メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

レナード・バーンスタイン生誕100年

2018-12-29 09:37:04 | 音楽
今年はレナード・バーンスタイン生誕100年ということで、様々な企画があったが、誕生日の8月25日、強いつながりがあったタングルウッド音楽祭で記念演奏会が催され、その模様が12月にNHK BSで放送された。
 
番組では演奏会の前に、この人の生涯について、1時間ほどのドキュメンタリーがあった。全体としてほぼ知っていることではあったが、二人の娘と息子による会話にあわせて、あまり隠した感じなしに生涯を的確にまとめていた。
 
生まれつきの才能はあったが、クラシック系の現代作曲家として、苦労しているとき、おなじみの「ウェストサイド・ストーリー」の話が舞い込む。この機会というのは多くの人が想像するように、一気に表舞台に飛び出たものであったが、同時に良くも悪くもその後の半生を縛ることになった。それを自らの路線には出来ず、だからと言ってその後の「ミサ」などで評価を得ることは出来なかった。
 
また「ウェストサイド・スト―リー」をクラシックのオーケストラ、オペラ歌手でやるという企画、これは私もCDで聴いたことがあるが、作曲家本人がの望みどおりやったからといって必ずしもうまくいかない、という見本のようなってしまった。映画版を監督したジェローム・ロビンスは企画に反対したそうだ。
 
またよくしられていることだが、この人が同性愛を妻に隠そうとしなかったこと、それによる破局が子供たちからも赤裸々に語られた。これはアメリカならでは、と言ったら偏見だろうか。それと私から見ると極端なヘヴィー・スモーカー、1日100本だそうで、これだけ映像に残っているのは、あと将棋の升田幸三くらいだろうか。
 
さてそれでも記念演奏会を見てもわかるとおり、多くの音楽家に愛され、また多くの若手を育てた。私の印象では、どちらかというと感情、パッションを表に出した、もちろんそれは的外れのものではないのだが、演奏が多く、ライヴでは聴いてる方も乗るが、スタジオ録音では必ずしも完成度が高いとは言えなかったように思う。マーラーだとそれはあまり目立たなかったが。
 
若い人たちのオーケストラ、若い演奏家を育てたが、トップレベルのオーケストラに関しては、それらを磨き上げたという感じはない。比較すればライナー/ショルティのシカゴ、オーマンディのフィラデルフィア、セルのクリーヴランドなど、ニューヨーク・フィルもブーレーズになってからしっかりしてきたところがあった。それともちろん、カラヤンのベルリン。
生で聴いたのは1985年に東京でイスラエル・フィルを指揮したマーラーの第9だが、身内に不幸があった直後ということもあり、これは身に染みた。
 
もっともわたしにとってこの人の最高のマーラーは、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウによる歌曲集でのピアノ、これは伴奏などという枠を超えてしまったすごいものであった。
 
ちょっと辛口になってしまたが、上記演奏会で「ウェストメドレー」が舞台上でかなり自由に動く歌手たちでやられたときは、この作品の落ちない鮮度というか、完成度、やはり感心するしかなかった。
また没後30年近くになって、これだけ愛される人も珍しい。演奏会全体としては気持ちのいいものだった。
 
考えてみればこの人の没年は1990年、ベルリンの壁崩壊で東西の楽団員が集まった「第九」を指揮した翌年である。
そして気付いてみれば、今年この人の享年と同い年になってしまった。

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