世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

福岡城というのはその存在も希薄でしたが、黒田長政が造ったお城跡やその周りには見るべきところがたくさんあります

2022-10-09 08:00:00 | 日本の町並み
 五島列島の福江城や大和郡山之郡山城では城跡に高校が建っていました。明治維新で数多くの城が取り壊されましたが、その広い敷地は公園などが多いのですが、宗教団体に使われているところもありました。福岡城では、城跡の一部には、かつての西鉄球団のホームグラウンドである平和台球場がありました。ところが、この平和台球場の老朽化による改良工事で、破壊されたと思われていた平安時代の鴻臚館の遺跡が明らかになり、球場整備は中止となり発掘作業が継続されました。当時平和台球場を本拠地としていたダイエーホークスは福岡ドームに移転し、球場跡は鴻臚館跡展示館と緑の芝生広場になっています。今回は、大濠公園から福岡城跡の周辺を紹介します。

 
 
 
 福岡城跡は福岡市の中央北辺、もう少しで玄海灘というところ、繁華街の天神の西1km程のところにあり、さらに西隣には大濠公園があります。あ城跡の舞鶴公園と大濠公園とはほぼ同じくらいの面積で大都市の中にこれほど広い池があるのも驚きです。大豪公園の雄大さと対照的なのが、南側に隣接して昭和59年に開園した日本庭園で、築山林泉回遊式庭園として限られた広さに自然の風景を圧縮しています。庭園内には休憩所や茶室もあって、白壁の築地米の中は外部とは違った異次元の世界ですが、時折上空を福岡空港に降りる飛行機が横切って現実世界に引き戻されます。

 
 
 

 大濠公園の東南にある福岡市美術館の横を通り抜けて東に行くと、石垣に囲まれた上り坂が現れ、この坂を上ると福岡城跡に出ます。坂を上っていくときに志垣の上に見えるのが重文の多門櫓で、廃城の後に残った建物は多くはありません。多門櫓のあるところが南丸跡で、残された建物の大部分は、この南丸を囲むように建っています。南丸から北東にさらに上ったところが天守台で、石垣しか残っていませんが、さすがに眺めはよくって、お城のお城の緑の木立の向こうに福岡のビル群が眺められて、近くにある緑の面積が広いためか姫路城などとは印象が違います。天守台の北側は本丸跡で、桜の木が植林され、春には見事な花が見られそうです。

 
 
 本丸跡を北に抜けて、坂を降りると球技場の先に緑の芝生が一面のグラウンドが現れます。平和台球場の跡と言われても、にわかに信じがたい光景です。この広場は鴻臚館広場と呼ばれ、広場の南に隣接して鴻臚館跡展示場が建っています。この場所は、かつて平和台球場のバックスクリーンのあった場所だそうです。鴻臚館は平安時代に外交および海外交易のために作られた施設で、奈良や京都それに大宰府などにも作られましたが、遺構が見つかっているのは福岡の鴻臚館跡が唯一です。鴻臚館跡展示場には早くに調査が行われた南側から出土した遺品の展示や他では埋め戻された遺構の一部が見られ、当時の建物も復元されています。

 遺跡が見つかった時に、その遺跡がいつ頃のものかを推定するのは考古学の宮ような仕事の一つです。一般的には編年、炭素14それに年輪年代という3つの手法が採られるそうです。この中で、炭素14法は、放射性の炭素14の半減j期を利用して試料中の生物が死んだ後の時間を推定するものです。かつては、資料から出る放射線のα線を測定していましたが、現在は加速器を使って炭素14の数そのものを測定する技術が確立し、短時間で少ない量の資料により測定可能となりました。加速器とは日本の名前が付けられた新元素のニホニュウムを作るときも使われた技術で、原子や素粒子を光の速度近くまで加速するものです。


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