世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

長崎の華さはありませんが平戸には西洋への窓口の名残が静かに息づいています

2016-04-10 08:00:00 | 日本の町並み
 彦根城の近くには、古い日本家屋の民家の中にレトロな洋館、そしてチュニジアの建物を思わせる白にブルーの窓枠の建物もありました。中にはスミス記念堂のように、キリスト教の礼拝堂なのにどう見ても和建築の建物もあって、和と洋とがハーモニーを奏でる町並みです。京都では、和建築の町家やお寺の中にキリスト教会の洋風建築が重なってくる風景を見かけます。しかし、お寺のお堂の上に大聖堂が重なる風景は平戸独特ではないでしょうか。今回は、10年ほど前に一度紹介した平戸を、その後の再訪時の写真などを交えて紹介します。

 平戸市は、九州の最西端に突き出した半島部分と沖合いの島々から成りますが、2005年の合併前は平戸島とその周辺のみの町でした。本土側にある松浦鉄道の「たびら平戸口駅」は、モノレールを除くと日本最西端の駅で、国鉄時代には平戸口の名称でした。かつては、平戸島には平戸口駅の近くの港かフェリーで渡っていましたが、島との間の橋が南の方に作られ、人の動きが変わって、駅の周辺は寂れてしまった感じです。フェリーの終点の平戸島側の港周辺は、現在でも平戸島の中心街で、ホテルや役所などは、港のある湾を囲むように建っています。

 
 
 お寺の後ろに聖堂がにょっきりと顔を出す風景は、この湾の突き当たりの部分の坂を上ったところに有り、お寺は瑞雲禅寺と光明寺が並んで建ち、後方の聖堂はザビエル記念聖堂です。瑞雲禅寺は15世紀、光明寺は16世紀に創建されたものですが、20世紀になって後ろの山の上に聖堂が出現するとは思いも寄らなかったでしょう。

 
 
 このザビエル記念教会は、コンクリート製ですが、形式的にはゴシックのスタイルを採っています。この聖堂は正面から見ると、両側にブースターを抱えたロケットのように見えるのは僕だけかもしれません。外壁は緑色に塗られていますが、内部はクリーム色で、内外の印象が随分と違います。聖堂の周りには、名前由来のザビエルの像のほかに、キリストを抱いたマリア像があり、筆者はこちらの像の方が好感がもてます。

 
 湾の南側には、平戸城跡に模擬天守が建ち、最教寺には朱塗りの三重塔がそびえています。また、湾に流れ込む河口には眼鏡橋のオランダ橋が架かっています。英国商館跡は、石柱が立つのみで町並みに飲み込まれています。

 
 
 
 一方、湾の北側は港の近くにオランダ商館跡があり、長崎に移る前の西洋に向けた門戸の跡が集中しています。湾の入り口近くのオランダ商館跡近くには、オランダ塀、オランダ井戸、オランダ埠頭とオランダ尽くしです。そして、ミサキの突端には常燈の鼻と呼ばれる灯台の跡に灯篭が再現されています。

 
    
 逆に、湾の奥の方向にはオランダ井戸より歴史の古い六角井戸や大ソテツ、そして、このあたりには格子の美しい町家の家並みが続いています。また、最近は「うで湯あし湯」ができて、散歩に疲れた時に立ち寄れるようになっています。

 日本にオランダなど西洋文化が伝わってきた時、両者間のコミュニケーションの手段がどうだったのでしょうか。杉田玄白の蘭学事始の記述によれば、蘭書のターヘルアナトミアを和訳するのに、新しい単語を前後関係などから推定して辞書を作りながらの作業だったようです。現在では、翻訳も単語の意味も漢字もパソコンやスマホで簡単に見出せ便利にはなったでしょうが、物事を推論したり、発見する能力は確実に劣化しているように思ってなりません。


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