シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

堀のある「永安山 甘棠院」

2012-02-12 | お出かけ

昨日は、幸手市の権現堂堤に水仙を見に行き、その帰りに久喜市にある永安山(えいあんざん)甘棠院(かんとういん)に立ち寄った。
権現堂堤に行くので、ついでに見学するところがないかと事前に調べた時、このお寺には水堀跡があると知り「お寺に堀!?これは見とこう!」と思った次第。

第2代古河公方、足利政氏が当所に移り住み館を寺とした。永正16年(1519年)開院。案内板には「中門前面から寺院の西側及び北側に空掘がめぐらされ、北側には土塁も築かれている。」とあった。(他↓参照)

道路から、まずは立派な「総門」。足利氏の「二つ引き両」の家紋はいたる所で見られた。
門の中から次の「中門」が見える。


総門と中門の間に長い参道があり、正面左側は小さな児童公園になっていて、滑り台などもあった。
歴史を感じる中門を撮りたかったが、門の脇に自転車で来たお婆ちゃんが荷物整理中でなかなか動いてくれない。しかたがないので中門を見上げ山号確認。


その中門脇にお目当ての水堀跡があった。もちろん城のお濠とは規模で比べようもないが、これを周囲に巡らすとなると相当な大事業でしょう。


中門をくぐると境内は白砂が敷かれ、次の「中雀門」までの間は墓地になっていた。
中雀門の塀沿いを墓地の端まで行き、水堀跡を眺める。


門も塀もしっかりしており、全体的には(城館+お寺)÷2といったイメージでしょうか。

中雀門は閉じられていて中に入ることはできない。
先ほどのお婆ちゃんが話しかけてきたので聞いてみると、何かの行事の時くらいしか開けていないそうだ。「国宝とかは県の博物館に預けているけど、他にも宝物が多いので仕方ないわね~残念だったわね。」だって。
中雀門の隙間から本堂を臨む。(1969年に大改修済)


正面右側からも。


足利政氏の墓は五輪塔で甘棠院境内にある。塀の外からは生い茂った常緑樹で全景は難しい。庭園も広いので機会があったら中に入りたいものだ。

(権現堂堤の水仙の様子は『きれぎれの風彩』で。)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする