世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

福岡県西端の大川市には江戸時代に町を二分していた藩の境を示す石列や近年まで県境を結んでいた可動橋の遺構が残ります

2020-11-22 08:00:00 | 日本の町並み
 豊島園も旧無尽相互銀行ビルも東京から無くなってしまいますが、集客ができなくなったり、効率が悪くなったり、との理由で壊されてしまうのは何かもったいないようにも思います。中には、産業遺産として残される幸運な設備もあり、その代表格が世界遺産に登録されている明治の産業遺産かもしれません。今回は世界遺産には入っていませんが、鉄道は廃線になりましたが重要文化財として残った可動橋がある大川市を紹介します。

 
 
 
 大川市は福岡県の南西部、可動橋のある筑後川を渡ると佐賀県になる場所に位置します。大川市には鹿児島本線の瀬高駅と長崎本線の佐賀駅とを結ぶ佐賀線が通り抜けており、県境の筑後川を越えるために架けられたのが筑後川昇開橋でした。1987年に廃線となった後は、線路は撤去されて歩道橋として使われていますが、橋の中央部分は現在でも上下しています。橋の近くには、水門があったり貯木場があったりで、お隣の柳川と同じように水で栄えた町という様相です。

  
 現在の大川は大川市という一つの行政単位ですが、江戸時代には柳川藩の榎津と久留米藩の小俣とが町を二分していて、浄福寺の近くには藩境の石列という史跡が残っています。両藩の間で、藩の境をどこにするかで、小競り合いが絶えなかったとのことです。榎津側には高橋家住宅、中村住宅など、小俣側には旧吉原家住宅、緒方家住宅などの白漆喰造りの商家が点在しています。

 
 
 柳川からバスで昇開橋に向かうと県境の大川橋の手前で下車しま近くにあるのが旧三潴(みずま)銀行本店の建物です。明治末期に建てられ、レンガ造の上からコンクリートを塗ったもので、重厚感よりも軽みを感じる、なかなかしゃれた建物で、現在は紙幣博物館として使われています。このバス通りに近い方が榎津地区で、中村紙店や高札場跡があります。

 
 
 一方、昇開橋のある南側の小俣の地区ですが、こちらの方が古い町並みが残されています。重文指定の旧吉原家住宅や吉原義朗家住宅などの古民家の商家や、日枝神社、光楽寺、法泉寺などの寺社が散在しています。要所要所には大川市が立てた解説板があって、少々くたびれてはいますが、要領よく建物などのいわれなどを知ることができます。

 日本で唯一残っている現役の可動橋は四日市にある末広橋梁ですが、東京にある勝鬨橋も邑久を超えるお金を出すと原理的には動かすことができるのだそうです。勝鬨橋の上には都電が走っていたわけで、橋が跳ね上がった時に架線がどうなっていたのか興味があります。中央の割れる部分は惰性で走るのでいいとしても、折れ曲がって部分は架線がたるんでしまうのをどう始末していたのか。フランスの路面電車は、電車の位置を検出するセンサで電車市を検出して、電車の真下の3本目のレールに電気を通す区間があります。この方法だと架線が無いので、こんな心配は不要かもしれません。通電区間の切り替えにはコンピュータ制御という大げさなものではなく、電車から出る誘導電流でリレーが動作するシンプルなもののようです。


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