シンデレラ(CINDERELLA、2015米、105分)
監督:ケネス・ブラナー、脚本:クリス・ワッツ、音楽:パトリック・ドイル
リリー・ジェームズ(エラ/シンデレラ)、リチャード・マッテン(王子)、ケイト・ブランシェット(継母)、デレク・ジャコビ(王)、ヘレナ・ボナム=カーター(フェアリー・ゴッドマザー)
あまりにもよく知られている童話「シンデレラ」である。ディズニーのアニメでも子供の時に見たはずだが、大人になってから見ていないので、どんなだったか。昨年、やはり同じルーツを持つロッシーニのオペラ「ラ・チェネレントラ」について書いたように、この素材をもとにいろいろな試みはあったようで、その時にディスニーによるこの実写版映画の話が入ってきていて、ロッシーニのものと同じく自立した女性としてのシンデレラが見られるのかな、想像していた。
この典型的な、シンデレラ・ストーリーといえば「玉の輿」的なイメージをさす、そういう物語、より古い起源についてはよく知らないが、ペロー童話集やグリム童話集で見るかぎり、それはそうなのだろうとしか考えられないものだった。
しかしロッシーニのオペラを観て、200年近く前に、もっと強い自立しようとしている女性を中心にした物語がありえたということに、感心したものである。
この映画、実の父母との場面が短いけれどしっかり脚色(創作?)されていて、母は聡明な美人、父は母を愛する働き者だが、母は病死、父は別の二人の娘がいる女性と結婚するのだが(父はこの母・娘を絶賛するけれどそうは見えない?)、仕事で遠くに長期出張中に死んでしまう。父が死んでしまうという筋は私にとっては初めてだが、父と母から受け継ぐものをはっきりと抽象化したものとすることになっている。言ってしまえば、大切なことは「勇気(courage)と優しさ(kindness)」。ただこの言葉をあまりに明に何回も出すのは、ちょっと疑問。
そして映画としての作り、進行は、さすがケネス・ブラナー、作劇は確かで、飽きさせない。ただわがままを言えば、エラ(シンデレラ)の勇気はいいのだが、本当は王子の勇気ももう少し時間をかけて描いてほしかった。王位継承者としてこの素敵な女性だが出自のしれないエラを結婚するという決断にはたいへんな勇気がいるはずで、ロッシーニのオペラではそれをむしろ彼女の方が念入りに問いただす。まあこれは子供も見る映画だから、それをしつこくしても、ということだったのだろうが。
でもかなり年配の私として言えば、男はどこかで勇気を女性に強い形で試される、もっと言えばぴしゃりとやられて初めて勇気の大切さに気づかされる、ということは、童話の世界でもそうで、ペロー版の教訓にもあるし、何よりグリム童話集の冒頭「カエルの王さま」に典型的に描かれている。
CGも使った映像の中では、かぼちゃの馬車が出てくる場面、舞踏会など、見事だし楽しめる。
主人公エラ(シンデレラ)のリリー・ジェームズ、きれいだが屋根裏部屋の野暮ったさを持つ感じから徐々に変わっていくところ、なかなか魅力的である。また12時になってかろうじて抜け出し家に帰ってきとき、降り出した雨にうたれながら歩く姿は、愛の喜びを知り始めた娘の官能的な姿が見事に出ている。最近TVドラマでも活躍していて、少し前の「ダウントン・アビー」の本家縁戚のはねっかえり娘、「戦争と平和」のナターシャなど、いずれも違う顔を見せている。
王子のリチャード・マッテン、演技はいいのだが、もう少し背が高いほうがダンスの場面で活きただろう。
ケイト・ブランシェット、よくこの継母を引き受けたなと思うが、さすが。
そしてヘレナ・ボナム=カーター、この人大好きだが、フェアリーは見ていて楽しく気持ちいい。まあ、かつて仲よかったブラナーが監督だし。
フェアリーは大切な役というか、このストーリーでくみ取るべき大きな要素のようで、ペローの教訓にあるように、いくら勇気と優しさ、それに外見、財産、力があっても、この名付け親とでもいうべきものがなければ、ことは成就しないということである。理屈ではすべてそろっていても必ず成功し幸せになれるとは限らないということが、少し隠された教えとしてあるとすれば、それを知っておくことは大事だろう。
この映画、過不足はあるものの、これまでのシンデレラ解釈の総集編という形にはなっている。
監督:ケネス・ブラナー、脚本:クリス・ワッツ、音楽:パトリック・ドイル
リリー・ジェームズ(エラ/シンデレラ)、リチャード・マッテン(王子)、ケイト・ブランシェット(継母)、デレク・ジャコビ(王)、ヘレナ・ボナム=カーター(フェアリー・ゴッドマザー)
あまりにもよく知られている童話「シンデレラ」である。ディズニーのアニメでも子供の時に見たはずだが、大人になってから見ていないので、どんなだったか。昨年、やはり同じルーツを持つロッシーニのオペラ「ラ・チェネレントラ」について書いたように、この素材をもとにいろいろな試みはあったようで、その時にディスニーによるこの実写版映画の話が入ってきていて、ロッシーニのものと同じく自立した女性としてのシンデレラが見られるのかな、想像していた。
この典型的な、シンデレラ・ストーリーといえば「玉の輿」的なイメージをさす、そういう物語、より古い起源についてはよく知らないが、ペロー童話集やグリム童話集で見るかぎり、それはそうなのだろうとしか考えられないものだった。
しかしロッシーニのオペラを観て、200年近く前に、もっと強い自立しようとしている女性を中心にした物語がありえたということに、感心したものである。
この映画、実の父母との場面が短いけれどしっかり脚色(創作?)されていて、母は聡明な美人、父は母を愛する働き者だが、母は病死、父は別の二人の娘がいる女性と結婚するのだが(父はこの母・娘を絶賛するけれどそうは見えない?)、仕事で遠くに長期出張中に死んでしまう。父が死んでしまうという筋は私にとっては初めてだが、父と母から受け継ぐものをはっきりと抽象化したものとすることになっている。言ってしまえば、大切なことは「勇気(courage)と優しさ(kindness)」。ただこの言葉をあまりに明に何回も出すのは、ちょっと疑問。
そして映画としての作り、進行は、さすがケネス・ブラナー、作劇は確かで、飽きさせない。ただわがままを言えば、エラ(シンデレラ)の勇気はいいのだが、本当は王子の勇気ももう少し時間をかけて描いてほしかった。王位継承者としてこの素敵な女性だが出自のしれないエラを結婚するという決断にはたいへんな勇気がいるはずで、ロッシーニのオペラではそれをむしろ彼女の方が念入りに問いただす。まあこれは子供も見る映画だから、それをしつこくしても、ということだったのだろうが。
でもかなり年配の私として言えば、男はどこかで勇気を女性に強い形で試される、もっと言えばぴしゃりとやられて初めて勇気の大切さに気づかされる、ということは、童話の世界でもそうで、ペロー版の教訓にもあるし、何よりグリム童話集の冒頭「カエルの王さま」に典型的に描かれている。
CGも使った映像の中では、かぼちゃの馬車が出てくる場面、舞踏会など、見事だし楽しめる。
主人公エラ(シンデレラ)のリリー・ジェームズ、きれいだが屋根裏部屋の野暮ったさを持つ感じから徐々に変わっていくところ、なかなか魅力的である。また12時になってかろうじて抜け出し家に帰ってきとき、降り出した雨にうたれながら歩く姿は、愛の喜びを知り始めた娘の官能的な姿が見事に出ている。最近TVドラマでも活躍していて、少し前の「ダウントン・アビー」の本家縁戚のはねっかえり娘、「戦争と平和」のナターシャなど、いずれも違う顔を見せている。
王子のリチャード・マッテン、演技はいいのだが、もう少し背が高いほうがダンスの場面で活きただろう。
ケイト・ブランシェット、よくこの継母を引き受けたなと思うが、さすが。
そしてヘレナ・ボナム=カーター、この人大好きだが、フェアリーは見ていて楽しく気持ちいい。まあ、かつて仲よかったブラナーが監督だし。
フェアリーは大切な役というか、このストーリーでくみ取るべき大きな要素のようで、ペローの教訓にあるように、いくら勇気と優しさ、それに外見、財産、力があっても、この名付け親とでもいうべきものがなければ、ことは成就しないということである。理屈ではすべてそろっていても必ず成功し幸せになれるとは限らないということが、少し隠された教えとしてあるとすれば、それを知っておくことは大事だろう。
この映画、過不足はあるものの、これまでのシンデレラ解釈の総集編という形にはなっている。