世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

奈良の寺々のある場所は平城宮から東にずれていますがコンパクトに集中していて観光には便利です(日本)

2019-06-16 08:00:00 | 世界遺産
 京都の紹介が2回にわたって続きましたが、今回は京都よりも歴史が古い奈良です。古都奈良の文化財として登録されているのは五か所の寺々、一か所の神社、遺跡それに原始林の合計8か所になります。今回は春日山原始林を除く7か所について創建あるいは現在地への移転の古い順に紹介します。

 
 
 まずは平城宮遺跡です、平常遷都の年の710年から造営が開始された平城宮の宮殿跡です。現在は、大極殿や朱雀門それに東院庭園などの復元が完了しています。ただ、建物形など諸説ある中で、復元によって特定のイメージが固定される恐れがあるという反対も多いようです。平城宮遺跡は、近鉄の奈良と西大寺の間で、朱雀門と大極殿を結ぶ朱雀大通りを近鉄の線路が分断しています。平城宮は現在の奈良市の中心街からは随分と西寄りで、現在の中心街は、東側に付け足しのように張り出した外京に当たります。


 興福寺は、藤原氏の氏寺で、平城遷都と共に藤原京にあった厩坂寺が現在地に移転してきました。同じように移転をしてきた曽我氏の氏寺であった元興寺と比較して、その勢いの強さが際立っています。猿沢の池越しに見える五重塔は奈良のランドマーク的な風景ですが、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた明治初期には、危うく薪にされるところだったそうで、壊すのが手間とのことで難を逃れたそうです。昨年には、3つの金堂の中核となる中金堂が再建され、他の堂宇にあった諸仏が移されています。


 薬師寺も、平城遷都と共に天武天皇帝が皇后の病気平癒を祈願して藤原京に建てた本薬師寺が現在地に移転されてきました。この移転時に現在の伽藍や諸仏が本薬師寺から移転してきたものか、新たに作られたものか長く論争があり、いまだに決定的な結論に至っていないようです。薬師寺は数々の戦乱に逢い、奈良時代の建物は東塔のみになっていますが、国宝建造物は東塔だけでなく鎌倉時代再建の東院堂の二堂です。20世紀になって金堂、西塔などが再建され奈良時代の姿を取り戻しています。仏像は、金堂の薬師三尊と東院堂の聖観音などが国宝指定で、特に薬師三尊像はフェノロサがアメリカからの旅費を払ってでも見に来る価値があるといったそうです。また、聖観音像は精巧なレプリカ像が国立博物館にあって、実物では見られない後ろからの様子などが間近で見られます。

 
 元興寺は、蘇我氏の氏寺であった法興寺が平城宮に移ってきたものですが、法興寺も名前を飛鳥寺と変えて飛鳥の里に残っています。奈良時代には東大寺、興福寺と並ぶ大寺院でしたが、現在はなら町近くに国宝の本堂がひっそりと照っているのみです。勝ち組の藤原氏の寺が現在興こって幸福な寺という名称であるのに対し、負け組の蘇我氏の寺は元(かつて)興こった寺という名称は生々しいネーミングです。元興寺のあるなら町は、軒先から身代わり猿が下がる古民家が建ち並び、寺ばかりの奈良にあって生活感のある町並みが残っています。

 

 
 東大寺は、聖武天皇が国の威信にかけて平城宮に建てた大寺院で、全国にある国分寺を統括するお寺です。ちなみに、近鉄の大和西大寺駅の南にある西大寺は尼寺の統括寺院の役割を担っていました。現在でも巨大なお寺ですが、創建当時は東西の七重の塔や現在の二倍ほどの大仏殿など、とてつもない規模だったようです。たびたび戦乱などの災害で、何度も再建され現在の姿になっています。大仏も創建当時は、興福寺にある旧山田寺の仏頭のような端正な顔立ちであっただろうと言われています。この大仏を大仏殿の正面にある窓越しに見られるのをご存知でしょうか。お盆の頃に夜間拝観が行われ、周りが暗くなったおかげで、堂内の薄明かりに照らし出された顔が浮かび上がります。

 
 唐招提寺は、唐からやって来た鑑真が創建した寺で、薬師寺から北へまっすぐ行くと門に突き当たります。鑑真は日本から来た留学僧から「日本には受戒ができる層が居ない」との訴えに応えて、苦難の末に渡来したことはご存知の通りです。鑑真が旅立った中国の揚州にある大明寺には唐招提寺にある鑑真和尚像のレプリカが置かれてありました。鑑真の戒壇は基壇を残すのみですが、隣の薬師寺と比べて数多くの建物や仏像が残されています。特に、金堂の千手観音像は手が千本ある数少ない像の一つです。

 
 
 最後の春日大社も藤原氏の氏神である鹿島神と香取神とを平城遷都と共に御蓋山の麓に祀ったもので、どうも平城宮は権力者の藤原氏に蹂躙されていたようです。本殿などに加えて多くの工芸品が国宝に指定されていて、博物館でも春日大社をテーマに特別展が開けるほどです。境内の灯篭に火が入る万灯篭は2月と8月にあり、大変な混雑ですが、幻想的な風景は行列をしてでも見る価値がありそうです。行列をしなくても入れるのが、付属の万葉植物園で、万葉集に詠まれた植物が園内に植えられて名札が架けられています。晩春に入園するとフジが満開で、緑色の花を付ける遅咲きの桜の御衣黄も併せてみることができます。

 花の色に緑色が少ないのは、葉っぱが緑で花も緑だと目立たないからでしょうか。赤色の花が多いのは、赤色が緑色の補色でよく目立ちます。目立てば、花粉を媒介するミツバチも寄って来て、自然淘汰で子孫を残すのに有利な花を付ける種が勝ち残ることになります。ところで、このミツバチは、人間では見られない紫外線も感知でき、さらには光の偏光面まで感知できるようです。この能力によって、仲間に蜜のある花の位置を伝達しています。ところが、葉に含まれる葉緑素は紫外線に当たると赤から赤外領域の蛍光色を発します。ミツバチにはどのように見えているのでしょうか。一方の赤外線はというと、爬虫類の一部、マムシなどが見る能力を持つようです。アナログ・フィルムの頃には紫外線領域まで感光するフィルムの特性をカバーするためにフィルターを入れたり、赤外線に感光する特殊フィルムがありました。現在の半導体の撮像素子は人間の目の感覚に合わせて作られていますが、赤外や紫外領域用の素子はアナログ時代に比べてずっと手に入りやすくなり人間が見る世界を広げてくれました。


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