世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

半田駅の東の十ケ川の近くには真っ黒の板壁が続き、ツンとした酢のにおいが漂っています

2009-10-11 08:00:00 | 日本の町並み
 江戸時代の悪名高き生類憐みの令によって作られた犬小屋のあった場所の近くには、現在の中野のシンボルともなっているdocomoの真っ黒のビルが建っていましたが、真っ黒の板壁に囲まれた建物が川の向こうに連なるところが半田です。

これらの建物は、ミツカンなどの醸酢工場や倉庫群で、日本で作られる酢の大部分がこのあたりで生産されるとのことです。このミツカンの創始者は中野又左衛門氏で、これまた中野に縁のあるところでした。今回は、名鉄の知多半田駅から十ケ川あたりまでの町並みを紹介します。

 半田市は知多半島の付け根あたり、中部国際空港のある常滑市の東に隣接しています。名鉄河和線とJR東海道線の大府で分岐した武豊線の2本が市を南北に貫いています。ミツカンの真っ黒の建物群があるのは、JR半田駅の東300mほどのところで、途中には「酢の里」という日本で唯一の酢の博物館もあります。

この黒板壁は同じ川沿いの酒造会社の建物群にも見られると共に、市内の民家にも見られます。

民家の黒壁の場合には威厳があったり、粋な感じを受けることもありますが、工場や蔵の場合には、火事に遭ったような感じを受けます。ただ、この黒の板壁に真っ白に描かれたミツカンのマークには存在感がありました。

 先にミツカンの創始者は中野氏(現在の表記は中埜)と書きましたが、半田市の中には中埜家関連の施設が多く残っているようです。企業城下町の一つなのでしょうね。そのなかの一つに、旧中埜家住宅があります。ミツカンの真っ黒の倉庫とは正反対のしゃれた洋館で、重要文化財にも指定された建物です。

明治の末に中埜半六の別邸として、ドイツの山荘をイメージして作られたそうです。戦後は洋裁の専門学校桐華学園の本館として利用され、現在は紅茶専門館として営業されています。

 JR半田駅の北西の線路に隣接して長い黒塀で囲まれた一郭があります。地図で調べてみるとミツカン中埜クラブや中埜産業の表記があるところから、ミツカングループの迎賓館的な存在と想像できます。

こちらは、旧中埜家住宅とは異なり、真っ黒の塀が連なり、外から見える建物は倉庫と同じ黒板壁のもので、ちょっと無愛想です。ただ、この邸宅を航空写真で見たところでは、広大な敷地に緑が生い茂り、池を配した回遊式の和風庭園のようです。

 酢を使う料理の代表格と言えばお寿司ですが、このお寿司の代表格の握り寿司は、江戸時代に屋台や行商で、安くって手っ取り早く食べられるファーストフードの一種として生まれたものです。ところが、いつの間にか高級食材と化し、再び庶民のメニューに引き戻したのが、回転寿司ではないでしょうか。ただ、この回転寿司は、握られてから、長い間廻り続けているお皿があるようで、お皿を選ぶときに鮮度を見極める必要があることがあります。このような問題を解決する手段の一つが、ICタグを皿に貼り付け、個々の皿をセンサで読み取って、鮮度管理をする手法です。スイカなどと類似の技術ですが、こちらは固体認識ができればよいので、読み取り専用のICチップになります。すべての商品や紙幣にまでICタグを埋め込んで、個々の物の流れを管理する発想が提起されて随分と時間が経ったように思いますが、なかなか実現できないのはコストなのでしょうか、それとも個々に管理されては困ることが多いからでしょうか。


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