世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

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スランベリスのスレート関連施設では日本人をほとんど見かけませんが、世界遺産登録をきっかけにカナーヴォン城と共に訪問者が増えるかもしれません(イギリス)

2021-10-03 08:00:00 | 世界遺産
 2021年の世界遺産会議で新たに登録された世界遺産を日本の2件に続いてドイツのバーデンバーデンを紹介しましたが、今回はもう1件の新規登録の「ウェールズ西北部のスレート関連景観遺産」を紹介します。日本人にはあまりなじみのない場所のようで、情報もあまり多くは無いのですが20年以上も前に訪問した時の記憶を頼りに紹介します。

 世界遺産になった場所は、UKを構成する4つの王国のうちのウェールズの北西部で、スランベリスと呼ばれる地域です。このスランベリスはウェールズ語ではLlanberisとつづり、頭の部分はとてもスとは読めません。ウェールズにある世界一長い駅目のLlanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogochもLが重なる部分がいくつもあって、この部分はシュやスと発音するようです。登録されている旧鉱山施設などは、世界一の駅名の駅を通り過ぎ、世界遺産で知られるカナーヴォン城から内陸に10kmほど入った所にあります。

 
 
 カナーヴォンからのバスを降りると、ウェールズで最も高い山のスノードン山への登山鉄道の麓駅があり、スノードン山については後述します。そしてその先に国立スレート博物館、その後ろにはスレートを掘った跡らしき岩肌の山が見えています。さらに、博物館の横からは、もう一つの鉄道のスノードン湖岸鉄道が出ています。博物館には、スレートとはどんな岩なのかの解説やスレートの発掘や加工に使った機械などが展示されています。地学に興味のある方には、面白い博物館ですが、一般的にはちょっと地味で、日本人の観光客はまったく見かけません。スランベリス湖岸鉄道は、1842年にスレートを運ぶために開通した鉄道で、1961年に廃止されましたが、後に保存鉄道として観光用に復活したものです。軌間が597mmで遊園地のおとぎ列車のようなかわいらしいもので、湖岸の線路を片道4kmほど1時間ほどかけて往復します。

 
 
                           (wikipediaより)
 スレート博物館の近くからスノードン山頂に上る鉄道が軌間800mmのスンードン登山鉄道で、イギリスで一般観光客が乗車できる唯一のラックレールを持つものです。蒸気機関車とディーゼル機関車があって、標高差940mほどを1両の客車を約45分かけて押し上げています。この列車は客車が1両しかないこともあって、なかなか乗ることが難しいようですが、カナーヴォンに止まって朝早くにスランベリスに向かったので乗車できました。ただ、機関車はSLではなくDLでしたし、頂上は霧が立ち込めて景色はほとんど楽しめませんでした。そのような天気だったので、混まなくて乗車できたのかもしれません。SLの列車や周りの景色が撮れなかったので、wikipediaからの写真をお借りして載せておきます。スノードン山はウェールズ一高いと言っても、標高1085mですから、神戸の六甲山よりちょっと高いくらいです。付近は、スノードニア国立公園に指定され、年間降水量も多く気象条件の厳しい山の一つだそうです。このような条件下でも、イギリスで最も人気のある山の一つで、観光客が集まる場所で登山鉄道も中々乗れないということです。

 
 
 スレートは粘板岩の一種で、薄く剥がせることから、西欧では屋根瓦の材料として盛んに使われた建築材料です。防水性、耐火性、対候性そして耐久性を備えた素材として欠かせないものでしたが、天然スレートの産出が少なくなり、手軽な素材から高級素材となり、現在は人口のスレートが用いられるようになっています。わが国の屋根素材というと瓦が一般的でスレート葺きは明治期以降にイギリスからやってきたジョサイヤ・コンドルなどが持ち込んだようです。コンドル建築で現存する建物を調べてみましたが、屋根の材料まではなかなか情報が見当たらず、分かったとろでは旧岩崎邸、旧古河邸などです。コンドルは東大の前身で工部大学校の建築の教鞭を取っていますが、その第一期の卒業生に辰野金吾や片山東熊などが居ますが、金吾の代表作の東京駅や東熊の作品の一つの京都博物館の旧本館は共にスレートで葺かれています。

 ジョサイヤ・コンドルは明治期のお雇い外人の一人で、鹿鳴館の設計で知られますが東京国立博物館の旧本館もコンドルの設計でした。しかし、関東大震災で大破して現在の本館は昭和期に再建のものです。自身の少ないイギリス出身では、耐震設計は念頭になかったのかもしれません。コンドルの弟子の金吾設計の東京駅も東熊設計の博物館の表敬館も関東大震災でビクともしなかったのは対照的です。ところが、日本で最初に地震計を作ったのはイギリスからやってきたお雇い外人だったというのも皮肉です。この地震計はごくごく短時間の記録しかできないので、常時は停止していて、起震計からの信号で動き出す仕組みでした。現在の地震計は、3方向の加速度センサーの出力をコンピュータ処理する装置で、20~30cm程度の小型になりし、回線を通じて気象庁に送られるシステムができ、地震があると震度や震源地がすぐさまわかるようになりました。かたうての震度は、気象庁の人が各地に居て人感で判断していたのですが。


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