選挙でネットが解禁になったこともあり、ネットの世界も慌ただしい。これまであまり見かけなかったブログなども、上位にランキングされるようになってきた。それぞれの思惑で、政党や団体がネットでの影響力を競っているのだろう。私のような保守派は、どこにも属せず、当たり前のことを言っているだけだ。自分を謙遜して『管見』なる書物をまとめた人間がいた。同志社を創設した新島襄を手助けした、会津藩士の山本覚馬である。管から世界を眺めても、常識を失わなければ、けっこうまともなことを主張できるのである。覚馬の場合は目も不自由であったわけだから、よくぞ書き上げたと思う。私が保守派を名乗っている理由は簡単である。イデオロギーではなく、本当に実現性があるかどうかで、全てを判断するからである。戦後の日本を支えてきたのは、断じてサヨクイデオロギーではなかった。江藤淳が声を大にして『表現としての政治』で訴えていたが、「生活する実際家たちの努力」がまずあったのだ。これに対して、絶えず日本を窮地においやったのが理想家の幻想であった。ネットで知識や情報の優劣を競っている人がいるが、自称インテリに任せればいいのである。土民大衆である私たちは、常識的な判断力さえあれば、大筋では間違うことはない。江藤は丸山真男の「復性復初」の説を批判していた。朱子学の思想として、本質にたちかえることを批判したのではない。日本が敗北した「8月15日の革命」を主張するにあたって、その説を持ってきたことが気に入らなかったのだ。現実を直視せず、日本を混乱させてきた元凶が丸山やサヨクなのである。
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