世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

山陰の山の中に宿場町と製鉄で潤った残り香のある町並みがあります、根雨

2007-09-09 10:36:40 | 日本の町並み
 熊野古道は、熊野信仰の盛んな頃に蟻の熊野詣として都から山越えで参詣をしていたそうですが、かつての街道でも日本列島を縦断するものも多かったようです。今回は中国山地を横断して、山陰と山陽を結ぶ出雲街道の宿場町の一つ根雨を紹介します。

 根雨は鳥取県の西端に近い日野町にあり米子からJR伯備線で30~45分、南下していた列車が日野川に沿って大きく西にカーブをした先に位置します。特急も停車しますが、あまり観光客は訪れないような不便さのある町の一つです。しかし、町中を散歩すると、宿場町として、また製鉄の町としての繁栄振りを思わせる町並みが残り、、わざわざ途中下車をして寄り道する価値のある町のように感じます。

 古い町並みが残るのは、駅から旧道を南西に200~300mほど歩いたところの数百m程度ですが、本陣にあった門の遺構や、製鉄で財を成した近藤家の格子のある建物、昭和初期に建てられた銀行の洋館などが自己主張をあまりしないで残っています。

 道の脇には清冽な水路もあって気持ちの良い町並みの一つです。

 製鉄といっても、近代的な溶鉱炉を思い浮かべてはいけません。根雨のものは山陰、特にいずも地方で盛んであったたたら製鉄で、砂鉄を原料として木炭で精錬して鉄を得るものです。日本刀の切れ味は高くても柔軟な性質は、たたら製法による鉄を原料にしなければ得られないと聞いたことがあります。出雲のヤマタノオロチ伝説は、砂鉄を産する暴れ川がヤマタノオロチで、そのお腹から草薙の剣が出てきたのは、砂鉄を原料とした刀剣という解釈もなされているようです。

 金属といえば、筆者は訪問しなかったのですが、駅から4km程度のところに金持神社という縁起のよい名前の神社があるようです。読みは「かねもち」ではなく「かもち」なのだそうで、後醍醐天皇の隠岐島脱出時に義兵を挙げた金持景藤ゆかりの神社だとか。名前が効を奏してご利益を願う宝くじマニアなどには人気があるそうです。

 神話は荒唐無稽の物語のように感じますが、史実が神の名のもとに脚色されたケースが多いように思います。考古学は物語に埋め込まれた歴史上の事実を推論して仮説を立てて、それを証明できる材料を探す過程かもしれません。コンピュータの能力が人間をはるかに越えた現在ですが、仮説を立てたり推論する能力はまだまだ人間が優れている分野のように思います。もちろん、コンピュータは膨大なデータの中からある規則性を見出す能力には優れていますが、その規則性からシナリオを組み立てる役割は人間なのでしょう。


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