「夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」 カスオ・イシグロ(土屋政雄 訳、早川書房)
原題:Nocturnes:Five Stories of Music and Nightfall
カズオ・イシグロはミュージシャンになろうと思った時期があるらしい。そういう思いがよみがえって、肩の力を抜いて、少し楽しんで書いたのだろう。
体裁は短編集だが、それぞれに落ちがあるわけでもなくて、それでも人生は続く、といったところが共通だ。最初の三つは、微妙な問題を抱えた夫婦に音楽をやっている主人公(一人称の私)がどう引っ張り込まれ、あがいて自分はどんな人間かを気づかされていく。当の夫婦に対してやったことがよかったのかどうかは明かされない。
四つ目の「夜想曲」はむしろ「私」が夫の役割で、最初の作品に登場した歌手の妻が事態をかき回す。最後の「チェリスト」は不思議な作品で、イシグロの音楽感が多少反映しるのだろうか。
それにしても、人生は続くのだが、それは素晴らしいことでもありつらいことでもある。ただ、それを受け入れるのに、小説は何ほどのことをなすのだろうか。
なすのだろう、そういう前提でないと、この小説は出てこない。
この中に出てくる作曲家名が、エルガー、ブリテン、ラフマニノフというのは、イングランド趣味、それもロンドンの趣味だろうか。
ところで、イシグロの小説で時々違和感があるのは、登場人物の名前である。幼少時にイギリスにわたっているのだがら、私よりも名前に関する感覚は上だと思うけれども、例えば最初の「老歌手」(Crooner)の歌手がトニー・ガードナー、にやけた往年の二枚目俳優にはありそうだが、クルーナーなどはちょっと、、、
そして、クルーナーは日本語に訳しにくいから、意訳でもなく完全にはずして「老歌手」とした訳者の判断は理解できる。ただこれは「クルーナー」として注をつけて欲しかった。
クルーナーは小さい声でささやくように歌う歌手、そういうジャンルをさす。おそらくマイクの性能が上がった1930~1940年あたりに出てきていて、いま思いつくの代表格はビング・クロスビー、ペリー・コモあたり、この種の歌い方であれば、ほとんど地声だろう。シナトラはそういう時期もあったかもしれないし、そこでマイクの使い方がうまくなったのかもしれないが、その後ここからさらに飛躍して、頭声にも磨きがかかった。
クルーナーはまさに、「老歌手」に出てくるヴェニスのゴンドラにぴったりである。