世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

奈良と京都を結ぶ近鉄京都線の沿線には途中下車をしても損をしない町並みや自然の風景が広がっています

2023-07-16 08:00:00 | 日本の町並み
 市の名前を市町の辞職までのごたごたを経て篠山市から丹波篠山市に変更したのが、兵庫県の山奥にあり立杭焼と丹波杜氏のふるさとでした。丹波篠山市の場合は、これまで使っていた市の名称を途中で変更した例ですが、町から市になるときに、旧来の町名を市の名称にしたのち、即日に他の名称に変更した市がかなりあるようです。1997年の市制施行日に旧町名の田辺から京田辺となった京田辺市の、今回はその南部、近鉄京都線の近鉄宮津を駅から興戸までの町並や丘陵地帯を紹介します。

 近鉄京都線は京都と奈良を結ぶ路線のためか、国宝の十一面j観音の観音寺や一休禅師ゆかりの酬恩庵などのお寺も多く、また狛田や祝園には古民家が数多く残されています。観光客は奈良から京都に移動する通り道として利用しますが、途中下車をする人は少な伊野が残念で、時間があれば訪れて損のない地域と思います。今回紹介する地域は、やや北よりで、近鉄が木津川を渡るちょっと手前にある京田辺市の南部になります。

 
 
 
 
 スタートの近鉄宮津駅を降りて近鉄線とJR線の効果を西に抜けると、白壁と大きな屋根の民家が多数見えてきます。商家ではなく農家ではないかと思いますが、なかなかの迫力です。

 
 
 通り過ぎて右折市北にっや進むと左手の丘の上に6世紀に創建されたという佐牙神社があります。16世紀に再建された本殿は一間社春日造と呼ばれ2つの社殿を連結したような形をしていて重文指定です。参道には明治の廃仏毀釈で廃寺となった神宮寺の恵日寺跡の石碑が寂しくたっていました。

 
 
 この寺にあった十一面観音が移されたのが、近鉄線の三山木駅を越えて東に行った寿宝寺で、門のそばには古代交通の要であった山本駅跡の石碑も建っています。やはり、この辺りは京都と奈良を結ぶ官道が通る交通の要所であったわけです。

 
 
 
 東に木津川まで続く田園地帯を北東に横切っていくと、丘陵地帯があって、斜面には茶畑が広がっています。宇治にも近いこの辺りはお茶の生産が盛んなようで、直射日光をさえぎる黒い覆いも見かけました。この丘陵には4~6世紀に作られた多くの古墳があり、飯岡古墳群と呼ばれているようです。ゴロゴロ山古墳は継体天皇の王子のもの、薬師山古墳は椀子王の王子の物と言われており、ほかにもいくつかの古墳が残されていますが、立札がなければ単なる丘といった感じです。丘の麓にはかつての井戸の跡もあり、飯岡山の伏流水なのでしょうか。この辺りは、瀬戸内気候の影響で雨量が少ないのでしょうか播州平野でよく見かけるため池も景色に変化を与えています。

 廃仏毀釈は、数多くの貴重な文化財を廃棄してしまったようです。近くの寺に引っ越しをして難を逃れた仏像もいくつかあって、有名なとこrでは聖林寺の国宝十一面観音立像があります。興福寺の五重塔も売りに出されて、あわや焼かれて金具だけになりそうだったそうです。明治という文化の革命期にこれまでの価値観がひっくり返って、新しい価値観に置き換えられた結果ですが、価値観の転換というのは、文化面だけかと思うと、理科系の分野でもありそうで、価値観というより流行りすたりということなのでしょうか。かつて、あれほど流行ったファジーを取り入れた電化製品ですが、今やファジーという言葉すら死語になり、知る人も少なくなっているように思います。AIもいつまでもつでしょうか。