草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

鳩山元首相が土下座すべきは日本国民に対してではないか!

2015年08月13日 | 政局

情けないにもほどがある。鳩山由紀夫元首相が昨日の午後、韓国のソウル市内の刑務所を訪れ、そこで土下座したのである。日韓併合の時代に「殉国」したとされる追悼碑の前での出来事で、これには空いた口がふさがらない。今の韓国はやりたい放題である。世界遺産をめぐる嫌がらせ、日本への侵略の野望を露にする中共への接近、世界的な規模でのでっちあげの「従軍慰安婦」のキャンペーン。そこまで我が国がされているのに、ここにきてなぜに土下座をする必要があるのだろうか。そうでなくても韓国は反日であるのに、火に油を注ぐだけなのである。普天間基地の辺野古移設をめぐっても、いい加減なことを口にして、沖縄県民を混乱させた張本人は鳩山元首相であった。「日本は日本国民だけのものではない」と公然と言い切ったのは、念頭に韓国のことがあったからだろう。日本国民とってはいい迷惑である。高山岩男が『教育哲学』で述べているように、国家の目的は最低限度において「国民生活の安寧の確保、国民社会の秩序の維持」「外よりの脅威、侵略等に対する国民の安全の保障、国家の独立の保持」「国民の繫栄・福祉の増進、国民の文化・教育の発達向上」である。あくまでも国家国民が第一なのである。しかし、鳩山元首相にはそうした意識はない、韓国と日本は同等なのである。そんな人間を政治指導者にしてしまったから、日本は取り返しが付かない事態になってしまったのだ。無節操、無責任な鳩山元首相の行動は、我が国の国益に背く行為であり、糾弾されて当然なのである。

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

床屋政談レベルの「大衆」に媚を売るマスコミと知識人を嗤う!

2015年08月12日 | 思想家

嫌な感じがする。正面切って平和安全法制関連法案を批判するのではなく、大衆受けするようなレッテル貼りが横行している。得体の知れない大衆という存在を無視しては、政治を行うことはできなくなっているのだ。オルテガは『大衆の反逆』(桑名一博訳)において、大衆が政治を専門家に任せていた「自由主義デモクラシー」ではなく、大衆が主人公になった「超デモクラシー」の危機を論じた。「自分たちには喫茶店の話から得た結果を社会に強制し、それに法的な効力を与える権利があると思っている。私は、われわれの時代におけるほど群集が直接的に支配権をふるうようになった時代は、歴史上かつてなかったのではないかと思う。それだからこそ、私は超デモクラシーについて語るのである」。一知半解にもかかわらず、あらゆることに口を出したがるのである。そして、マスコミも世論なるものを根拠にして、政治を変えることを当然視している。大衆を絶対化すれば、国は誤った方向に向かうことになるのに、歯止めがなくなっているのである。私的な領域に関心事がとどまり、崇高な価値を追い求めない者たちには、最良の判断は困難なのである。オルテガもそのことを明確に言い切っている。「すぐれた人間は、自分の生を何か超越的なものに奉仕させないと生きた気がしないのいだ。したがって彼は、奉仕しなけれなならないことを圧迫だとは考えない。たまたま奉仕する対象が欠けると不安を感じ、自分を押さえつける、より困難で、より求めることの多い新しい規範を発明する。これが規律からなる生、つまり高貴な生である」(『同』)。知識人までもが大衆に媚を売っているのは、あまりにも愚かである。今回の反対運動の根本にあるのは、法案の良し悪しではなく、大衆の単なる暴走なのである。だからこそ議論にならないのであり、嫌な感じがするのである。

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中共と韓国との急接近に対抗するためにも日米同盟の強化を!

2015年08月11日 | 安全保障

歴史は繰り返してはならない。日米戦争の原因はアメリカが当時の中華民国を後押ししたからだ。軍事顧問団まで派遣したのである。その結果どうなったか。最初から戦意がなかった中華民国は、八路軍と呼ばれた中国共産党に支那大陸から追い出されたのである。そして、直接アジアの国々と対峙するようになり、アメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争と突き進むことになった。日本をもっと大事にしていたなら、アジアはもっと違っていただろう。韓国の朴槿恵大統領が9月3日に北京で行われる抗日戦勝記念式典に出席するという。日本と共に戦って敗れたのが韓国である。間違っても戦勝国ではない。戦後の自分たちの歩みを正当化するためであり、日本への嫌がらせでしかない。日本やアメリカよりも中共を選んだのである。今のオバマ政権も不快感を露わにしている。平和安全法制関連法案に反対しているのは、世界中で中共と韓国くらいである。世界の国々はあたりまえのことと思っている。「戦争法案」とは考えていないのである。安倍首相の決断は歴史から学んだのである。日米が結束すればアジアの平和は維持できる。アメリカもそれを望んでおり、かつての敵は今は友なのである。日米同盟に水を差しているのが、日本のマスコミである。「アメリカの戦争に巻き込まれる」とキャンペーンを繰り広げている。中共や韓国の代弁をしており、沖縄の米軍基地への嫌がらせの、後押しまでしている。日本とアメリカは二度と戦ってはならない。それによって失ったものがあまりにも大き過ぎた。それは未来においても同じなのである。とくに、韓国は中共との関係を強めている。看過できない事態になっているのだ。戦争を防ぐためには、日米同盟の強化以外にはないのである。

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

靖国の根本にあるのは「招魂慰霊」の日本人の信仰心だ!

2015年08月10日 | 思想家

終戦の日の8月15日が迫ってきたが、この日に靖国神社に参拝する日本人も多い。国のために命を捧げた者たちを慰霊するためである。しかし、そうした日本人の信仰心は、キリスト教や仏教のような教義において確認されるのではなく、そうせざるを得ない力が働くのである。加地伸行は『新世紀の靖国神社』に収録された「靖国参拝何がいけないのか」の文章で、その点をわかりやすく論じている。日本を含めて東アジアに共通する死生観は「招魂慰霊」である。死者を丁寧に埋葬し、土葬し、慰霊を続けることであり、それを体系化したのが儒教である。死者を招くとは天の魂と地の魄とを呼び寄せることである。日本ではそれが神道や仏教に影響を及ぼした。日本仏教では盆などの法事の折、仏壇において祖先の霊を呼び降ろして出会い、墓参して祖先の魄(白骨)を呼びあげて出会う。ともに慰霊である。これに対して、靖国神社が行っているのは、死者の魂についてなのである。国家的な意志の下に戦死した英霊への国家的敬意なのである。それは全国戦没者追悼式も同じである。祭壇中央に強大な憑り代が建てられているのが、それを象徴している。あくまでも式典は一日に限られているために、常日頃は靖国神社への参拝となるのである。しかも、日本人の場合は仏教が大きな比重を占めており、死者は平等なのである。戦没者を祀る季節がめぐって来たが、日本人の宗教性に立脚した靖国神社を否定することは、取りも直さず日本を否定することなのである。

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中曽根元首相のように「侵略」を明言することは死者への冒涜だ!

2015年08月09日 | 政局

中曽根康弘という政治家は、若い頃は憲法改正を歌にまでしていた。しかし、その実は日本を駄目にした政治家の一人であった。大東亜戦争が「侵略」であることに異常にこだわるのは、何か中共に掴まれているからだろう。風見鶏と評されたように、時代に流れにうまく乗ってきたといわれる。田中角栄がロッキード事件で逮捕された際にも、中曽根は背後に石油メジャーの力が働いたことを『天地有情ー五十年の戦後政治を語る』で書いているが、政治家としては、一度としてアメリカに刃向ったことはなかった。大国の力には物申せなかったのである。胡 耀邦の立場を危うくしないためにとかの口実によって、昭和60年に中共が靖国参拝を批判したのを考慮したことが、今日のぶざまな状態を生むにいたったのである。それ以降は日本の総理大臣による靖国神社参拝は困難になったわけだから、英霊の思いを踏みにじった当事者なのである。八月は日本人にとっては、七十年前の思いを新たにする季節である。長谷川三千子は小堀桂一郎との対談(「日本の息吹」平成十三年九月号「小泉首相の靖国神社参拝をいかに考えるか」)で「英霊を祀るということは、本来祀る側の姿勢としては、自分も『後に続きます』という決意がなければ成り立たないものではないか」と述べていた。日本の過去をことさら否定することは、国のために命を投げ出した英霊への冒涜であり、中曽根という政治家はその程度の政治家でしかなかったのである。

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

核攻撃からの日本防衛にとって足枷になるのが非核三原則だ!

2015年08月08日 | 政局

去る6日の広島の平和式典で安倍首相が非三原則に言及しなかったことは、日本の安全保障上、それを持ち出すことの無意味さを知っているからだろう。いかに防衛力を増強しようとも、最終的には中共や北朝鮮の核ミサイルの攻撃には、手の施しようがないのが現実である。これに対して我が国が取りうる選択肢は限られている。一つは核武装であり、もう一つはアメリカ軍の核兵器を自分たちの管理下に置くことである。中共や北朝鮮からの核攻撃に、問答無用で報復することが決まっていれば、いくら何でも両国が核ミサイルのボタンに、手を触れることはないだろう。これまでは日本が唯一の被爆国であることから、その惨禍を繰り返さないことを世界に向かって表明する機会として、広島の平和式典は意味があった。しかし、それではすまなくなっているのである。核武装が困難である状況にあっては、アメリカの核兵器の運用に対して、日本が発言権を行使できるようにしなくてはならない。その観点からすれば、非核三原則にこだわるのは、誤ったメッセージを他国に発信する危険性がある。日本自身が核兵器を持たなくても、日本国内にあった方が、抑止力としては効果を発揮するからである。日本がアメリカの核の傘を頼りにするのであれば、そこまで配慮する必要があるのではないか。安倍首相の発言をめぐって、野党やマスコミはいつもの反応に終始しているが、日本の安全保障政策はしたたかであるべきであり、それでしか我が国は生き残ることができないのである。

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

満州で五族協和を夢見た日本人を支持した孫文!

2015年08月07日 | 政局

安倍首相の戦後70年談話がどうなるかが注目を集めているが、あくまでも政治的な判断をすることになるのだろう。自分の国の歴史を語るにあたって、他国へ配慮せざるを得ない日本は、何時になったら敗戦のどん底から立ち直ることができるのだろう。それに先だって戦後70年談話の有識者会議の報告が行われ、満州事変以後を「侵略」と明記する提案があった。辛亥革命を立役者であった孫文自身も「中国の革命というのは、万里の長城以南のことで満州の地には及ばないだろう」と語るのが常であった。日本人の多くが満州に雄飛するのを夢見たのは、そうした背景があったからである。実際に清王朝は満州を自分たちの故地であることから、漢人の自由な移住を禁止していた。およそ600万人ともいわれた人口の半分以上は満蒙人と目されていた。しかし、清王朝が倒れるとともに、満州における漢人の力は飛躍的に増大した。これによって日本の思惑は根底から崩れてしまったのである。さらに、漢人の背後にあったアメリカとイギリスが、白人による植民地政策を棚に挙げて、「満蒙の権益を奪い返せ」との漢人のナショナリズムを煽ったのである。日本の政治指導者が真実を口にすることが、国益を損なうこともありうる。安倍首相は苦渋の決断をするしかないのだろう。安倍首相を支える私たちも、それを諒とするしかないだろう。そこまで譲歩したとしても、中共の代弁者となっているマスコミは、安倍首相攻撃の材料を見つけるのに必死なのだから。じっと今は耐えるしかないのである。

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女性を味方に付けようと必死に媚びている共産党を嗤う!

2015年08月06日 | 思想家

女性への働き掛けを強めているのが共産党である。平和安全法制関連法案に反対する割合も、男性より圧倒的に多い。しかし、女心は移ろいやすいのであり、したたかなのである。と前々から歌って踊ってのやり方を重視しているだけあって、若い女の子を手なづけようともしている。デモの人寄せパンダに利用すれば、若い男の子も釣られて集まってくるからだろう。「女の顔と同様に、我々はいとも容易に、イエスの顔も引き出すことができるのである」(『復興期の精神』)と花田清輝は書いていたが、論理ではなくて、自分の心を許した人間に成り切ってしまう才能は、男性に比べて格段に上である。「戦争」という言葉を聞いて、我が子や夫が駆り出されるとの被害者意識が頭をもたげるのだろう。それは自然な感情ではないかと思う。それでいて女性は共産党も信じてはいない。あくまでも一部分だけであって、まるごと認めているわけではない。共産党の支持率が頭打ちなのはそのせいだ。そもそもが好きになれないのである。違和感があるのだ。青筋をたてて罵倒する人間性の悪さを許容す神経は持ち合わせていないからだ。「女は男よりも優秀ではなかろうか」(『恥部の思想』)との花田の一言は説得力がある。女性を手玉に取ろうとしても、それは無理な話なのである。あくまでも女性一般は保守的であり、やっぱり最後は自民党を支持するのである。共産党などはかつてハウスキーパーとして純粋無垢な女性を使い捨てにしてきた。そうした過去を知らない女性を一時は騙せても、人間性の悪さはいつか見抜かれてしまうのだから。

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国家の大事に身を挺する覚悟が若者になければ日本は滅ぶ!

2015年08月05日 | 政局

自民党の武藤貴也代議士への執拗なマスコミの攻撃は、まさしく嫌がらせでしかない。平和安全関連法案の成立を阻止したいがために、言葉狩りをしているのだ。昨日などはどこのテレビ局もトップで取り上げていた。「彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自己中心、極端な利己的考えに基づく」とツイートしたことに、一斉に噛みついたのである。しかし、一体どこに問題があるのだろう。国を守る気概が若者になければ、国家は滅びるしかない。戊辰戦争90周年にあたる昭和32年に、会津若松市は市長名で全国の著名人にアンケートを実施した。そこで白虎隊の死を讃えたのは俳人の高浜虚子であった。「私は嘗て会津には一度行ったことがあります。其節白虎隊の墓に参りました。由来我国民は国家の大事と見ると身を挺して難に赴く気風があります。白虎隊の墓前に立って襟を正さないものはありますまい。が、これからの指導者はよほど心して青年に対さなければなりますまい。併し、白虎隊の心事を悲しむことは誰も同じことでありましょう」。白虎隊が今もなお語り継がれているのは、公の為に身を投げ出したからであり、その純粋さにおいてなのである。シールズに加わって、共産党の指導を受けている若者たちは、仮に日本が中共などから侵略されても、抵抗するのではなく、命乞いをするのだろう。武藤代議士はまだ30代である。あえて批判を恐れず述べた一言は重い。三島由紀夫も「命よりも大切なものがある」と訴えて自刃したわけだから。

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネットに真実を暴かれてもシールズ擁護に必死なマスコミ!

2015年08月04日 | 社会風刺

(シールズの構成メンバー)

ネットでは日共の別働隊 マスコミは一般学生

(シールズの動員力)

ネットでは数百人規模 マスコミは何千人から何万人

(シールズの名称)

ネットでは自由と民主主義は口だけ マスコミは自由と正義を旗印

(シールズ気質)

ネットでは暴言と犯罪一歩手前の言動 マスコミは純粋で非暴力の若者

(シールズの高校生)

ネットではせいぜい数十人 マスコミは何千人

(シールズへの在日の参加)

ネットでは大規模 マスコミは全く触れず

(シールズへの反応)

ネットは冷ややか マスコミは躍起になって擁護

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする