イーデン・フィルボッツ 「だれがコマドリを殺したのか?」
武藤崇恵 訳 創元推理文庫
昨年はじめてイーデン・フィルボッツの作品を読んだ。その「赤毛のレドメイン家」(1922)と並んで有名であるらしい本作は原題「Who KilledCock Robin?」(1924)、ただこれは「僧正殺人事件」(ヴァン・ダイン)のようにマザー・グースの世界に特に関連付けられたものではなく、登場する女性の愛称というだけである。
かなり人気のあるミステリなのだが、「赤毛のレドメイン家」と比べると、終盤のジェットコースター的謎解きを除けば、ただの男女の愛憎劇といえなくもなく、肩透かしをくった感がある。
若い医師ノートンが友人の探偵ニコルとリゾートで魅力的な姉妹と出会い、知り合いになって、その妹ダイアナが好きになり結婚する。姉マイラとダイアナにはそれぞれミソサザイ、コマドリという愛称がある。
ノートンの唯一の近親は伯父だが、そのたいそうな遺産はお気に入りの秘書ネリーとノートンが結婚するときに限って遺贈すると決めている。このことをノートンはダイアナに隠しているわけだが、それがわかってきて二人の仲が悪くなり、ダイアナは病気で衰えていく。ノートンが毒を盛っていると言い出して、結果ダイアナは死んでしまうが、これはノートンが? あるいは濡れ衣か?という進行になり、探偵ニコルの出番となる。
二人の愛憎の愛の方があまりよく描けていない感じがある。
ところで、作者はこのドラマを三人称形式で書いている。それは普通といえば普通なのだが、今回気がついたことだけれど、各登場人物の描写に差があるとこの人は犯人か犯人じゃないかをある程度想像してしまう。特に感情を描写してしまうと、最後にあれは実はと言われても、ということである。
そう考えると、ミステリ小説でハード・ボイルド、つまりヘミングウェイ的に言えば形容詞を極力省くということは、その点で意味があるのではないだろうか。
フィルボッツはミステリ以外の作品が多く、そこでも評価されていたから、とも考えるが、どうなのか。
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武藤崇恵 訳 創元推理文庫
昨年はじめてイーデン・フィルボッツの作品を読んだ。その「赤毛のレドメイン家」(1922)と並んで有名であるらしい本作は原題「Who KilledCock Robin?」(1924)、ただこれは「僧正殺人事件」(ヴァン・ダイン)のようにマザー・グースの世界に特に関連付けられたものではなく、登場する女性の愛称というだけである。
かなり人気のあるミステリなのだが、「赤毛のレドメイン家」と比べると、終盤のジェットコースター的謎解きを除けば、ただの男女の愛憎劇といえなくもなく、肩透かしをくった感がある。
若い医師ノートンが友人の探偵ニコルとリゾートで魅力的な姉妹と出会い、知り合いになって、その妹ダイアナが好きになり結婚する。姉マイラとダイアナにはそれぞれミソサザイ、コマドリという愛称がある。
ノートンの唯一の近親は伯父だが、そのたいそうな遺産はお気に入りの秘書ネリーとノートンが結婚するときに限って遺贈すると決めている。このことをノートンはダイアナに隠しているわけだが、それがわかってきて二人の仲が悪くなり、ダイアナは病気で衰えていく。ノートンが毒を盛っていると言い出して、結果ダイアナは死んでしまうが、これはノートンが? あるいは濡れ衣か?という進行になり、探偵ニコルの出番となる。
二人の愛憎の愛の方があまりよく描けていない感じがある。
ところで、作者はこのドラマを三人称形式で書いている。それは普通といえば普通なのだが、今回気がついたことだけれど、各登場人物の描写に差があるとこの人は犯人か犯人じゃないかをある程度想像してしまう。特に感情を描写してしまうと、最後にあれは実はと言われても、ということである。
そう考えると、ミステリ小説でハード・ボイルド、つまりヘミングウェイ的に言えば形容詞を極力省くということは、その点で意味があるのではないだろうか。
フィルボッツはミステリ以外の作品が多く、そこでも評価されていたから、とも考えるが、どうなのか。
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