世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

お城も武家屋敷の母屋も無くなってしまった長府の城下町ですが、他の城下町では見られないような美しい土塀が続いています

2022-10-23 08:00:00 | 日本の町並み
 福岡市は城下町だったという認識がなかったのですが、市街地に大きな城跡があってびっくりでした。そして、その城跡の一部には平安時代に建てられた現在でいえば外務省の出先である鴻臚館の遺跡が眠っていました。当時の日本にとって外国は中国や朝鮮でしたから、福岡はその玄関口だったのでしょう。一方、幕末には相手は西欧列強で、平和的なアプローチではありませんでした。沖合を通る外国船に砲撃をくわえたのが下関戦争で、その舞台となったのが毛利氏の城下町の長府でした。今回は、武家屋敷之跡の塀がタイムスリップしたかのような景色を作る長府を紹介します。

 現在の長府は下関市の南東部で昭和初期に編入されています。かつては、下関駅と長府駅との間を路面電車が走っていましたが昭和44年に廃線になっています。城下町としての長府は江戸初期に毛利藩の支藩として櫛崎城が築かれましたが、わずか10年余りで一国一城令で取り壊され、隣接する現在の豊浦高校の場所に住まいを移したそうです。城下町と言えども、城が存在したのはわずか十数年でしたが、他の城下町では見られないような武家屋敷の町並みが残っています。

 
 
 
 長府にはJR山陽線の長府駅がありますが武家屋敷が数多く残るのは、駅から3kmほども南に行ったところ。かつての櫛崎城跡やその後の居所跡の豊浦高校などはさらに南になります。南北に走る国道から西に向かって古江小路などの少し上り坂になっている通りが伸びています。通りの両側はベンガラ色の土塀や石垣の上に造られた土塀、さらの板壁の上部が城漆喰という家並が連なります。長屋門も残っていますが、塀の中の武家屋敷の母屋は一つも残っていないようです。現代の生活様式では不便で建て直してしまったのだそうです。

 
 古江小路は長州毛利邸後のある通りに突き当たりますが、中央よりやや国道寄りに忌宮神社がありますが、訪問した時には3年ぶりの開催という数方庭祭(すほうていさい)の準備の真っ最中でした。30mを越える竹竿之先にのぼりが付いています。重さが80kgもあろうかという竿を持って境内の鬼石と呼ばれる平たい石の周りをまわるそうですが、のぼりではなく提灯が付けば、秋田の竿灯って所でしょうか。

 
 
 
 
 一方、毛利邸跡まで上って左手に行くと功山寺があります。京都の高山寺と同じ発音ですが、こちらは功山寺で、鳥獣戯画が国宝ではなく国宝の唐様の仏殿があるので有名です。唐様の建物というと鎌倉の円覚寺舎利殿が有名ですが、こちらの仏殿はかなり大ぶりです。境内には功山寺挙兵をした高杉晋作之像もあります。この像より、旧下関市立歴史博物館の建物の方に興味が惹かれます。現在は功山寺の門の外にテッキンコンクリートの新しい博物館ができ2016年に移転しています。旧館は石造りで、堂々とした外観はなかなか美しいのですが、どうも廃墟っぽくて使われていないようでした。

 土塀など土で作られた壁は、湿気を吸ったり吐いたりして自然のエアコンと言われています。科学物質は含んでいないので、ホルムアルデヒドによる害もなく、他の部分で発生したガスも吸収してくらます。ただ、施工にはお金と時間がかかり、職人さんも減ってきているように思います。演題の技術は、センサーによって、屋内の状況を感知して、コンピュータを内蔵したエアコンや空気清浄機はたまた換気装置がフル稼働して、力づくで屋内環境を整えようとしています。アメリカ之家庭では、一年中エアコンは入れっぱなしだそうですが、新しい技術が常に優れているのではなく、見直しても良い時代になっているのではないでしょうか。