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シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

松前城の北側は寺町を成していた/福山波止場

2024-09-17 | お出かけ

〔前回からのつづき〕福山城(松前城)の他、北側の神社・お寺の方にも行ってみた。後日調べた事も含め記録しておく。

江戸時代、福山城の背後(北側)に位置する土地に15余の寺社が建ち並び寺町を形成していましたが、箱館戦争の戦火による焼失やその後の火災等によりその多くは現存しておらず、現在は、龍雲寺、阿吽寺、光善寺、法幢寺、法源寺のほか松前藩主松前家墓所が残り当時の面影を伝えています。(出典:函館・みなみ北海道観光ガイド)

福山城(松前城)の広場を挟んだ北側に松前神社があった。

松前藩の始祖である武田信廣公を祀る神社。明治14年に造られ、現在の神明造りの社殿は大正12年総ヒノキ造りで再建されたもの。


法源寺は1469年創建。本堂及び庫裡は、明治元年(1868)の箱館戦争で焼失したが(その後再建)、山門は戦火を免れた。

山門(国指定重要文化財)は江戸時代中期の建立とされ、道内最古の建造物の一つ。こけら葺の四脚門。


法幢寺は1490年創建。松前藩主の菩提寺。松前藩主松前家墓所が隣接する。


松前藩主松前家墓所は、松前藩の歴代藩主やその家族など55基のお墓がある。

石造りの霊廟が多く、北前船交易等により北陸地方からもたらされた笏谷石や御影石などが使われている。(国指定史跡)


龍雲院(国指定重要文化財)は1625年創建。箱館戦争で焼失を免れた唯一のお寺。

海上航行の安全を司る龍神を祀る龍神堂があるようだ。惣門にも龍がいた。


光善寺は1533年創建。後水尾天皇から山号と法衣を賜ったとされる。

境内には松前桜三大名木の1つで、桜の木の精にまつわる伝説が残る「血脈桜(けちみゃくざくら)」がある。栽培品種「マツマエハヤザキ(松前早咲)」、別名「ナデン(南殿)」の原木とのこと。


阿吽寺は少し離れているので諦め、福山城(松前城)を見た後は海に向かう。
なお、江戸時代末期に築城された松前城とその北側に広がる寺町は、明治以前の北海道の歴史を物語る文化財として、2004年に「福山城(松前城)と寺町」として北海道遺産に選定されている。“北海道”と聞いて思い浮かべることのない光景だけど、北海道の歴史の一端を担う貴重な処に思えた。

道の駅「北前船 松前」のテラスに「北前船と福山波止場」の案内があった。福山波止場は、もともと北前船が発着していた海岸に。松前城が解体された際の石垣を利用して1875(明治8)年までに造られた。

福山波止場は、東側の大松前波止場と西側の小松前波止場があり、岸から突堤が伸びている。下の画は、小松前波止場。遠くに津軽半島が見える。


日没となる頃合い。店の看板に照明。ふと見ればセイコーマートと趣きのある北洋銀行。これは北海道らしい光景だ。


そこそこ歩いて汗ばんだ。約1時間強の散歩は有意義だった。

 

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福山城(松前城):最北&最後&道内唯一の日本式城郭

2024-09-14 | お出かけ

〔前回からのつづき〕8月のお盆明けの週、北海道に社用があり行程途中の松前町の宿に泊まることにした。

北海道最南端に位置する松前町は、江戸時代に最北の城下町として栄え、現在も松前城をはじめとした当時の面影を感じる史跡が多く残っています。北海道唯一の城下町松前で、風情あふれる街並みや松前神楽などの伝統文化にふれてみませんか。(出典:松前町公式観光サイト)

事前にさらっと情報も得たこともあり、せっかくなので福山城(松前城)を観たいものだと考えていた。チャンスは宿(温泉旅館)に着いてから日没まで。おかげさまの好天でラッキー。

宿に着いて部屋に荷を置き、フロントで行き方などを確認する。この時間は既に門が閉まっているが、周りから眺められるとのこと。夕飯は日没後の時間帯を指定し、観光マップを頂いて夕方散歩に出かけた。


マップの右下(南東)辺りから坂道を上がると搦手二ノ門へ。お~立派。


その先の門からお城(天守の内部は松前城資料館)に入れるようだが、営業時間外で締まっている。この時点で17:30頃。
塀沿いに回ろうとしたが高低差もあってなかなか難しく、行き着いたのは裏側(北側)の広場。立ち入れないが天守は近い。夕陽を浴びて眩しい。


この後、北側の神社や複数のお寺などを見てから、再びお城に戻る。
塀越しのお城と本丸御門(国指定重要文化財)。門の石積みが緻密で綺麗だった。


何とか正面側から見れないものかと、スポットを探す。やっとそれらしく見えたのは、石垣の上の狭い通路で格子の隙間から。樹の枝葉が被るけど仕方がないな。


〈福山城(松前城)の歴史〉
1854(安政元)年、幕府に築城を命じられた13代藩主:松前崇廣により、新城「福山城」竣工。日本最北に位置する、最後の日本式城郭となった。
1941(昭和16)年、木造天守と本丸御門、東塀は国宝に指定。
1949(昭和24)年、飛び火により天守と東塀が焼失。
1960(昭和35)年、鉄筋コンクリート製の天守が完成。現在は親しみを込めて「松前城」と呼ばれ、再建した天守は松前城資料館としてオープンしている。

天守が焼失した後、町民の願いもあり、募金活動による寄付金や町費で復興天守が完成した。
お城はその歴史的価値はもちろん、城下町のシンボル。外観は焼失前の姿をできる限り忠実に再現しているという。再建したときは、皆さん嬉しかっただろう。

まだ明るいので、海まで足を伸ばし景色を眺め、海沿いの道路から福山城を見る。(ズームで記録)


翌朝、部屋の窓の(内側)障子を開けたらお城が見えた。前夜は閉めっぱなしで気付かなかったけど、お城ビューの部屋だった。


↑画の左側坂道は昨日上ったところで、屋根は搦手二ノ門かな。手前の連なる瓦屋根はお城に関係なく、駐車場に併設する休憩所&トイレで「ヒストリーオアシス」という。ちょっと立派。

〔つづく。次回は寺町風景など〕

 

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北海道(道南)に行ってきた/千代の富士/津軽海峡

2024-09-09 | お出かけ

8月のお盆明けの週に、社用で北海道に行ってきた。北海道と言っても道南地域(渡島半島の南西側)。函館市は知っているけど、他は・・・というエリアかも。
函館空港から南西側に向かい、松前半島をグルっと回って函館に戻るような行程になるので、車移動だけで4時間~5時間かかる。
函館市内に一泊して、朝からグルっと回ることも可能だが、運転がそれほど好きではないし、長距離運転は疲れるので・・・考えた。行程の途中まで行って一泊することにしよーと。宿を探したところ松前町なら旅館があると分かったので予約した。

空港近くでレンタカーを借り、そこから直ぐに自動車専用道路・高規格道路になる。行きも帰りも函館市街地は通らない。木古内で一般道路になり、海沿いから山中、また海沿いに出る辺りで・・・相撲のぼり旗が!道の駅『横綱の里 ふくしま』だった。


道路を挟んで『横綱千代の山・千代の富士記念館』がある。福島町出身の2人の偉大な横綱を讃える記念館だ。


北海道出身で初めて力士の頂点にのぼりつめた第41代横綱:千代の山、相撲界初の国民栄誉賞に輝いた第58代横綱:千代の富士(↓左側の像)。


千代の富士は偉大でカッコイイ大横綱。館内も面白そうで見たいところだが、先を急ぐことにする。

 

海沿いの道を南下していく。白神岬灯台を右手に見て進むと、『白神岬展望広場』というトイレ併設の駐車場があった。


この辺りは北海道の最南端。ということは目の前の海は津軽海峡で、その先に見えるのが津軽半島 ♪ごらんあれが竜飛岬(たっぴみさき) であろう。


歌われる「竜飛岬」は愛称で、正式名は「龍飛崎(たっぴざき)」だという。龍飛崎は有名な観光地でしょうから、そこから北海道を見た方は多いかもしれないけど、逆は少ないかも・・・なんて思ったり。

西側の光景。午後5時前の太陽が眩しい。中央左側に島がある。マップで確認すると「小島」だと思われる。


砂浜に降りれるようだ。岩場もあって海はキレイ。その岩の上に・・・、


カモメ(セグロカモメ?)がポツンと。孤高のカモメ。


北海道最南端の白神岬は、渡り鳥にとって本州までの最短ルート。当地は「渡り鳥のサンクチュアリ」とも呼ばれているらしい。

ここまで来たら、宿泊地までもうすぐ。〔つづく〕

 

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南魚沼市で「ガンダムマンホール」み~つけた

2024-09-04 | お出かけ

8月9日(金)に古民家ホテル『ryugon』へ行くことを決めてから、ついでに立ち寄れるところはないか?と探した。車で行くので関越自動車道の最寄りICは六日町ICだが、手前の塩沢石打ICでも良い。その間でどこかにと。雲洞庵とか、外山康雄「野の花館」とか・・・。 そして、オッと思ったのが、「ガンダムマンホール」の設置場所が決定し、その設置日が8月7日というニュース。行く日には設置済みだ。なら見ていこうと思った。特にガンダムファンではないけど、日にちのニアは何かの縁かと。

バンダイナムコグループ「ガンダムプロジェクト」が企画する「ガンダムマンホールプロジェクト」では、全国の自治体と協力し、国内活性化と全国の世代を超えたガンダムファンとの絆を表す取り組みとして、ガンダムデザインのオリジナルマンホールの設置を進めています。その寄贈プロジェクトに南魚沼市が選出され、2つの「ガンダムマンホール」の寄贈を受けました。(南魚沼市のWebサイトより)

関越道を塩沢石打ICで下り、1か所目を見て『ryugon』へ行き、その後に2か所目を見た。特に案内板があるわけでもなく、見ている方もいなかった。私が写真を撮っていると「何かしら」と寄ってくる方はいた。

【1】RX-78-2 ガンダムとコシヒカリ田園風景
道の駅南魚沼「雪あかり」にある農産物直売所「四季味わい館」の角


マンホール越しに見る南側の「憩いの広場」。新しいマンホール蓋の白さが眩しい。

 

【2】YMS-15 ギャンと八海山
南魚沼市図書館 返却ボックスの前(初めての者には分かり難い場所だった)


この日はお盆前の平日で、マンホール設置から間もないので、ガンダムファンはまだ訪れてないかもしれない。でも人気のあるキャラクターなので、来訪を期待したい。
道の駅で地元の豊かさが分かるだろうし、六日町駅に近い図書館はショッピングセンター内にあり、地元の生活にも触れることができるだろう・・・・・と思う。



その「四季味わい館」に、せっかくなので入ってみた。南魚沼産コシヒカリはもちろん様々な野菜も美味しそうだ。他にも、良質な水や米を生かした地酒、米菓、味噌などの加工品も豊富。


通路の歩きながら足がとまった。米菓(アラレ)が山盛りの一画があり、1袋210円、3袋で500円だって。これは3袋買わないと!我が家用のお土産とした。


ここで時間を使ってしまい、2つ目を見てから『ryugon』に行く予定が逆になってしまった。
ガンダムマンホールプロジェクトは、全国に展開しているようだ。またどこかで出会えるかな。

 

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大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024

2024-08-24 | お出かけ

通称『大地の芸術祭』は、越後妻有地域(新潟県十日町市・津南町)の広大な里山を舞台に、2000年から続く世界最大規模の国際芸術祭。3年ごとにトリエンナーレを開催している。

前回も帰省する途中立ち寄りの『大地の芸術祭』作品をとりあげたが、帰省中の8月10日(土)にも、実家から街へ出かけるついでに『大地の芸術祭』の作品を見てきた。
ナカゴグリーンパークでは、広大な芝生を舞台に「動物」をモチーフとした作品などがあった。
作品《トラロープ》は、駐車場から芝生に入る所にあったけど、気付かない方がいるかも。

奥の方には同じ《トラロープ》として、大きなトラがいた。標識ロープを使用しているが、トラにしか見えない。


《うさぎ》は、陶土を用いているようだ。大きい。すくっと立ち、遠くを見つめている。東側を見ているので八海山?


《食事の風景》は、フェンスの網が動物の頭部状に飛び出て、草を食べているように見える。この画では分かり難いかも。


《アニマルピクニック》は、様々な動物が切り絵で描かれているような作品。横から見たら分からない・・・。


カンガルーが大地を蹴って着地する動作を造形した作品。(作品名は不明)


《くるくるさんば》は、廃材?で造形された木馬のメリーゴーランドで音色が響く仕掛けあり。子供でも動かせる。


《Dance of prayer -seeds-》は、カラフルで目をひくが何か分からない。seedsなので種から何が生まれるか?平和かな。


同所には他にも作品が多数ある。過去の常設となった作品もあって、時間があればゆっくりまわりたいところ。(真夏以外で)


「道の駅 クロステン十日町」の隣にある「越後妻有里山現代美術館MonET」では、エントランス周り(入館料不要)でも作品が見られる。
建物内中央に配された《Palimpsest: 空の池》の上に、水上歩道《阿弥陀渡り》が設置されている。歩いていないが、トリックアートになっているらしい。


奥の方に見える巨大なクモの巣状は《Tape Echigo-Tsumari》で、回廊上の方は中に人が入っているのが見えた。


《神獣の猫龍》は、逆さまの頭が猫で体が龍。中国では不吉とされる猫と吉祥の象徴である龍との組み合わせ。


透明で頑丈な水風船を多数組み込んだ作品。1つ1つに周りの景色が映り込み、自分が動くことで表情が変わっていく。


芸術というと堅苦しいし難しく感じるけど、見た目面白く感じれば、それはそれでありかと。
他にも作品はあったが、この後の予定があるので見学終了とした。

〔夏の帰省・・・つづく〕

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十日町:高靇神社には龍の・・・/杉玉と石の芸術

2024-08-20 | お出かけ

8月9日(金)、帰省の立ち寄り2番目(前回の「ryugon」の後)は、十日町市の「高靇神社」および社叢に設けられた「大地の芸術祭」の作品を見に行くことにした。

「大地の芸術祭」に大きな杉玉の作品があることを知ったのが先で、その場所が「高靇神社」の隣だった。といっても、この神社には参拝したことが無いし、存在自体知らなかった。なので両方見に行こうかと。

高靇神社(こうりゅう又はたかおがみ神社)は、十日町市中条の山麓に所在する。
名前の「靇」の字は、雨冠に口を3つ、その下に龍。「おかみ」とも読み、雨や雪など、水をつかさどると信じられている神のこと。

鳥居と横には社名が刻まれた大きな石があった。右の方には池も設けられていた。


スギの巨木は御神木。社叢は市の天然記念物で、十日町市博物館のWebによると直径1m以上のスギは30本あるそうだ。


背の高いスギに挟まれ・守られた石段の上に社殿(拝殿)が見える。


拝殿の一段下は平地になっており、土俵が設けられていた。昔は奉納相撲があったのかな。


拝殿を正面から見上げる。(横から見ると勾配のある屋根)


拝殿の後ろには本殿がある。間は神様の通り道のため立ち入り禁止。


本殿への石段前の狛犬は、獅子に似た霊獣ではなく龍(の頭部像)。龍神様を守る神の使いは、やはり龍なのでしょう。

 

「大地の芸術祭」の作品がある場所は、合祀した十二社の跡地のようだ。
突然現れた直径5mの杉玉は存在感ありあり。タイトル『ここにおいて 依り代』


杉玉の真下に樹が植えてあり、しゃがんで近づく。プレートが掛かっており「2022年7月30日植樹 御神木」と記されていた。


内側は縦に抜けている空洞だった。立つと杉に包まれた。


一段上がったところに、手水屋のような屋根がかかり、中心に石の彫刻。『MAN ROCK V』というタイトル。


信濃川の石を用い、石本来の造形を生かしながら、抱きしていているような人形が刻まれている・・・ということを後で知った。


短時間だったけど、特異な様相の神社と自然を活かした芸術作品は面白かった。この後、実家に向かった。

〔夏の帰省・・・つづく〕

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六日町:ryugonの【デイユース】で癒され和らぐ

2024-08-16 | お出かけ

8月9日(金)~8月11日(日)の二泊三日で帰省してきた。
帰省の際は、車で移動することもあり、どこかに立ち寄ってから実家に着くのが通例になっている。

今回は、新潟県南魚沼市(旧六日町)に所在する古民家ホテルryugonの【デイユース】を利用することにした。位置的には、越後湯沢駅から車で約30分北上したところにある。六日町ICから6~7分。
『龍言』は、建物群の大半が今から約200年以上前の庄屋や豪農の館を移築したもので、民俗建築を今日に伝える重要な役割を果たしている。
2019年に『龍言』は、豪雪地帯の風土を体感してもらうための宿『ryugon』として生まれ変わった。克服すべき対象だった「雪」を、価値へと転換するための工夫が凝らされている。

正面入り口は荘厳な屋敷の趣き。(道路を挟んだ反対側に駐車場がある)


門をくぐると、左側には土間クッキングスペースやカフェ・ショップの棟があり、右側の奥がホテルへの入口。


【デイユース】は、12:00~15:00の3時間、天然温泉とラウンジが利用できるプラン。この時は2,750円/人。飲物・スナック、タオル付き。
写真撮影はOKとのことで、せっかくなので記録する。チェックアウトとチェックインの隙間時間を活用しているので、人が少なく自由に過ごせた。

ラウンジには囲炉裏が設けられていた。カウンターにあるレモン水とコーヒー、スナック菓子を頂く。


こちらのラウンジは内側に落ち着いたカウンター。外向きには背面の高いソファ。テラスにも出られる。


和室の建具は見応えあり。テーブルは余裕のある配置。天井が高い。縁側?ソファで妻の風呂待ち。


大きく円いソファが置かれた部屋もある。ソファは固めで中央が高くなっているので背中をつけるのも良い。こちらも天井が高い。


大浴場へは畳の廊下を移動する。回廊になっている?庭を眺められるところは嬉しい。


大浴場は木造平屋土蔵造りの風情ある浴場&露天風呂。坂戸山の麓に抱かれた豊かな自然を眺めながらゆったり。独り占めだった。

昔から六日町インター近くに看板があり、一度は泊まってみたいと思いつつも、費用を調べたら敷居が高すぎだった。今回は雰囲気を味わえて良かった。機会があれば真冬にも利用したいものだ。

〔夏の帰省・・・つづく〕

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長崎市:クリームソーダ、帰りの事、ホテルの事

2024-06-26 | お出かけ

*前回までの日記で、路面電車の乗り降りするところを「駅」と記していたが、路面電車の場合は「停留場」であり、略して「電停」と呼ぶ。ということを知り(長崎駅以外を)修正した。

〔一泊二日 長崎市の旅。旅行記&備忘録つづき〕
二日目の5月25日(土)、眼鏡橋を見た後は・・・喫茶店探し。この日も朝からよく歩いたし、そろそろ一服したかった。スマホで検索し向かう、1軒目は休みでがっかり、2軒目は営業中!電停から離れたけど仕方がない。

メニューを見ていると、妻はクリームソーダにするという。そっそれは・・・懐かしい。私も便乗することにした。供されたグラスにはアイスが2つ入っていた(最近はこうなのかな)。まずはストローで一口飲む・・・が原液だった~。そうだ、最初にかき混ぜないと。


クリームソーダをいただき、水も飲み、一服し、落ち着いた。
この後どうするか?妻は「もう充分。疲れたし」と。それもそうかと。早めに空港に行って、時間があればそこで休憩しよう~となった。空港バスは新地中華街にあるバスターミナルを利用することにした。

路面電車に乗り「新地中華街」電停へ。昼に出島へ行く時に土産屋があったので、大通りを渡って立ち寄ることにした。戻りも大通りを渡ったので、この日3回渡ったことになるが、3回ともしばし立ち止まることになった。
この大通りには横断歩道があるけど信号が無いのだ。車にバス、路面電車と交通量は多いのにだ。しかし、見ていると地元の方?は普通に歩きだし、車は立ち止まる。横断歩道だから当たり前かもしれないけど、それなりに道幅もあるので感心した。

土産屋には、カステラが幾種類もある。妻が迷っていると「切り落としがお得ですよ。味は変わりませんし」と店員さん。小さめサイズでリュックに入れるのにも良さそうで購入。他には、焼きあご煎餅、私用あご一夜干し等々購入。

土産を買い、バスターミナルで待ち時間を過ごし、空港でもチェックインした後で休憩。
飛行機の出発は18:15。羽田ではずいぶん遠い所でバスに移され、到着口まで20分近くかかった。
自宅最寄りの駅に着いたのは22:00頃。サイゼリアで遅い食事と赤いのを軽く飲んで帰った。



最後に、訳あり(?)で利用したホテルのことを記しておく。
FAV LUX 長崎』というホテルで「大浦天主堂」電停から徒歩2分。今年の2月開業。
 公式サイト https://www.fav-lux.com/hotel/nagasaki/
スタイリッシュなデザインで定員4人の部屋が多く、バンクベッドのある6人の部屋もある。我々は2人なのでキングベッドの2名用。


インバウンド需要に応えるに十分なキッチンがあった。(部屋によっては乾燥機付洗濯機もあるようだ)


朝食は1階にある、長崎で人気のベーカリーカフェ「JUNE COFFEE」を利用し、テラスでいただいた。


なお上階には、ハイスペックな貸切サウナがある。それなりのお値段なので我々は利用しなかったけど、サウナの好きな家族・グループが利用するのは良いだろう。

〔一泊二日 長崎市の旅。旅行記&備忘録。了〕

 

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長崎市:長期復元整備中の「出島」~治水と共に「眼鏡橋」

2024-06-22 | お出かけ

〔一泊二日 長崎市の旅。旅行記&備忘録つづき〕
二日目の5月25日(土)、新地中華街でのランチ後は、出島へと歩いてゆく。

鎖国時代、日本と西欧を結ぶ唯一の窓口であった出島は、交流拠点として日本の近代化に大きな役割を果たした。しかし、幕末に日本が開国すると出島の役割は終焉を迎え、明治期からは周辺の埋め立てが進み、海に浮かぶ扇形の原形が失われた。
1951(昭和26)から出島の復元整備事業に着手。最終的には四方に水面のある19世紀初頭の扇形へと完全復元を目指し復元整備が進められている。

現在、川に架けられた出島表門橋(2017(平成29)年架橋)を渡って、復元された表門から出入りする。


前日のバスガイドさんが言うには、新しい橋は趣きのある当時の石橋のイメージを期待していたようで、鉄骨の橋がクレーンで架けれた時は少しガッカリしたそうだ。でも、現代の技術の活かし、出島側の石積みに負荷がかからないよう、そのままなら片持ちで維持できる構造らしいのでエライものだ。

正面向かって右側が復元ゾーン、左側が交流ゾーンで明治期の洋館も活用している。


現存する江戸や明治の石積みを守りながら、景観に調和した護岸整備が行われた。


出島の中には、1820年頃の出島を15分の1サイズで表現した「ミニ出島」がある。200年以上の歴史がある出島のひと時。


当時の出島で最も大きい建物は「カピタン部屋」で、オランダ商館長(カピタン)の事務所兼住居。2階の広間では阿蘭陀冬至(クリスマス)の宴の席などが再現されていた。


裏には「乙名(おとな)部屋」という、日本側の貿易事務や管理を担当していた出島乙名が拠点とした建物。乙名は出島の町長さん的な役人。ここだけは日本的。


出島の東西を繋ぐ通り。復元ゾーンから交流ゾーンを見る。


旧長崎内外クラブ」は、1903年に長崎に在留する外国人と日本人の親交の場として建てられた。1Fはレストラン。訪問時は貸し切りで利用できないと入口で案内があった。


↑画は通り沿いではなく旧出島神学校との間の広場から撮影した。
その近くに「デジマノキ(コパールノキ)」という大木があった。オランダ人が幕末にジャカルタから移植したもので、日蘭交流の貴重な記念樹となっている。
取り上げ所満載の出島だが、この辺にしておこう。
今後の復元状況の進展は気になるので、時々公式Webサイトをながめつつ、数年後、十数年後を楽しみにしていたい。


この後、眼鏡橋へ行くため路面電車を利用することにした。路面電車に乗ることも観光の一つ。路面電車や前日利用したバスもSuicaが利用でき便利でスムーズ。ただ、個人的には通勤感が湧かないでもないので少し味気なかったり。(かといって小銭の用意もなかったけど・・・)

眼鏡橋の下流に架かる袋橋から眼鏡橋を見る。水位が低いので川縁の歩道散策や飛び石の上で記念撮影する方もいた。


眼鏡橋は、現存最古のアーチ型石橋の一つで、国指定重要文化財。川面に映る影が双円を描きメガネに見えることからこの名前がついたと言われる。


階段で川縁に降り眼鏡橋まで行く。水はキレイで、小魚がけっこういるな~という印象。
1982(昭和57)年の長崎大水害で一部崩壊したが翌年復元された。橋長22m、幅3.65m、歩行者専用の人道橋だ。


歩道沿いの案内板を見ると、ここ中島川には幾つも橋があり石橋も多そうだ。それと山裾に多数のお寺が並ぶ。平地の少ない長崎の街づくりを表しているように思えた。

後日マップの航空写真を見たところ、お寺の背後の山の斜面が全面墓地として造成されていて驚く。そういえば前夜に稲佐山からハート形の灯を見たが、墓地を利用しているとバスガイドさんが言っていたのは、ここかもしれない。

歩道は幅があり植栽やベンチもあって細長い公園のようだった。アジサイは市の花ということもあり、珍しい園芸種が多数。


電停に近い常盤橋から上流を見る。橋は袋橋だが、それよりも川の左右の暗渠!?が目にとまる。


気になるので調べてみた。1982年の長崎大水害で未曾有の被害を被った後、当地では重要文化財「眼鏡橋」を残したまま如何に治水するかが検討された。そして、川を拡幅する方法として、両岸にトンネル水路(バイパス)を設置し暗渠にし、その上を道路や公園として整備したという。
眼鏡橋の上流の橋の先で川の水を水路に逃がし、常盤橋の手前で戻すわけだ。橋を守り治水するとともに公園もでき・・・素晴らしい。

ところで、眼鏡橋・錦帯橋(山口)・日本橋(東京)は、日本三名橋と呼ばれるそうだ。
眼鏡橋や錦帯橋に比べると、日本橋は歴史があっても首都高に覆われ風情がない・・・と皆思うことでしょう。
この日本橋も再生計画が進んでいる。首都高を地下化するわけだが、長崎の出島を倣って昔の面影を取り戻してほしい。

〔オマケであと1回、つづく〕

 

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長崎市:グラバー園~オランダ坂~新地中華街

2024-06-17 | お出かけ

二日目の5月25日(土)、ホテルを9時にチェックアウトし、グラバー坂を上り、大浦天主堂の前を通って、グラバー園に入る。ホテルに近いし、長崎初心者としては見ておくべきであろうと。


Mapを見ながら見て回るコースを考える。第1ゲートから入ったけど、今日の予定からすると第2ゲートから出たい。


まずは、国の重要文化財で世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産でもある旧グラバー住宅。1863年に建築された現存する日本最古の木造洋風建築。グラバーと息子の二代が暮らした。

グラバーは、日本でグラバー商会を設立し、近代的な技術を用いた修船場や石炭の採掘の開設に携わった。また、街中で記念碑を見たが、日本で最初に蒸気機関車を走らせたのもグラバーで、長崎でのこと。(営業運転というこでは、7年後の新橋~横浜)
室内は当時の様子が再現されている。

温室もあり、植物に囲まれた暮しをしていたという。
リンガーはイングランド出身で、来日したのは・・・何と21歳。そのことにも驚いた。


長崎のもう一つの世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つは前を通った大浦天主堂。何と!2つの世界遺産がお隣同士にあるわけだ。

旧ウォーカー住宅は、近くの元所在地から洋風の意匠を残す部分のみが移築された。

全ての旧宅は当時の写真などを参考にしていると思われるが、ここの室内は他に比べギュッとしたいた。


旧リンガー住宅は、1868年に建設。国の重要文化財。親子三代で暮らした。グラバー商会に招かれ、その後ホーム・リンガー商会を設立。戦時中に閉鎖したが、日本人従業員が北九州市門司で再開し社名を継いで現在にいたる・・・繋いでいるってスゴイ。

室内(応接室)の家具・調度品は重厚感あり。


旧オルト住宅(1865年に建設)も国の重要文化財だが、この時は保存修理工事中。
その先に、移築された旧スチイル記念学校がある。1887年に開校。その後、日本の私立学校としても使われた。1972年に市に寄贈され、当地に移築復原。


東京高商(一橋大)、神戸高商(神戸大)に次ぐ第三高商として1905年に設立された長崎高等商業学校(長崎大学経済学部の前身)の表門衛所を横目で見ながら、坂道を上へと進む。

旧三菱第2ドッグハウスは、1896年三菱造船所の第2ドックの建設時に建てられた外国人乗組員用の宿舎。1972年まで使用された後、移築された。
私が生まれた時代には現役だったわけだ。同じ時代に存在していたと思うと、環境の違いを改めて思い知らされる。


手前に展望できるところがあり、そこから遠方を望む。(画はズーム)
北側:赤茶色の屋根は、ミッション系の活水女子大学のキャンパス。その先の高層ビルは、前日にバスの車内で後ろにいたオバちゃんに教えてもらった市役所庁舎。


西側:昨日、夜景見学ツアーで上った稲佐山山頂展望台と電波塔が右上に、手前に「ジャイアント・カンチレバークレーン」がある。(電波塔はけっこう大きいな~と実感)


グラバー園を第2ゲートから出て、グラバースカイロード(斜行エレベーター)で斜面を下る。
大浦石橋通りを渡って、少し行くと長崎孔子廟中国歴代博物館の入口(だけ確認)。


その反対側には、素敵な銭湯。(事前に調べて入りたいと思っていたが、前夜は時間が合わなかった)


そして、目的にしていたオランダ坂。その昔、♪オランダ坂~で始まる河合夕子さんの「蝶々夫人のララバイ」を聞き、どんな所だろう、行ってみたいものだと思っていた。当日記でもとりあげたことがある。叶うものだな。


♪桜吹雪・・・の季節ではないけど、石畳の坂道は洋館と相まって異国情緒がある。
道路沿いには、東山手洋風住宅群や東山手甲十三番館など。眺めると、大浦天主堂や長崎孔子廟中国歴代博物館などが見渡せた。


坂を降りてからは、新地中華街へと足を運ぶ。せっかくなので、ちゃんぽんの店をWebで検索して入店。特製ちゃんぽんと炒飯を頼みシェアして頂く。特に今まで見たことが無い白濁したスープのちゃんぽんは美味だった。


(ホテルの近くに、ちゃんぽん発祥の店として知られる「四海樓」があったけど、食事時間と移動の時間が合わずパスした。)

食後は・・・〔つづく〕

 

コメント (7)
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