メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ロメオとジュリエット(英国ロイヤル・バレエ)

2010-12-30 22:55:55 | 舞台

バレエ「ロメオとジュリエット」(プロコフィエフ作曲)
英国ロイヤル・バレエ団 日本公演 (2010年6月29日、東京文化会館)
11月19日(金)NHK教育TV「芸術劇場」の放送録画
ジュリエット:吉田都 ロメオ:スティーヴン・マクレー
振付:ケネス・マクミラン
ボリス・グルージン指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
 
バレエに限らず今年観たり聴いたりしたものの中で、文句なしのベストである。
実はバレエというもの自体をじっくり見たことがない。
この間、「プロフェッショナル・仕事の流儀」(NHKTV)で吉田都がロイヤル・バレエのプリンシパルとしての最終公演にかかるところを見、彼女によるバレエ・レッスン再放送の後半数回を見るというめぐりあわせになり、このところバレエについて幾分知識がついてきた。
それにこのレッスンで「ロメオとジュリエット」は取り上げられる回数が多く、吉田都がもっとも好きで力が入っているとのことで、いくつかの視点も記憶していた。
 
それにしてもこの話、舞台、映画、ミュージカル「ウエストサイドストーリー」などいくつもの形態があるけれども、このバレエが一番ではないだろうか。これを見ると、セリフも歌もいらない。音楽と踊りで、少女ジュリエットのときめき、両家の確執、街の喧騒、そして二人の情熱の高まりと悲嘆、ジュリエットの決意が、劇的な感興とともに雄弁に語られている。
 
この曲をオーケストラ・コンサートで組曲形式で聴いてもそんなに感じるところはないかもしれないが、こうして聴くとプロコフィエフという作曲家は大変な人である。 
 
そして、吉田都。少女から親の押し付けに対するためらいと拒否、ロメオとの出会いとときめき、その迷いと燃え上がり、どれも自然な感情の裏付けがある、そしてイマジネーションがある素晴らしい演技だ。レッスンで言っていることをきいていて、常套的な言い方だが、日本人でこれほど自発性と想像力にもとづいた感情が感じられる人は珍しいと思った。
 
特に第3幕は群衆が出てこない室内劇、ラブシーン、そして仮死状態になっているジュリエットとロメオのパド・ドゥーも驚くべきもので、吉田都が何にもしてないはずはないけれども、死んでいる状態のジュリエットの体がなんとも見事。
 
最後のカーテンコール、これが彼女の最後の公演とあって舞台の上で延々と祝福が続く。こんなに盛大なものは見たことがない。彼女とバレエ団のこれまでを反映したものだろう。

 

吉田都がやっているうちに自分でたてた目標の高さに感銘をうける。
 
とにかくバレエというものの、力、奥深さを初めて知った公演だった。
 

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