メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

新・根津美術館展

2009-10-18 17:39:42 | 美術
新・根津美術館展 」(根津美術館、10月7日~11月8日)
新創記念特別展 第1部 国宝那智瀧図と自然の造形という位置づけである。
3年半をかけて新装といってもほぼ新築であろう。隈研吾の設計であり、ここの日本庭園と調和した、近づくものを圧倒することがない建物である。
 
展示室は一階と、中二階の上にある二階にあり、中はおやと思うほど暗いが、展示部分のガラス、照明はうまく出来ていて鑑賞しやすい。
上の階の展示室に入る廊下部分から吹き抜けと庭園の一部が天井から斜め下に延長された平面の下に見えるのも、控えめなセンスの良さが感じられる。
 
今回、こちらが意気込んでいくほどの展示物はないのだが、それでも久しぶりに見る「那智瀧図」は、意外に大きく、瀧の部分が上に登っていくような感覚をあたえているのがよくわかった。それと確かにこれは日本刀?
それから野々村仁清「色絵山寺図茶壷」。
 
おそらく来年5月の連休には「燕子花」(光琳)が展示されるだろうが、そのときこの新館にどうなじむだろうか。

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速水御舟 (山種美術館)

2009-10-15 15:47:54 | 美術
速水御舟-日本画への挑戦-」(山種美術館、10月1日~11月29日)
今回二度目の引越しをした山種美術館の新美術館開館特別展である。
 
恵比寿からバスあるいは徒歩10分、渋谷からバス、という都内の美術館としてはあまり便利でない場所ではあるが、私立美術館の経営は大変らしく、千代田区よりは地代が安いということらしい。
 
速水御舟(1894-1935)をまとめてみる機会はあまりなかったように思う。「炎舞」、「名樹散椿」などの名品を、これらは初めてではないが、じっくり楽しむことが出来た。
「炎舞」の炎に舞う蛾、これが平面に描かれた絵ではなく、背面から投影されている映像のように見えるのはなぜだろう。
「名樹散椿」は不思議なデザイン、作り物で、しかもそこには見るものを納得させる色と技量がある。
 
ただ速水御舟は40歳で病死ということもあるけれど、その画風が道半ばという気がしてならない。一緒に活動していた大観のような天才ではないが、あと少し時間があればさらに突き詰めたものが見られたか、と想像してしまうのである。

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楽屋 (清水邦夫)

2009-10-11 14:51:38 | 舞台
「楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき」(作:清水邦夫)
演出:生瀬勝久
渡辺えり、小泉今日子、村岡希美、蒼井優
(2009年5月 シアタートラム、2009年10月9日NHK教育TV )
 
初めて見る劇である。演劇の世界では有名、名作らしい。清水邦夫(1936-)は名前だけ知っている。
この作品(1977)は女優4人だけ、しかも場面は楽屋だけ、見るものは集中しやすい。
劇団でプロンプターはやってもついに表舞台に立てなかった戦前からの女優A(渡辺えり)、同じ境遇の戦後の女優B(小泉今日子)が楽屋で亡霊のごとく化粧をしながらおしゃべりをしている。そこへ今の女優C(村岡希美)が出てきて、その境遇、立場の違い、なぜそうなったか、言い合いを始める。そしてそこにさらにそのあとの世代の女優D(蒼井優)が枕を持って現れ、皆に休息を勧める。
 
お互いの主張はかみ合うわけもなく、そしてこの人たちは劇団員として好きで憧れなじんだチェーホフ作品の台詞をとなえながら、このあとの生き方を探っていく。
 
見ているとしだいに、Aは戦前の左翼リアリズム、Bは戦争直後のそれ、そしてCはまさに戦後そのもの、戦後の知識人そのものでありおそらく1960年安保世代の作者といっては独断で失礼かもしれないが、そうきこえてくる。そして特定の主義をもたない新世代のDが表れると、彼女たちの対立、いやむしろ対立が成り立つ構造が崩れていく。それでも、なんとか彼女たちは生きていくのだろう、と思わせて終わるところがこの戯曲の価値、長く上演されてきた所以だろうか。
 
四人とも役をこなしてうまい。
村岡希美は初めて見るが、一番女優らしいという役の存在感は確かだ。
渡辺、小泉も舞台の演技は的確。そしてこの三人がいかにも役者が楽屋でしゃべっているという感じであるのに対し、このところいくつか舞台をやっているとはいえ、映画から出てきた蒼井優がなんとも異次元でしかもその場面の空気をつくってしまう演技を見せ、期待に応えている。
 
もともと演劇をそれほど知らないから、録画してみたのは蒼井が出ているから。
特に、各場面での第一声が素晴らしい。あの映画での「クワイエット・ルームへようこそ」というところを思い出してしまった。

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皇室の名宝 (1期)(東京国立博物館)

2009-10-06 22:09:14 | 美術
皇室の名宝 ― 日本美の華 1期 永徳、若冲、大観、松園まで」 東京国立博物館 平成館  2009年10月6日-11月3日
皇室所蔵品のうち、1期は宮内庁三の丸尚蔵館が主体、2期は正倉院が主体、といった区分けになっているようだ。
なかなかまとめてみる機会はない。
 
今回は、江戸時代までの日本画を主体とした前半部分、そして明治維新以降、皇室から指名された作家たちによる作品を集めた後半に分かれている。
 
やはり見ものは前半に多い。ひと目見るだけで圧倒されるのは狩野永徳、中でも「唐獅子図屏風(右隻)」で、このたいへん大きな屏風、想像上の対象ながら、このしっかりした体、姿勢、動きの中の一瞬、説明の必要がない。また「四季草花図屏風」(伝狩野永徳)は、草と花の配置のよさが心地よく、むしろその後の琳派のような装飾性、デザイン性がないことが効いている。
 
そして伊藤若冲、これは動物と植物、その細かさ、画面配置、色使い、これでもかこれでもか、なんだけれども、お見事といって、もういいやとなることはない。最初にある「旭日鳳凰図」など、日本画の世界にある多くの受ける要素をこんなに多くつぎ込んでしまったという画でありながら、そのきれいさ(そういう常套的な言葉しかでてこない)に酔ってしまう。
 
「動植綵絵」も、こうして並べて次から次へと見ると満腹になるが、一つ一つの魅力はなんだろうと考えてみれば、それは生きているもの、動いているものに対する好奇心であり、慈しみといってもいいものだろうか。
「動植綵絵」全30幅を見ることが出来たのもこの企画ならではで、調べてみたら若冲没後200年展(京都国立博物館)でも11幅しか見ていなかった。
 
さらに今回の収穫は、まさに天才岩佐又兵衛の「小栗判官絵巻」で、多くの人々の多彩な動作、表情に、そしてその大胆な構図、絵巻としての流れ、色使いを楽しむことが出来た。まさにその後の浮世絵、現代のマンガなどの源流だろうか。
 
明治維新以降の後半になると、レベルの高い作家が書いていることから一定の水準には達しているものの、若冲の時代に比べ皇室の地位は飛躍的に高いわけで、そのためかあまり大胆かつ刺激的なものはない。富岡鉄斎など見れば明らかで、この人が本来持っている画面のダイナミズムよりはまとまりのよさに走っている。解説にも書かれているとおりである。
 
とはいえ、やはり横山大観となると、いかにもの富士山ではあるがそこには他の人のものとはちがった存在感がある。
 
本当は、海外の王立博物館のように、もっと立派な館を作り、もっと公開されるようにになってほしい。
またレベルの高いデジタルアーカイブでネット上で見られるようにしてほしいものである。

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鍵 (谷崎潤一郎)

2009-10-05 14:52:47 | 本と雑誌
「鍵」(谷崎潤一郎 著、1956年)
読むのは初めてである。「鍵」を知ったのはおそらく1959年の映画公開時の評判だろう。その後、どういうものかという情報は多少頭にはいってきていた。
 
読んでみると、これは随分変わった小説である。そのテーマ、対象は56歳の大学教授と46歳の妻、この二人の性と死、これに実の娘と教授の後輩がかかわり、嫉妬とそれを利用した刺激、あやしげなたくらみ、である。そして、周囲の人々、社会についてはほとんど具体的な描写はなく、この新潮文庫解説(山本健吉)にあるとおり、きわめて抽象的な小説である。
 
性と死そのものは、発表当時に物議をかもしたかもしれないが、その後半世紀ほどの中で、いくつもの文学、映画など、経験してくるとそう刺激的なものではない。
 
むしろ、夫婦がこのことを日記に書いていて、それを相手に読ませ、そのことによって刺激を昂じさせようとする、また相手に読まれていることを知って書いているのかどうかそのことを文章で明らかにするかどうか、そういったまわりくどい心理戦が続いていく。
 
今となってはそれそのものが面白い、といえる。どちらかというとこれは、西洋的、それも近代フランスあたりの心理小説に近い、それらに影響をうけたもの、といってもいい。この歳になってから読んでよかったと思う。
 
谷崎潤一郎(1886-1965)の小説で他に読んだのは、「細雪」、「痴人の愛」だけだが、これらも明らかにかなり西洋近代的な背景、ものの見方を持った人が書いたものという印象をうけた。そして評論の方で「陰翳礼讃」など、感心しながら読んでいると、おっとあぶない、という日本回帰を感じるけれども、これも西洋を頭に据えた上での論述なのかもしれない。
 
映画について調べてみたら、監督:市川崑、音楽:芥川也寸志、中村鴈治郎(教授)、京マチ子(妻)、仲代達矢(後輩)、叶順子(娘)、とあった。
女優は小説からイメージしたとおり。

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