世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

悲恋の主が向き合って眠るアルコバッサのサンタ・マリア修道院(ポルトガル)

2008-11-16 16:00:26 | 世界遺産
 愛妻のために作ったタージマハルも遠くから眺めるだけになったムガール帝国の国王が息子に幽閉されたのはアーグラ城でしたが、ペドロ王が父王に反対された側室との愛を貫き、暗殺された側室が葬られた墓から遺骸を改葬して一緒に眠っているのがアルコバッサのサンタ・マリア修道院です。ポルトガルの片田舎の町に、ぽつんとある修道院で悲恋の舞台として有名になっていますが、修道院の建物もなかなか美しく、少々足の便が悪くても訪れる価値のある所です。

 アルコバッサは、ポルトガルの首都のリスボンから北へ100kmほど、大西洋に面しているナザレから10kmほど内陸に入ったところにあります。鉄道は通っていなく車でしかいけないので、運転ができない旅行者にとっては不便な町です。筆者は、一つの便法としてリスボンから現地出発のバスツアーに乗っかりました。通常の日本人の海外旅行はパッケージツアーがほとんどでしょうから、この日の集団の中の日本人は我々だけでした。日本人にはアルコバッサより、壇一雄(壇ふみの父君)がすごしたというナザレという地名のほうがよく知られているかもしれません。ただ、彼が逗留したのはもっと南の同じような漁村のサンタ・クルスのようで、より有名なナザレで代用されたのかもしれません。

 さて、悲恋の物語ですが、主人公のポルトガル王国のペドロ王子は、カスティーリャ王族の王女と政略結婚をさせられますが、なんと王女の侍女イネスに恋をしてしまったのです。

王女は産後の経過が悪く、若くして亡くなるのですが、国王をはじめ側近はカスティリャ王国を気にしてイネが側室になるの反対しましたが、その反対を押し切って側室に迎えました。しかし、その後国王によってイネスとその子供たちは暗殺されてしまいます。その後、父王とは和解しますが、父王の後を継いで国王となったペドロは、暗殺に関わった者を処刑してしまいます。さらに、イネスの遺骸を掘り起こし、サンタ・マリア修道院に改葬して教会に王女であることを認めさせます。

 ペドロの死後は、遺言により二人の館はお互いに足のほうを向かい合わせにして並べられていて、復活があり、起き上がったときに、お互いが向き合うようにとのことなのです。

 政略結婚をはね除けて、最後まで自分の意思を貫いたペドロの執念には怖さすら感じますが、これを偉いをと考えるのか、戦争ではなく政略結婚で大帝国をを築いたハプスブルグ家を見習って、もう少し大人になれよと考えるのかは、意見の分かれるところかもしれません。そもそも、恋愛結婚といえども、たまたま適齢期にその人を好きになったに過ぎないのかもしれません。政略結婚と同様に結婚の一つのきっかで、恋愛結婚で一生涯愛を貫くには努力がいるでしょううし、政略結婚で愛が生まれないとは断言できません。ただ、この悲恋の話で気になるのは、ペドロの政略結婚の相手のコンスタンサについてあまり語られないことです。彼女にとっても、政略結婚をさせられたことには違いないのですから。

 世界遺産は、この悲恋の物語に対して登録されたのではなく、サンタ・マリア修道院の建物がポルトガル最古のゴシック建築としてすばらしいために登録されています。

修道院の建築は12世紀に始まり、18世紀に改築された正面のファサードがバロック様式である以外、全体的にゴシック様式でまとめられています。正面に立つとファサードはけっこう装飾があって華やかな感じがしますが、中に入るとずいぶんとシンプルです。

 ごてごてと装飾過多の教会もありますが、このシンプルさが崇高さを増幅させています。

 内部から見える庭の緑も、この簡素さと調和して、快いハーモニーを奏でているように思います。

これだけ、簡素な教会の中にあって、ペドロとイネスの棺だけは、ずいぶんと装飾が施されています。おそらく大理石でできていると思いますが、白を生かした繊細な彫刻はゴシックの最高傑作といわれており嫌味は感じませんが、やはり派手のようです。修道院のデザインは神職の趣味、棺はペドロの趣味ってところなのでしょうか。

 教会のファサードは、教会に入る前に目に飛び込み教会の印象を左右する前奏曲のように思います。サンタ・マリア修道院では、ファサードを後世に改修しているので外と中とで印象が異なるようです。文化財を修復するときに、現在の姿のままに修理をするのか、そのものができた時の姿の戻すのかが議論になります。さらに、新しいデザイン手法や技術を取り入れるかどうかも、難しい課題なのでしょう。最近は技術が進んで、かつての姿がどのようであったかを、かなりの精度で推定できるようになったようで、後者の考え方による修復もかなり正確にできるようです。日本の古美術の修復では、現状のままで保存修復されることが多いようですが、先日奈良の新薬師寺で、十二神将に残る顔料を分析して、像ができた頃の色彩をCGで再現するビデオを見ました。現在の像よりずっと不気味で、迫力がありましたが、このような色彩の像が壇上に並ぶ姿は、当面はコンピュータの画面上のみにしておいた方が良いかもしれません。