草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

弱者の倫理知らぬ西欧人に理解できない日本人の歌心!

2013年06月04日 | 思想家

 祖国を取り戻すことは、かなわぬ夢であるのだろうか。村上一郎が『浪漫者の魂魄』で書いているように、「私歴に即するなら『国』を思うとは、自分にとって、歌を思うことにほかならなかった」とするならば、一体どんな歌を口ずさめばいいのだろうか。政治的な権力闘争の場面で、村上は日本精神から我が身を引き離そうとした。アメリカに代表される占領軍に屈服することは、断じて容認できなかったからだ。村上自身の大東亜戦争を継続するためには、共産党に入ることも厭わなかった。しかし、魂の奥底は違っていた。斎藤茂吉の「あめつちにただひとつなる命さへ今ぞささぐる悔はあらめやも」「直心(ただこころ)こぞれる今かいかづちの炎と燃えて打ちてしやまむ」といった歌に執着したのは、バタ臭いサヨクには、馴染めなかったからだ。古から今まで、日本人は歌の優劣を競ってきたのではない。行動へと駆り立てる情念が結晶化したのである。羅針盤なき時代にあって、日本人の叫びを託せるのは歌だけである。塚本邦雄の「日本しずかに育ちつつあり木に干してちぎれたる耳のごとき子の沓(くつ)」の歌についての解説で、村上は「木に干してある子の沓に、日本のそだちをーその疎外進行の裡でのー悲しみ目守る心は、果たして強者の心のみ知って弱者の倫理を知らない西欧人に伝え得るだろうか」と疑問を呈した。日本を日本たらしめるために、日本人が行動するにあたって拠り所となるべきは、歌心ではないだろうか。

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市民レベルでの反韓の動きを公平に報道すべきだ!

2013年06月04日 | 祖国日本を救う運動

 反韓の動きが日本にもあることを、マスコミは何年にもわたって黙殺してきた。存在しないかのように扱ってきた。しかし、行動する保守のデモに毎回何百人単位で参加するようになり、韓国人のたまり場と化した新大久保でデモが行われるようになると、ネガティブキャンペーンをするようになった。取り上げ方が一方的であることで、ネットでは行動する保守に同情の声が上がっている。ヘイトスピーチとからめて批判すれば、簡単に消滅すると馬鹿にしているのだろうが、そんな単純なことではない。なぜ反韓なのかを当事者に取材すべきだろう。在日韓国人が日本の裏社会を支配していることは、まぎれもない事実である。日本中パチンコ屋だらけであり、それを牛耳っている。暴力団や街宣右翼の構成員も、圧倒的に在日韓国人である。それでも日本人はこらえてきた。危機意識を抱くようになったのは、民団の応援で民主党が政権を獲得し、永住外国人への地方参政権の付与法案が、国会で通る可能性があったからだ。昨年暮れに自民党が政権に復帰したことで、かろうじてそれは阻止されたが、その辺の経過をどうしてマスコミは伝えないのだろう。もっとも重要なことは、在日韓国人が戦勝国のように、横暴な振る舞いをしてきたことだ。にもかかわらず、政治はそれを放置してきた。疑問を感じた国民がネットを通じて集まり、勇気を持って立ち上がったのである。私は行動する保守の意見に耳を傾けるべきだと思う。彼らを排外的な行動に追いやるのは、マスコミが聞く耳を持たないからなのである。

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