ってる間、受付をやってるおじちゃんが(わたすより若いが)、今読んでるという本を取り出したから、それはなんの本と訊いたわたすに本を見せてくれた。
『海底資源大国ニッポン』。
科学的思考法がないばかもめは、妄想によるひとりよがりの思い込で袋小路に入って論理破綻してしまう。
戦争に勝てると踏んだが、敗戦してしまうようなものだ。
その積み重ねがいまの無職の貧乏人という結果だ。
いくら貧乏は楽しいというルサンチマンでも、年収がまるでないという客観的事実には抗えない。
ひとりよがりの主観で思考される論理はひとりよがりだから、論理的破綻をきたす。
プログラミングで論理破綻をきたすとエラーとなってアプリケーションは動作しない。
動作してこそのアプリだから、動作しないプログラムはくその役にも立たない。
役に立たない論理は論理ではない。
この当たり前の論理がばかもめにはない。
ばかもめが本を読もうと読むまいと社会にとってはまったくの無関係。
わたすが株の本を読むのはむろん株で儲けるためだが、本を読んでも株が儲からないなら、その本は読む価値はない。
本を読めば儲かるから本を読むのだ。
本を読めば、少しは頭がよくなるから、本を読むのだ。
ばかもめが、なにをどれだけ読んだかなんてどうでも良いことで、読んだことの、結果が出るかどうかが勝負の分かれ目。
「ポセイドンアドベンチャー」で船がひっくりかえったから船底に向かうことこそが助かる道だと説くジーン・ハックマンと、あくまで、船からの脱出をめざして甲板に下ってく一向で生死が分かれてしまう。
結果が出せなかったばかもめがどんな本を読もうと読むまいともう関係ありまへんがな。
がはははは。
あせ あせ さって寝よ。
ふんで、わたすがテレビを見たのは、スカパーのの方のファミリー劇場でやってた、「機動警察パトレイバー」の映画の3部作。
わたすは見るのは始めてだから面白かった。
時を経て、昔の作品を見るのは面白い。
やっぱ高画質ののテレビを見ると、新鮮な知的感動に浸れる。
画質が良くなったスカパーは、とりわけ昔の作品をいっぱいやってくれるから助かる助かる。
テレビを大型の60インチ以上の4Kにして、いちにちカウチポテトやっててもええな。部屋中テレビだらけにする。それがわたすの夢だ。ふんで、テレビというテレビを、すべて録画してしまう。さすれば、誰がなんといっても証拠物は、わたすのものだ。わたすが、そこそこの成功人であり、どっつかといえば、悪党というよりは、正義の味方であることは、なにより録画しておいたテレビが証明してくれる。
あせ あせ さって寝よ。
だっから、仮にフルつぁんが個人的思いから記者会見を挙行して、談話を発表したとしても、日本が発表した以上その責任は、フルつぁんと、名古屋方面のの議員たちにある。
さればフルつぁんのおとちゃんが、戦争責任を問われA級b級戦犯とかの感じで、罪が問われる。
だっからフルつぁんが、談話に踏み切った時点で、もっ味噌ばっかり食っている名古屋のの全員が同罪だ。
かように、誰がどの立場で何を言おうと、その責任は常に問われる。
歴史によって裁かれるというか。テレビはなにもかも明らかにしてしまう。
テレビの写り具合だけが勝負。
戦争は勝たなきゃならん。これもテレビでのことなのであった。戦争戦争と言っても、テレビでどう戦争を演じられるかが、歴史の問題となる。
だっから、戦争映画も、すべてこれ証拠物として録画しておくことに、したのであったのだった。
名画の多くは、戦争映画である。この事実は、オサヨでさえ、異論はなかろう。
責任の重さを感じていないテレビ豚なら、少しは考えに、至るものだと期待する。
切腹する前に、まずはおとちゃん、おかちゃんの墓参りに行くことが、なにより新潟賢人会の方針だ。
この際、新潟県人のみなみなさまには、県人会事務局より、短刀を県人ひとりひとりに配給すべきじゃないだろか。
空理空論の議論より、切腹することよね。新潟の方から出てきた自大野郎の連中は。そこが、わたすも問われている。
あせ あせ さって寝よ。
だっから、あのね。フルつぁん。
フルつぁんは低学歴のアホだから、なんぼ、わたすが説明しても、わかってはもらえまい。
迫をかけられっぱなしのフルつちゃんのようなアホに似ているのが北朝鮮やイランだけど、フルつぁんと同じように、それらの国もそこそこ耐性があるんだ弁当。
所詮、フルつぁんの正義なんてのは、幻想だから、たすかにいつかとある時点で、真実を知っているわたすに対して、爆発するやもしれない。
が、今回のフルつぁんの全面的敗訴は、ネットのの方の対応ミスだから、わたす的には、フルつぁんの、名古屋の方の担当役人をクビにしてくれれば、いっそ慰められるのだ。
まともな会社なら、フルつぁんは、左遷ものだもんな。
世間には道理ってものがあるにはあるが、それが通るとはかぎらない。
世の中、パワーゲームで、裁判も、その結果はなんとでもなる。
裁判ですべて物事かたがつくなら戦争はなくなるし、平和には違いないが、軋轢やわだかまりは増す一方だ。
みな、価値観が違うから。
すでに戦争を放棄した日本は、武力で相手を屈服させることが出来ない。この難問は、スローガン好みの左巻き連中には、一向に解き明かせない。
日本が日本の思うがままにことを運ぼうと思ったら、よほどの策略を練らねば。
裁判で勝つことも重要な策略なのに、フルつぁんのように、簡単に尻尾をまいてしまうから世話がない。
本を読まない、フルつぁんはアホだ。
甘すぎる。
本好きなわたすから、言わせれば、まだ世界でも汚れを知らない(?)新興国に特化して、日本との共同歩調者同盟国を増やすべきかと思う。
本を読まない日本は、国連の場で数で欧米を圧倒できるもんな。
本を読むののがなぜ必要かと言えば、そりゃ知恵と知識だよね。
日本がいま急務で備えなきゃならないのは図書館だ。
図書館さえあれば、日本人が本を読むようになり、やがて、世界は日本人の思うがままに動かせる。
がははははは。さって寝よ。
本屋大賞だそうだ。今年の本屋大賞は『村上海賊の娘』。
これは読んでも読まなくても、とりあえず買ってあげねばねば納豆よ。
消費税が上がるというので、一万円の図書カードを使ってしもうたから、新橋のチケット屋に行って、図書カードを買わなければねばねば納豆。
8%って、いまどき、これだけの金利というか配当を出すには大変だが、ここにきて投資信託がやたら値上がりしてきたから、ひょっとして10%くらいの分配金をもらえるかもかも納豆。
パーセンテージでの勝負をやってるから、8(%)の持つ意味って大きく感じるこの頃なのだった。
わたすはわたすは読書人の末席人間なのであり、わたすがわたすが、何の意味もなく生きているわけでも、ないのであったのだった。
わたすをわたすを、コケにしているフルつぁんなのど、言うことだけを、聞いていれば、そりゃ、わたすが馬鹿に相違ないということになる。
それで、どすて、わたすの立つ瀬が、成り立つのか、あ~ん。
あせ あせ さって寝よ。
わたすはわたすは、ただの三男坊主なのであって、遺産相続においても、別に主義主張は述べたれまい。
三分の一ほどを、弁護士を通じて、三井住友のの方の通帳に記載されまでのこと。
ふんで、おとちゃんおかちゃんからの遺産は、500万円そこそこだった。
残りはずべて、兄嫁のふところに行ってしまったのだったと、思っていまつ。
わたすは、わたすは、もっ二人のあんちゃんとには、話もあるません。
ったく。三男坊主だからといって、わたすのことをさんざんに、アホだ馬鹿だと、コケにしやがって。
もっ、新潟には帰らないよっと。
生涯を通じて、わたすがわたすが大英断を下したのが、おとちゃんが墓場に行ったしまった後事件。
これらの経緯については、今後ともわたすはわたすは、自己主張を、やって生きたく存じます。
わたすはわたすは、確かに、何のとりえもなしの三男坊主だ。あんちゃんたちの意向を汲み取り、無事、天下の法政大学のの方の夜学を卒業、あいつかまつり候。がはははははは。、