世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

明治時代の主な輸出品であった生糸を生産し世界遺産暫定リストにも載る富岡製糸場

2008-11-23 15:57:27 | 日本の町並み
 津山には蒸気機関車の向きを変えるために作られた扇形車庫が現役で活躍する産業遺産でしたが、明治時代の貴重な産業遺産として世界遺産の暫定リストにも載せられているのが富岡製糸場です。近代化を急ぐ明治政府によって、生糸生産の一大拠点として建設され、その後の生糸輸出を支え1987年まで現役の工場として活躍してきました。今回は、富岡製糸場を中心に富岡周辺を紹介します。

 富岡市は、群馬県の南部にあって高崎から、ねぎやこんにゃくの産地として有名な下仁田まで延びている上信電鉄を40分くらい乗った上州富岡が最寄り駅となります。上信電鉄は1時間に1~2本くらいでけして便利な所ではありませんが、世界遺産の暫定リストに載ったせいか、かなりの観光客が押し寄せているようです。上信電鉄は上州と信州を結ぶという名称ですが、かつては信州の佐久地方まで伸ばし、現在の小海線の羽黒下駅で接続する計画を持っていたようです。また、この欄でも紹介したいくつかのキャラクタ列車がありますが、上信電鉄でも銀河鉄道999のキャラクタを描いた電車が田園風景の中を走っています。

 富岡製糸場は、駅から700~800mほど南南西方向に歩いたところですが、この道の途中にも古い町並みが点在していて、寄り道をしたくなります。

なまこ壁を持った蔵や、変わったところでは屋上に望楼のある家も見かけました。

 製糸場の中はボランティア・ガイドの方々が、見学者の集まり具合を見ながら適当な集団にして案内してくれます。正面のレンガ造りの写真などでよく見る建物は、アーチの上部に明治5年の刻印がされています。

いかにもどっしりして、存在感のある建物ですが、これは倉庫で、どうりで窓の無い建物なんです。

 賓客の宿舎などを横に見て、20年ほど前まで稼動していた工場内に入ります。

埃除けらしいビニールシートで覆われていますが、遺産というより、動力を入れればすぐ稼動しそうなくらい、綺麗に保存されています。

 製糸の技術を伝えたのは、お雇い外人だったようで、奥まったところに彼らの住居があり、コロニアル風のずいぶんと瀟洒な建物に見えました。

 全国各地から技術を習得するために集まった女工さんは、いわゆる女工哀史的な悲惨な面は無かったようで、ここで学んだ技術を、各地に持ち帰り、それを教授したエリートだったようです。もちろん、お雇い外人のような贅沢な生活はできなかったのでしょうが。
 
 鎖国から目覚めた、明治の日本では、ほとんどの技術は、法外な待遇を与えられていたお雇外人に頼っていたわけです。富岡製糸場の場合は、技術の伝授も受けたわけですが、どこまで最新の技術を教えてもらっていたのでしょうか。教えてもらうより、言葉は悪いのですが、盗んだ部分もあるのかもしれません。教える立場ではない分野では、技術を盗んで、その後の技術発展の中核をなした人物も多かったかもしれません。現在の日本は、工業分野、特にIT分野などでは、技術を盗まれる立場にもなっていますが、最近の理科系離れ、製造業離れの風潮から、ふたたび技術後進国にならないか心配です。