世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

現在は廃墟状態の元根岸競馬場跡ですが、この春に整備して公開することが決まったようで、早く内部が見たくなりました

2021-08-01 08:00:00 | 世界遺産
 長崎の南山手と東山手と2回にわたって紹介しましたが、山手と聞いて最初に思い浮かぶのは出身の神戸の山手ですが、今回は関東で山手といって思い浮かぶ横浜山手の一郭を紹介します。通常横浜山手というと、根岸線の山手駅と石川町駅の間の東側の山手公園界隈を指すようですが、今回はあえて山手駅の西側を中心に紹介します。

 
 スタートは根岸線の根岸駅もしくは山手駅になり、根岸駅からは北へ、山手駅からは西へ小高い丘を目指して坂を上ります。どちらの駅からも1kmたらずで、600mかける400mほどの楕円形をした根岸森林公園に到着します。この公園が楕円形をしている理由は、この場所がかつては競馬場だったからです。馬が走っていた場所は、芝生の公園になってしまいましたが、かつての観覧席の建物が残されています。ただ、現在のところ建物には立ち入り禁止で、廃墟状態ですが、整備を検討することが決まったようで、近い将来建物内に入られる日が来ることでしょう。

 
 
 
 この競馬場は、根岸競馬場として、なんとまだ明治にはなっていない1866年に旧居留地であった根岸の丘に開設されました。廃墟状態の観覧席の建物は1929年に建て替えられたもので、当時は観覧席からフジが眺められ東洋一の豪華さを誇ったようです。この豪華さは、遠くから眺める外観からも推測でき、早く整備して公開されてほしいものです。その後、名称は横浜競馬場と名前が変わりましたが、戦争の激化で1943年には閉場されました。戦後は米軍にとって接収され、米軍の住宅などが建てられ、およそ20年後になってやっと一部が返還されたようですが、現在も一部が未返還のままです。観覧席の建物pの場所は、返還対象でしたが、痛みが激しいことから金網に囲まれて立ち入り禁止になっています。

 
 
 根岸競馬場跡の東側の尾根伝いの道は、根岸線の東側の山手が異人館街になっているのと比べて、寺町の雰囲気です。この道を北に500~600mほど行き、ローソンの角を左手、西に曲がってしばらく行くと左手に中華義荘があります。在日華僑のための外人墓地で、おなじみの外人墓地から明治初期にこちらに移され、当初は本国へ棺を送る前の仮安置所の役割でしたが、やがて埋葬場所となったそうです。その墓地は地蔵王廟があり、中国のお寺でよく見かける、お札の焼却炉も見かけました。

 
 
 中華義荘から北西に坂を下って行くと大圓寺で明治時代創建にしては存在感のある建物が建っています。少し戻って東に、広い道路の山手本通りとの合流点に、奇妙な形の鐘楼がある西遊寺があります。こちらの寺院も明治創建ですが、この鐘楼は片持ちの建物で、参道の上に覆いかぶさるように建っているのが見ものです。山手本通りを東に行き、根岸線を越える200mほど手前の左手にある地蔵坂を下っていくと左手に現れるのが蓮光寺で、前述の2寺が明治時代創建に対して、こちらはギリギリの江戸時代創建のお寺だそうです。ちなみに、地蔵坂の名前は、坂を下りきって中村川と突き当たるところに祀られている濡地蔵尊に由来するようです。濡れ地蔵を左手に見て右折すれば、ゴールの石川町駅はすぐそこです。

 競馬はj公営ギャンブルとして、地方の財政を潤していますし、宝くじも同様に6割ほどが胴元の地方自治体などに吸い上げられます。かつての映画で、カジノのルーレットのあたり目をコンピュータに入力して、規則性を割り出して、あたり目を予測させる場面がありました。コンピュータがまださほど普及していない頃の映画だったので、コンピュータは軍艦に搭載されたもので、水平たちが光信号であたり目をやり取りしたために、悪事が発覚するというものでした。ルーレットや競馬などはある程度の規則性があって、コンピュータで最適予測をすれば、平均値以上の収穫が得られるかもしれません。しかし、宝くじは、一様分布で、コンピュータと言えども予測は無理で、非科学的な、あたりやすい売り場などの迷信がはびこることになります。期待値が40%の当選金では、買えば買うほど損をするわけで、どなたが言ったのかは忘れましたが、所詮宝くじは貧乏人の税金なのでしょう。