戦時中の配給について、昭和18年(1943)当時の社町社区の文書綴に綴じられている凍豆腐の配給に関する通知を紹介します。
凍豆腐、私達は高野豆腐と呼んでいますが、これも配給だったんですね。この歴史ブログでは配給についていろいろ紹介してきましたが、あらためて70年余り前の戦時中の厳しい物資の状況を知ることができます。この通知に添えられている配給一覧を見ると、各組、社区には21の組がありましたが、高野(豆腐)、海苔、鶏卵、油揚、菓子、盆酒の配布量(数)が記入されています。
昭和十八年八月十二日
社町役場
社区長殿
凍豆腐配当ノ件
今般一般家庭用豆腐ヲ配給致ス事ニ相成候条貴部内左記ノ通リニ付配給要領ニ依リ配給相成度及通牒候也
記
一、貴区配当量 三一五〇個
一、配給要領
1.配給ハ農家ニシテ自家用凍豆腐ノ委託加工ヲナシタル家庭ヲ除ク其ノ他家庭ノ分ト合シ大体見積リニヨリ割宛タルニ付貴区ノ状態ニ依リ適宜配分相成度
2.割当ハ別記ノ人員ヲ基礎トセリ
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