メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

華麗なるギャツビー

2014-04-22 19:05:11 | 映画

華麗なるギャツビー (The Great Gatsby、2012米、142分)

監督:バズ・ラーマン、原作:スコット・フィッツジェラルド

レオナルド・デカプリオ(ジェイ・ギャツビー)、トビー・マグワイア(ニック・キャラウェイ)、キャリー・マリガン(デイジー・ブキャナン)、ジョエル・エドガートン(トム・ブキャナン)、エリザベス・デビッキ(ジョーダン・ベイカー)

 

この原作でデカプリオ、であれば注目、観たくなるが、さてどうだったか。

前半は作家ニックが精神を病んでいて、医師から書いてみるようにいわれ、その回想から、金持ちと結婚した彼のいとこデイジーの近くに住むようになったとき、同じように彼女の近くにきた、彼女を忘れられないギャツビーと会い、破天荒なパーティーを中心としたギャツビーのありさま、次第に明かされていくその素性、半生が描かれる。ここでラーマンは歌のないミュージカルのようにといったらいいか、舞台を俯瞰したような表面的な演出を意識的にやっているように見える。

 

その虚飾を描く、というのはわかるのだが、そうであればやはりヴィスコンティがやったようにもっと徹底的にやってほしかった。リアル感がちょっと不足。

 

見事な進行を見せるのは後半で、ギャツビーの破滅というのはそんなにこっちにぐさっとくるものではないのだが、それがわかっているからか、ここではニックの眼をさらに重視したかたちで、見るものに説得させていくことに成功している。

 

ニックを演じるトビー・マグワイア、実力ある人だが、無理に名演という感じでなく、登場人物等身大の存在感になっているのは、うまい。

 

さてデカプリオ、やはり後半が見せ所なのだが、この役に向いていそうでそうでないようにも思える。ギャツビーは悪そうでいて、そうでなく弱い人、デカプリオは悪くて、強い人がやはり似あう。「アビエイター」(2014)のハワード・ヒューズがとてもよかったので、期待したけれど、よく考えるとヒューズとギャツビーはかなりちがう。それにフィッツジェラルドが提示したギャツビー像というのは、時代を象徴する意味はあっても、人間としてそれほど強烈ではないように思える。 

 

かなり前に同じ原作の映画化を見たが、調べたら1974年で、ギャツビーはロバート・レッドフォードだった。どうしてもこの人のイメージが強い。今映画化するとしたら、むしろブラッド・ピットだろうか、でも年齢的にちょっと過ぎてしまったか。

 

ついでに言えば、レッドフォードのとき、デイジーはミア・ファーロー、これもイメージどおり。今回のキャリー・マリガンは、なぜか表情に弱さがいつも見えて、脂粉を感じさせる虚飾に生きる女というもう一つの面が見えない。そうでないとギャツビーがこの世界で魅力を感じ続けることに、納得できない。マリガンは「わたしを離さないで」(2010)で感心したのだが、これもミスキャストだったようだ。むしろデイジーの友人ジョーダン役のエリザベス・デビッキがフラッパーというか、こういう社会風俗をよく体現していた。

 


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