メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ゆく河の流れは絶えずして 柴田南雄の音楽

2017-02-14 17:43:31 | 音楽一般
NHK クラシック音楽館 2017年1月12日(日)
柴田南雄(1916-1996)の生誕100年・没後20年を記念して2016年11月7日サントリーホールで行われた演奏会の録画放送
自身の作曲作品から 1.ディアフォニア 2.追分節考 3.交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」
山田和樹指揮:日本フィルハーモニー交響楽団、東京混声合唱団、武蔵野音楽大学合唱団
 
ディアフォニアは曲名も初めて、他の二つは存在は知っていたが残念ながら聴いたことはなかった。今回こんなに大規模で、ホール全体を使い、合唱団員たちがその中を動くということがわかり、これだと聴く機会は少ないだろうと思った。しかしそれだからといって、今回のように聴ければ聴いておくべきであった。当日会場で聴いた人は、貴重な体験をしたといえる。
 
ディアフォニアは優れた現代音楽で、作曲者が過去の西洋音楽の流れを充分消化したうえで作ったものであろうことがわかるし、そこには批評性ともいうべきものがうかがえる。
 
追分節考は信濃の追分が素材になってはいるが、指揮者がその場で与えられた符号の中から次々と演奏部分を演奏者に示していくから、同じ演奏はないということになる。
 
交響曲はそれらの要素も含むが、この8楽章で自らの音楽体験、音楽遍歴とそれらに対する見解、批評を含む作曲者の半生を高度に描く、とでもいったらいいか。
 
現代音楽から、バロック、いかにもマーラーなど、、、そして「ゆく河の流れは絶えずして」、そう方丈記の一節が使われ、壮大な音楽空間の中に時間が流れる。
 
こういう理解、実はこの放送で指揮者の山田和樹が見事な解説をしてくれたからで、他に池辺晋一郎(作曲家)他、何人かの言葉も適切に入っている。それらからもわかるように、柴田南雄はロマンティック系ではなく、つまり内面を表出するための音楽とは必ずしも言えない人である。対極として武満徹が挙げられていたが、なるほど半世紀ほど前だと演奏する方も聴く方も、武満には近づけても、柴田のような音楽に反発はしなくても入っていくのは簡単ではなかったと思う。
 
私の過去を振り返ってみると、柴田南雄は作曲家ではあるが、それよりは解説者として、批評家として親しんだ部分が大きい。もちろん作曲家としての能力は大変なもので、音楽コンクールの作曲部門審査員をよくやっていたそうだが、相当複雑な作品でも譜面だけで評価する能力の高さはよく知られていた。
 
解説者としては、池辺晋一郎が挙げていた「西洋音楽史 4 印象派以後」、私も世話になったが、そうこれを超えるものはその後出てない。不思議なことだが、4が最初に出て、その後その前にあたるものが予告されていたが、確か出なかったのではないか。
 
放送、特にFMでの解説には随分世話になった。中でも1960年代後半から1970年代にかけてだろうか、年末に恒例になっていたその年のバイロイト音楽祭の放送解説。特に「ニーベルングの指輪」で登場人物、話の筋はもちろんだが、様々なライトモティーフをうまく説明してくれたおかげで、何年か聴いているうちに随分なじんできた。ちょうど演出もヴィーラント・ワーグナーによる象徴主義が全盛になっていたから、こういう解説は舞台を想像するのにぴったりだったと思う。
 
また「グスタフ・マーラー」(岩波新書)も優れたもので、これで交響曲全部に、多様な角度から入っていくことができた。
1970年前後は現代音楽の演奏会にもよく出かけたから、休憩時間にロビーでよく姿を見たものである。年齢の割に枯れた風貌だったが、音楽はそんなことはなかったようだ。
 
さて、指揮者の山田和樹、名前はよく聞いていたが、演奏を聴くのは初めて。見事な解説からもわかるように、曲の把握力が優れた人のようだし、音楽の進め方、その指示の出し方に、見透しのよさがあるようだ。
 
とにかくいい企画だった。




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