メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ヴァン・ダイン 「僧正殺人事件」

2020-09-27 10:35:37 | 本と雑誌
僧正殺人事件 : S・S・ヴァン・ダイン 著 日暮雅道 訳 創元推理文庫
 
作者(1888ー1939)の名前は知っていたが、読んだのは初めてである。原題は「The Bishop Murder Case」、1929年の作品。
 
ニューヨークの著名な数学者、姪と養子の数学者と一緒に住んでいる。大きな家で、アーチェリーの練習場を持っている。近所に科学者が住んでいて行き来があり、またチェスの名手も出入りしていて、皆チェスには知識は持っている。
 
こういうところで、まずアーチェリーの選手が殺され、そのあと「だあれが殺したコック・ロビン?「それは私」とスズメが言った」という手紙が入り、新聞も知るところとなり、大騒ぎになる。手紙にあるサインは「僧正」でこれはチェスのビショップである。
 
警察、検察の捜査に加わったのがファイロ・ヴァンスというアマチュア探偵で、彼を中心に捜査が進んでいく。
そんな中、数学の学生が殺され、またも手紙が送りつけられる。ヴァンスはこれらはマザー・グースにあるもので、犯人はその世界をもてあそんでいると考え、それが推理の一つの側面となっていく。
 
そんな中、また殺人事件が続いていくが、どれにもマザー・グースや何らかの文学的な背景が読み取れる。
事件をいめぐる登場人物たちもヴァンスも大変な教養の持ち主というか、スノッブというか、細かい訳注もあるけれど、辟易するところはある。
 
こういう豪華絢爛な世界が魅力的に感じられたところは、当時あったのだろう。ただ、推理小説としては、どうも動機が読んでいて迫ってくるものではないところが、もの足りない。確かに動機というのは謎が解明されるまではあまり明らかには出来ないのであろうが、それにしてもである。
このあたりは、書かれた時代がある程度重なるフィルボッツ、クリスティーにも言えるところである。
 
小説の書き方からすると、この作品はヴァンスのサポートをしている「私」の叙述ということになっている。「私」はなんとヴァン・ダインという名前が一部入った法律事務所の弁護士を以前やっていたということで、作者の目の前で進行しているということなのだろう。
 
これはクリスティーがポアロを最初に登場させた「スタイルズ荘の怪事件」(1920)が、後にポアロのパートナーを続けるヘイスティングスの叙述として書かれていることを思い起こさせる。この時代には他にもかなりあるのだろうか。
 
また件のフィルボッツ代表作の一つに「だれがコマドリを殺したのか?」(1924)があり、マザー・グースの世界はこの分野にインスピレーションを与えているのかもしれない。

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