シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

東京電力 信濃川発電所

2018-08-27 | お出かけ

8月15日(水)の午後に清津峡渓谷トンネルを見た後、清津川が信濃川に合流する辺りにある『東京電力 信濃川発電所』(新潟県津南町)を近くの道路から眺められないものかと行ってみることにした。(以前からチラッと見えて気になっていた)

東京電力 信濃川発電所
上流にある西大滝ダム(長野県飯山市)で取水し、約21kmの導水路で水をここまで運んでくる。水圧鉄管の落差は約110m、長さは約360m、内径3.8mで5本あり、発電機も5台。最大出力は181,000kW(177,000kWかも)。
昭和14年に運転を開始し、一般水力において累計総発電電力量が日本一の水力発電所。また、一般水力における年間発電電力量は、現在、電源開発佐久間水力発電所に次いで日本第2位のようだ。

信濃川の対岸まで行ってみると、狭い道路が水圧鉄管の上を通るところまで行けた。その手前の駐車場からの眺め。


鉄管にかかる道路(橋)から見上げる。大きな鉄管はそれなりに迫力があった。


道路反対側から見下げる。建物の中に発電機があるのだろう。


変電所(?)側の様子。


鉄管沿いの道路を上ることができたので、途中まで上ってみた。

 

信濃川の反対側で高い位置から見ると、発電所の全体像が分かり易いと思うのだが・・・。
東京電力のWebサイトに「発電設備ギャラリー」があり、ここの発電所の画像があった。「画像をダウンロードしてご利用いただくことができます」というのでお借りする。

 

さて、歴史を振り返ると、「昭和11年(1936年)に信濃川発電所建設工事が着工となった。翌12年には日中戦争が開戦となり、時代は戦時色を強めつつ電力は国家管理・統制の時代へと入っていった。昭和14年(1939年)、労働力不足と資材入手難に苦しみつつも、着工以来3年3ヶ月の短期間で第一期工事を完成させた。昭和16年(1941年)に全5台が完成し、当時は東洋一の出力を誇った。この年、太平洋戦争勃発。日本軍は真珠湾を攻撃した。」
国策とはいえ、大変な時代に、大変な工事をしていたわけだ。今後は、このような水力発電所が造られることは(環境問題もあり)難しいだろう。

ところで、一般的に“水力発電所”と聞くと、ダム湖があって、そこからの落差を利用した発電所をその直下に置くようなイメージがあると思う。
水力発電の落差を得る方法によって分類すると、そういう水力発電は「ダム式」で、信濃川発電所は「水路式」に該当すると思われる(以下参照)。

水力発電の落差を得る方法による分類
(1)ダム式:水をせきとめるダムを築いて人造湖を造り、その落差で発電する
(2)水路式:長い水路で適当な落差が得られるところまで水を導き発電する
(3)ダム水路式:ダム式と水路式の組み合わせ。ダムで貯めた水を下流に導き発電する
(4)揚水発電式:上部と下部の2ヶ所に貯水池をつくり、電気が多く使われる時、水を落として発電する。電気を使わない時は、下池からポンプで上池にあげる

 

コメント (6)
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