中曽根康弘という政治家は、若い頃は憲法改正を歌にまでしていた。しかし、その実は日本を駄目にした政治家の一人であった。大東亜戦争が「侵略」であることに異常にこだわるのは、何か中共に掴まれているからだろう。風見鶏と評されたように、時代に流れにうまく乗ってきたといわれる。田中角栄がロッキード事件で逮捕された際にも、中曽根は背後に石油メジャーの力が働いたことを『天地有情ー五十年の戦後政治を語る』で書いているが、政治家としては、一度としてアメリカに刃向ったことはなかった。大国の力には物申せなかったのである。胡 耀邦の立場を危うくしないためにとかの口実によって、昭和60年に中共が靖国参拝を批判したのを考慮したことが、今日のぶざまな状態を生むにいたったのである。それ以降は日本の総理大臣による靖国神社参拝は困難になったわけだから、英霊の思いを踏みにじった当事者なのである。八月は日本人にとっては、七十年前の思いを新たにする季節である。長谷川三千子は小堀桂一郎との対談(「日本の息吹」平成十三年九月号「小泉首相の靖国神社参拝をいかに考えるか」)で「英霊を祀るということは、本来祀る側の姿勢としては、自分も『後に続きます』という決意がなければ成り立たないものではないか」と述べていた。日本の過去をことさら否定することは、国のために命を投げ出した英霊への冒涜であり、中曽根という政治家はその程度の政治家でしかなかったのである。
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