梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

14サミッターとは

2018年09月15日 06時29分03秒 | Weblog
「14サミッター」とは、地球上には8,000メートルを超える山が14座あり、全部を登頂した人のことです。全世界では現在30名を超えています。2012年29番目となりますが、わが国で初めて達成した人が出て、未だにその後に続く日本人はいません。

その人は竹内洋岳(ひろたけ)という方で、現在47歳です。過去日本でも14座完全登頂を目指した人は9座までは4名いましたが、その内の3名は、10座を挑戦している最中あるいは他の山で遭難して亡くなっています。この14座は全てが、中国とネパールとパキスタンの国境近くのヒマラヤとカラコルム山脈にあり、エベレスト(8,848m)が最高峰、次にK2(8,611m)と続きます。

二ヶ月前その竹内氏の講演を聴くチャンスがありました。立正大学山岳部出身で、ICI石井スポーツ所属のプロ登山家で、身長180cmで体重65kg。体型は私と殆ど変わらず、そう言われなくては、偉業を成し遂げた登山家とはとても思えませんでした。

2006年9座を制覇して、登山家としてのプロ宣言をします。しかしその翌年の2007年7月、ガッシャブルムⅡ峰(8,035m)を登っていた時、6,900m付近で起きた山の斜面の形が変わる程の雪崩で、300mも大落下をします。4人のパーティ(竹内氏以外は外人)で2人が死亡して、竹内氏は一命を取りとめるものの瀕死の重傷を負います。

全身打撲、片肺が潰れ、肋骨が5本折れ、背骨が破裂骨折。雪崩から救助されても、命が助かったという喜びも全く感じない。当時はただ生きているだけ、との気持だったそうです。日本に帰国し、破裂した背骨上下を金属のシャフトで連結する手術を受けます。

仲間の誰もがもう登山を諦めると思っていたそうですが、それでも竹内氏は14サミッターを目指すことを断念しませんでした。翌年、そのチタンのシャフトが背中に入ったままで、ガッシャブルムⅡ峰に挑み、ピークを踏むことが出来ます。

「8,000メートルの高さとは」。竹内氏は言います、「旅客機が飛んでいる高さ」。酸素の量は平地の約三分の一、酸素ボンベを使わなければ五歩登ってゼイゼイ・ハアハア。そこは生き物がいること自体がとても不自然、生命感がなく死の地帯だそうです。しかし高所でしか観られない素晴らしい景色もあり、最も宇宙に近い世界が広がっているそうです。

その8,000メートルの世界に初めて竹内氏が踏み入ろうとしたのは27年前、大学の山岳部の創部40周年記念シシャパンマ(8,027m)遠征です。しかし竹内氏はピークに立っていません。大人数で大量の物資を持ち込んで組織的に登る形式、ピークに立てる人は極僅かなのです。竹内氏はその後日本山岳会にも入り、組織的遠征を経験します。

しかし徐々に、少人数で全員ピークに挑む、世界中からクライマーを募る国際公募隊登山に、竹内氏は傾倒していきます。ヨーロッパでは既に一般的で、それまでの日本の組織的登山に対し、同じ山に楽しんで登りたいとの目的を共有するパーソナル登山です。荷物も軽量化する為に、無酸素(酸素ボンベを使用しない)登山が主流です。

そして遂に2012年5月、竹内氏にとって14座最後のダウラギリⅠ峰(8,167)に手が届きました。パートナーが高度障害を起こし最後は一人で登ります。ここでは割愛しますが、下山途中でその死の地帯から受難を受けます。BC(ベースキャンプ)に無事戻って成功なのです。そして日本人初の14サミッターが誕生します。

少数でも皆がピークを目指す、それも楽しんで。会社の在り方の理想かもしれません。14サミッターである以上に、竹内氏の考え方や生き方にも感動を覚えました。





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