ティファニーで朝食を ( Breakfast At Tiffany's、1961米、114分)
監督:ブレイク・エドワーズ、原作:トルーマン・カポーティ、音楽:ヘンリー・マンシーニ
オードリー・ヘプバーン、ジョージ・ペパード、パトリシア・ニール、ミッキー・ルーニー
映画はレンタル・ビデオで見たとは思うが、その時体調でも悪かったのかよくは覚えていない。原作も学生の時にパーパーバックで買ってきて、英語の勉強がてら読んではみたが、スタインベックやヘミングウェイより英語ば難しかったのか、それとも最新のニューヨークというものが想像の外だったのか、よくわからなかった。
ということで、今回あらためて。デジタル・リマスタリングはよくできているようだ。
ニューヨークのソフィスティケイテッドな社交界、そこを女の武器を利用しつくして泳ぎまわるホリー(ペプバーン)と同じアパートに新鋭作家(ペパード)が住むことになる。彼にはパトロン兼愛人として金持ちの夫人(パトリシア・ニール)がいる。
作家はホリーの行動にあきれながら、それは本心ではないと信じているのだが、それを明にいさめてやめろ、自分と一緒になれと言うまではいかない。言うのは野暮なのか、勇気がないのか、実はストーリーはそこに頼って最後まで進んでいっているだけなのだが、いろんなエピソード、風俗、典型的な場所での会話で、映画として見せていく。そういう作り方は、まあありなんだろう。
出来のよい娯楽・風俗映画。
ティファニーの店内、安売りショップ、図書館、パーティなど、今見ても面白い。
オードリー・ヘプバーンは歳相応の役で、案外フィットしている。先日見た「マイ・フェア・レディ」よりこれの方が前というのは意外だった。TV画面で見ると、そんなに細いという感じではない。
そして相手役のジョージ・ペパード、オードリーの相手役としてはめずらしく同年輩、他の映画ではもっと年上の、役としても、また俳優としても立派な先輩、おじさまがほとんどなのだが、それらに比べると今回は新鮮である。そしてペパードという人、このあとそんなに役に恵まれなかったとおもうけれど、私は好きで、画面の中でもう出来上がっているという感じに見えないのがいいのだが、一時代前の米国ではわかりやすい悪役を除くともっとスクウェアでないとダメだったのかもしれない。
パトリシア・ニールはぴたり。やはりアパートの住人で、ちょっと気ちがいじみていてうるさい日本人(というか、偏見にもとづくカリカチュアの日本人で、当時の米国でのイメージをわざとカポーティが持ち出したのかどうか)を先日亡くなったミッキー・ルーニーがやっている。
ホリーの生活、マフィアのボス(トマト)との関係から、おそらく高級コールガールであることは想像されるが、ここでは多少ぼかされている。
作詞のジョニー・マーサー、作曲のヘンリー・マンシーニはこのころ絶好調。
ホリーが作家に、理想の男性は、有名人でいえばネルー、シュヴァイツァーときて、次は?ときいていると、なんとレナード・バーンスタイン! 当時そういうポジションだったのだろうか。
どうもこれがこのブログ700回目のアップらしい。