メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ロッシーニ「セヴィリャの理髪師」(メトロポリタン)

2012-06-02 16:45:21 | 音楽一般

ロッシーニ: 歌劇「セヴィリャの理髪師」

指揮:マウリツィオ・ベニーニ、製作:バートレット・シャー

ジョイス・ディドナート(ロジーナ)、ファン・ディエゴ・フローレス(アルマヴィーヴァ)、ペーター・マッティ(フィガロ)、ジョン・デル・カルロ(バルトロ)

2007年3月24日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場  2012年4月 WOWOW放送録画

 

このオペラ、レコードで全曲を聴いたことはあるが、映像で見たのはおそらく初めてである。音だけで聴いてどれほど頭に残っているかあやしいものだが、おそらく「フィガロの結婚」(モーツアルト)の前段階の話という意識を強く持って聴いたと思う。

しかしこうしてみると、これはこれ、「フィガロの結婚」はコメディとはいえかなり時代背景や何人かの登場人物が抱える問題を描き、回答を出そうとして作られているけれども、「セヴィリャの理髪師」はまず楽しめる、劇場を沸かせるコメディとして作られている。

 

ロッシーニによくある、歌の技巧を駆使した必要以上に長い見せ場を作っているし、この演出ではドアの形状の板をいくつも組み合わせて使い、家や部屋を構成したり、人物の出現のめりはりにしたりしている。オーケストラピットの外側に回廊を設け、客席とのやりとり(?)の効果もおもしろい。

 

こうしてみると、この作品とか、19世紀前半のイタリア・オペラ特にコメディは、多くの人にとって娯楽であり、特にニューヨークなどで今日こういう形で上演されると、これはここで盛んなミュージカルとの境目があまりなくなっている。

 

気がついたのだが、「フィガロの結婚」とくらべ、アルマヴィーヴァはまだうぶで直情的で、フィガロはこっちのほうが享楽的である。それは台本から見ても自然なようで、だから前者がフローレス、後者がマッティというのはぴたりである。特にマッティはあの「ドン・ジョヴァンニ」(こちらのほうが後の出演だが)の印象につながるし、フローレスは「オリー伯爵」(この演出もバートレット・シャー)でもう少し悪い役をやるけれども、そこで小姓役をして共演したディドナートがここではロジーナで、まったく対照的な役柄を見せている。ロジーナのほうが先だから、むしろ小姓役は意外(その素晴らしさで)だったかもしれない。

 

マッティはモーツアルトでもフィガロを歌うそうで、両方というのはかのヘルマン・プライもそうだが、このセヴィリャを見るとプライは少し善人すぎるかな、とも思ってしまう。

 

シャーがインタビューで語っていたのは、コメディをうまく作るには、悪役をひとりにうまく集中させることで、ここではロジーナの後見人でありながら実は彼女と結婚することをもくろんでいるバルトロである。ジョン・デル・カルロは体も大きいし、その身振りも期待にこたえている。

 

評判の演出、出来ばえだったようだ。

ところで幕間のインタビューでこういう関係者の組み合わせがうまくいったとして使われる言葉にchemistry があった。この公演以外のインタビューでも出てきていて、相性・人間関係という意味のようだ。これは単なる組み合わせというより、やっているうちに起こった化学反応、化学変化という時間軸を含んだものを示唆していて面白いし、いい表現だと思う。 

 


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