共産主義の幻想が、今日ほど打ち砕かれた時代はないだろう。今もなお共産主義を名乗っているのは中共や北朝鮮などであり、いずれも自由を抑圧する独裁国家である。すでに1991年のソ連の崩壊によって共産主義の世界史的な実験は失敗したばかりでなく、イデオロギーとしても破綻してしまった。1917年のロシア革命の15年後にすでに、シモーヌ・ヴェーユは絶望的な文章を残していた。「実際上の言論・出版の自由はなくて、印刷・タイプ・手書きによる文書の形で、あるいは単なる言葉によってさえ、自由な判断を表現することは、流刑を覚悟しなくては不可能である。ソビエト制度の枠内での政党の活動の自由はなくて、≪権力をもった一党と、獄中にある他のすべての政党≫がある。最高度の献身・自覚・教養・批判的精神を持つ人々を、自由な協力のために集めるべき共産党ではなくて、書記局の手に握られた受動的な道具たる、単なる行政機構がある」(『抑圧と自由』石川湧訳)。いかに本来の共産主義とは無縁な独裁国家であっても、軍隊と秘密警察さえあれば、問答無用で体制を維持できたのである。しかし、それにも限度はある。今はインターネットを通じて誰でも自由に情報を手に入れられる。国民を受動的な立場に縛りつけて置けなくなっており、中共や北朝鮮の崩壊は時間の問題なのである。危惧されるべきは、少数の独裁者と、その取り巻きが自暴自棄な行動に出るかどうかだ。日本を取り巻く安全保障環境が悪化している最大の要因は、まさしくそこにある。これまでも日本をスケープゴートにしてきた中共は、日本に戦争を仕掛けてくる可能性がある。共産主義の理想をかなぐり捨てた独裁国家は、手負いの熊と同じなのである。日本が抑止力を整備すべきなのはいうまでもない。
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