赤いハンカチ

てぇへんだ てぇへんだ この秋はスズメがいねぇトンボもいねぇ・・・何か変だよ

●左様ならばまた明日

2020年11月16日 | ■文芸的なあまりに文芸的な弁証法

 

<以下、昔の記事より 2008.07.23 記>

 

サヨナラダケガ人生ダ・・・井伏鱒二

わたしの知っている一般向きの挨拶の言葉は四つしかない。おはよう、こんにちは、こんばんは、そして「さようなら」である。四つのうちの前の三つは、毎日何度となく抵抗無しに使うことができているのだが、このうち「さようなら」と人に面と向かって言う機会が、ほとんどなくなっていることに気がついた。自分では、嫌いな言葉ではなく、むしろその音律も、またその言葉から湧き上がる情緒も大好きなはずなのに、なぜか「さようなら」とは、言いづらくて仕方ない。なぜ、そんなふうに思ってしまうのか。まさか公的に禁句になったというわけでもないだろうに、わたしも使わなくなって、久しい感じがするのである。どことなく少女趣味のようでもあり、いわゆる女言葉と言い切っては語弊があるだろうが、おセンチで、自分の柄にはそぐわない気もしないではない。綺麗すぎる言葉のような感じもする。それはともかく、私のまわりからは、すっかり消え去って、一向に耳にすることもなくなってきた。どのような風潮が、この美しい挨拶言葉を日本人から取り上げてしまったのか。不審なこともあるものだ。いまや、「さようなら」は死語となったのか。

 
  さよならと言ったら
  黙ってうつむいてたお下げ髪
 
  さよならと言ったら
  こだまがさようならと呼んでいた

  さよならと言ったら
  涙の瞳でじっと見つめてた

<ラジオ歌謡「白い花の咲く頃」より>




ありがとう・さようなら ともだち
ひとつずつの笑顔 はずむ声
夏の日ざしにも 冬の空の下でも
みんなまぶしく 輝いていた
ありがとう・さようなら ともだち

ありがとう・さようなら 教室
走るように過ぎた 楽しい日
思い出の傷(きず)が 残るあの机に
だれが今度は すわるんだろう
ありがとう・さようなら 教室

ありがとう・さようなら 先生
しかられたことさえ あたたかい
新しい風に 夢の翼(つばさ)ひろげて
ひとりひとりが 飛びたつ時
ありがとう・さようなら 先生

ありがとう・さようなら みんな みんな
ありがとう・さようなら みんな

「ありがとう・さようなら」 井出隆夫作詞

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