安倍政権を倒すために手段を選ばないためもあって、安保法制関連法案について、民主党までもが「戦争法案」とかレッテルを貼っている。そこで問題にすべきは「戦争」そのものの定義である。クラウゼヴィッツの『戦争論』(日本クラウゼヴィッツ訳)を無視すべきではないだろう。クラウゼヴィッツは「戦争とは、相手に我が意志を強要するために行う力の行使である」と述べている。今日本に軍事的な脅威を与えている中共は、アメリカとの太平洋の分割を公言しており、彼らにとってはそれを実現するための方策なのである。さらに、クラウゼヴィッツは「戦争」は「極限の力の行使」であることにも触れている。「戦争のようなきわめて危険な状態では、善良な心情から生じる誤りこそ最悪のものであるからである。物理的力を全面的に行使するに際しても、知性の働きは決して失われていないので、この力を容赦なく、しかも流血をいとわず行使する者は、敵がそうしない限り優勢を得るに違いない」とまで書いている。今回の法案において、集団的自衛権の一部容認によっ憲法が許容する範囲をあえて拡大したのは、迫りくる「戦争」の危機に備えるためである。ホルムズ海峡などを除けば、日本近海でのアメリカ軍との連携を強化するのは、中共の軍事的暴発には対抗するには、それしか手がないからである。「戦争法案」と安倍政権を攻撃することで、我が国がやるべき安全保障を否定する人たちは、古典的名著である『戦争論』を読んだことがないのだろうか。
←応援のクリックをお願いいたします。