世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

有馬温泉への街道の宿場町として栄えた淡河ですが、今はひっそりとして人影も見当たりません

2019-03-03 08:00:00 | 日本の町並み
 三田から三木を経由して北播磨への街道筋の宿場町として繁栄し、現在は取り残されたような集落が吉川でした。吉川から谷筋を一つ南にある集落が淡河(おうご)です。吉川は三木市の一部になっていますが、その吉川が合併の直前までになってご破算になった神戸市ですが、淡河は神戸市の北西端になります。今回は、吉川同様に、時間が止まって取り残されたような淡河周辺を紹介します。

 
 
 
 
 吉川が中国道の通る谷筋でしたが、淡河は山陽道が通る谷筋になります。淡河の集落は、山陽道の南を道場から西へ三木に抜ける県道38号線沿いに広がっています。かつてこの県道は、播磨から有馬温泉に通じる湯乃山街道の名残で、淡河は街道の宿場町として本陣も置かれました。道の駅淡河の東100mほどで、旧街道が38号から北に分かれて少し行ったところに旧本陣跡が残されています。この旧本陣跡の村上家は、老朽化が進んだために改修されて、町のコミュニティ・スペースとして利用されているようです。428号線との角の所に、湯乃山街道淡河宿本陣跡の石柱が立っています。 旧街道を西へ、38号線と再合流するあたりにかけて、土蔵造りで板壁の古民家や茅葺の農家が点在しています。筆者が訪れたのは8年ほど前ですが、現在の様子をgoogleで見ると、土蔵の塀はブロック塀に、茅葺はトタン葺きになってしまったようです。

 淡河は神戸市北区の一部で、中国道のインターチェンジがあるとは言え、吉川と同様に陸の孤島のような場所で、有馬温泉までは17kmほど、神戸電鉄の箕谷駅まででも11kmほどもあり、もちろん集落の中に鉄道は走っていません。公共輸送機関と言えば、路線バスが三木や神戸電鉄の岡場、三田に向けて2時間に1本ほど走っているだけです。陸の孤島と書きましたが、伝説によると、この辺りは飛鳥時代には、島ならぬ泡河湖という湖で、徐々に水位が低下し、干拓なども進んで江戸時代には湖は無くなってしまったのだそうです。淡河のさらに南の谷筋に「つくはら湖」という人造湖がありますhが、淡河の谷筋も四方を山に囲まれていて、谷筋の全体が湖でも不思議ではないような感じもします。

 
 古い町並みからは外れますが、東北東3kmほどの淡河町神影には7世紀に創建され9世紀に建てられた重文の三重塔のある石峯寺(しゃくぶじ)があります。鎌倉時代には広大な寺域を誇っていましたが、現在は三重塔の他に重文の薬師堂と本堂があるばかりです。ただ、こんな山の中に、これほどの三重塔があるのは驚きですが、辺鄙なところゆえに建物が残ったのかもしれません。

 本陣は各地の大名が江戸への参勤交代で宿泊した施設ですが、この参勤交代は大人数で行ったり来たり、随分と無駄のように思います。江戸幕府としては、無駄をさせて、諸大名を弱体させるのが目的ですから、無駄は大きいほどよかったのかもしれません。徳川だけに都合の良い政策で、身勝手なものですが、街道や、宿泊施設の整備など、旅行に対するシステムの確立や、情報、モノのの流通を促進したというメリットの副産物を生んだようです。一方、マイナンバーのシステムは、権力機構が国民の財産を始め色々な情報を把握するために導入した、権力に都合の良いシステムですが、全国どこでも戸籍などの証明が取れるという副産物を生んだようです。出先で、住民票が必要になり、困ったのですが、近くのコンビニでマイナンバー・カードで得ることができました。ただ、この便利さは、プライバシーを悪用される温床になる怖さを忘れてはいけませんが。


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