世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

別荘の数でも小田原に負けず劣らずの大磯ですが、文学に関連の静かなたたずまいの建物が魅力です

2017-10-01 08:00:00 | 日本の町並み
 実業家や政治家の別荘跡が多いのが小田原でした。湘南地方の先で、気候が良くって東京と程よい距離というのが選ばれたりゆうでしょうか。湘南地方の別荘と言えば、吉田茂の別荘を思い浮かべますが、平成21年に火災で消失してしまいました。今年の春に再建公開されています。今回は、その大磯の駅周辺を紹介します。

 大磯には、吉田茂邸だけでなく伊藤博文、西園寺公望など数多くの実業家や政治家が別荘を構え明治の終わりころには150棟以上にも達していたそうです。現在は、ほとんどが再開発でマンションなどになり、残っている建物も企業の保養所などになっているそうです。藤沢から小田原にかけての湘南地方は、昔からあこがれの土地で、車のナンバープレートでももてはやされるように、現在までその伝統が続いているようです。

 散歩の起点となるJR大磯駅は東海道本線の島式ホームが1本あるだけで三角屋根の駅舎は、どことなく田舎の駅です。田舎といえば、大磯町は市ではなく神奈川県中郡の一つの町で人口も3万人ほど、小田原市の1/6以下です。1日の乗降客数は8千人ほどですが、ラッシュ時には列車が4分ごとに(上り下り合わせれば3分ごと)やって来て都心の駅並みです。

 
 大磯を、単なる田舎ではなく別荘地に押し上げたのは、大磯海水浴場の開設にも尽力した松本順という医師で、墓所があるのが妙大寺です。妙大寺は大磯駅の裏手、市北方向の小高い丘のふもとにあります。さらに、先に進むと丘の斜面に日本武尊を祭る御岳神社があります。

 
 
 
 大磯駅に戻り南西に」だらだら坂を下りていくと、左手に旧エリザベス・サンダース・ホーム、現在は聖ステパノ学園と沢田記念館があります。エリザベス・サンダース・ホームは、三菱財閥の別邸を、混血児の収容施設としたものです。戦後に進駐してきたアメリカ軍の兵隊と日本人との間にできた混血児の収容施設でした。坂を下り、東海道を南側に渡った所が西行の歌をゆかりとする鴫立庵で、内部が公開されています。新古今集に西行の歌として「心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」という歌があり、三夕(さんせき)の歌の一つとされています。江戸時代になって、この歌が詠まれた面影を残すこの地に、小田原の崇雪が鴫立沢の標石を建て庵を結んだものです。中に入ると、交通量の多い東海道の喧噪が嘘のような落ち着いた空間になっています。

 
 
 
 東海道を北に渡って、西北西に200~300mほど行くと町屋園と呼ばれた旧島崎藤村邸があります。藤村が晩年を過ごし、71歳で亡くなるまで過ごしたいえです。藤村がこの家を「静の草庵」と呼んでいたように、静かで簡素な古民家です。廊下に並べられた藤村全集が無ければ、有名人の旧邸と気が付かないかもしれません。ちなみに、再建された旧吉田邸は、さらに西へ1km以上行った大磯ロングビーチに近いところです。

 鴫立沢の歌を詠んだ西行は、日本国中を転々として庵を構えたそうです。放浪の末に、自身で詠んだ「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」のとおり旧暦の2月に亡くなったそうです。引っ越しの回数では30回以上の北斎と同程度なのでしょうか。日本の引っ越しでは、家財道具ごとの移動なので、専門の引っ越し屋さんが存在しますが、アメリカでは家財道具は家の付属設備で、身の回りのものだけの移動だそうです。したがって、引っ越し屋さんは存在しないとか。頻繁な引っ越しで困るのが、インターネットの接続で、光回線で2年しばりなどの制約や、プロバイダが変わってメアドが変わると、通知の手間は膨大です。通信速度は我慢して、無線がいいのかもしれません。


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