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メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ヴェーロチカ/六号室 チェーホフ傑作選

2024-04-01 16:19:50 | 本と雑誌
チェーホフ:ヴェーロチカ/六号室 チェーホフ傑作選
 浦 雅春訳  光文社古典新訳文庫
 
表題の二つの他三編の短編中編を加えた選集で、この訳者は初めてだがいい訳だと思う。
チェーホフというひと、好きというわけにはいかないが、時々読みたくなるというか読まないと頭の中が単純すぎるというか一方的というかそうなりそうな気がする。かといって解毒剤ではなくより憂鬱になることもある。
 
ここにあるものはみな何かの終わりそれもどうしてこうなってしまったかという感が長く残るもの。「ヴェーロチカ」はなぜ自分のことを好きだった娘にそれがわかった時はもう言い寄れなくて去ろうかどうしようかどうにもならなかった、書かれてみるとこれは真実。
 
「退屈な話」は功なり名を遂げた老境の教授、この迷い混乱そしてどうにもならない終末も書かれてみるとそうか、そうだね、どうして人生はこう苦いのか。
 
「六号室」は精神病院の医師と入院者の何か難しいやり取りと関係が次第に反転していってというやりきれなさ。
 
訳者が解説で書いていてなるほどと思ったが、文学後進国だったロシアも19世紀の間に一気にドストエフスキー、トルストイなど西欧のレベルに達してしまい、遅れてきたチェーホフ(1860-2004)には動きにくいところが確かにあっただろう。
しかしニヒリズムでもなく、その反対の無理なユーモアでもなく、そう考えて見ればたいしたものなのだが、多作家ということもあり味わうのはなかなか大変である。
 
ただ最後は生きていく人だったのだろう。それはここに書かれたものでも、単純な悲劇でないなにかが読み取れる。戯曲のワーニャ伯父さんほどわかりやすいものばかりではないが。
 
あとがきにあるが、チェーホフ生誕100年記念の全集が神西清、池田健太郎、原卓也によって編まれた話があって、訳者は池田氏の少し後輩で会うことがあってもおかしくなかったのだが池田氏は早世されそれはならなかったそうだ。池田さんの恐ろしさということを言っているが、教養課程のロシア語で楽しい講義を聴かせていただいた私には意外、そういうものかもしれない。

絵本読み聞かせ(2024年3月)

2024-03-28 14:35:31 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ 2024年3月

年少
ごぶごぶごぼごぼ(駒形克己)
にんじん(せな けいこ)
ぼうしかぶって(三浦太郎)
年中
おんなじおんなじ(多田ひろし)
ぼうしかぶって
はらぺこあおむし(エリック=カール、もり ひさし訳)
年長
スイミー(レオ=レオニ、谷川俊太郎訳)
はらぺこあおむし
ぞうがいます(五味太郎)
 
まず年少組は反応がきわめてよくうけた。ごぶごぶごぼごぼはいつも何でこんなに受けるのか大人にはわからないのだが、この色、かたち、リズムが抜群なのだろう。にんじんとぼうしかぶっては両方ともやさい果物、前者は動物が加わっているが、日常認識しはじめた興味があるところにうまくフォーカス出来ているのだろう。この組が明るく盛り上がったのには驚いた。
 
おんなじおんなじはこういう概念の理解をしはじめたかというところで描かれたのだろうが、それほど反応はなかった。
はらぺこあおむしはとにかく有名、あらためてゆっくり絵の魅力に気づくというところはあるかもしれないが、そろそろどうするか。
 
スイミーも絵の魅力については子供たちも受け取っているが、話の中身はちょっと教訓的すぎるてあまり感じてくいれないのかなと思う。私もこの絵本については今一つ自信がない。
ぞうがいますは少し前に五味太郎を取材した番組で知り今回初めて使ってみた。大人にとっても何か自身を感じる意識するということにフォーカスして気づかせる意味があると思うが、この年齢の子供たちにとってどうなのか、刺激するのはわるくないと思う。

万城目 学 「八月の御所グラウンド」

2024-03-05 09:33:08 | 本と雑誌
八月の御所グラウンド
万城目 学 著  文藝春秋社

久しぶりに読んだ万城目学、表題の中編「八月の御所グラウンド」のほか短編「十二月の都大路上下(カケル)」を所収。

前者は卒業しようかどうしようかという大学生が同輩から頼まれたのが、指導教授がオーナーのアマチュア野球チームに参加、教授が昔の縁で京都の御所グラウンドで夏に行われる6チームの大会でどうしても勝ちたいと、その同輩に命令したのだが、このチーム、大会ともかなりレベルが低いもの、しかもその同輩が水商売のアルバイトの縁で集めてきた連中が主体、それでもなんとか員数をぎりぎりつけて何試合か勝っていく。
 
そこに登場してくるのが、どうも昔、戦前戦中あたりの伝説的ピッチャーだったり、学徒出陣した若者だったり、といってもこの人の他作品によくるように過去から現れたかそう思えるのか、時間がごっちゃになって進められていくのを楽しんでいるうちに結末はということになる。
 
おそらく映画「フィールド・オブ・ドリームス」が多少ヒントにはなっただろうが、ああいうセンチメンタリズムはない(それはそれでいいけれど)。
 
だが、だいぶ前に面白さにひかれていくつか読んだ「鴨川ホルモー」、「鹿男あをによし」、「偉大なる、しゅららぼん」、「プリンセス・トヨトミ」などに比べると短いからかどうなのか空想力におどろおどろしさがどうもというかちょったものたりなさが残った。
  
もう一つ(短編)はやはり京都で冬に開催される全国高校女子駅伝、チームの一員として出る主人公はこれも突然補欠からの昇格で出ることになり、ほぼ同時にたすきを受けた他県の選手と争うが、そこに歩道を応援で並走する新選組の旗がという幻想、新選組とはそれ以上なにかあるということではないが、二人の間の話としてはもう少しふくらませればいいものになったかもしれない。
 
先日、前者は直木賞を受賞したが、わたしからすればいまさら失礼なと感じたことを記憶している。そしてあらためて本作を読むとそれは一層だ。もっと前の何かで授賞を決めてほしかった。
一番は「偉大なる、しゅららぽん」かな。まあこれからも期待しよう。
 
あと、これ昨年「オール読物」に掲載されすぐに刊行されたもの(第二刷)で、どうも出版を急ぎすぎたのではないか。いい校正者がついてなかったように見える。読点が多すぎるし、二人の会話が続く場面でどっちの発言か読み取りにくいところがいくつかあった。もちろん最後は著者の責任としても。文庫化されるならその時にでも。
綿矢りさが「蹴りたい背中」(芥川賞)ですぐれた校正者にめぐりあったのは幸運だった。



絵本読み聞かせ (2024年2月)

2024-02-29 16:11:14 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ 2024年2月
 
年少
ぴょーん(まつおか たつひで)
いらっしゃい(せな けいこ)
どのはないちばんすきなはな(いしげまりこ 文 わきさかかつじ 絵)
年中
てぶくろ(ウクライナ民話 エウゲニー・M・ラチョフ 内田莉莎子 訳)
ぴょーん
どのはないちばんすきなはな
年長
ゆきむすめ(ロシア昔話 佐藤忠良 絵 内田莉莎子 再話)
てぶくろ
ぴょーん
 
年少組は色とものが興味をひきやすい形の本ばかり三つそろったから、食いつきがいいというかにぎやかだった。「ぴょーん」を最初にしたのは動きがあるものだから注意力があるうちにということで、ばったとかたつむり以外はよくわかったと思う。
そのかたつむりはナンセンスな面白さなのか、年長組の子からもう一回みせてとリクエストがきた。
 
「どのはないちばんすきなはな 」は今回はじめて採用、色とかたちがいい。描いたのはデザイナー/イラストレーターで、フィンランドのマリモッコ(陶器)で描いていたこともあるようで、大人がみても魅力があり惹きつけられる。
 
「てぶくろ」はクリスマス会で使ったが、大勢の中だったから落ち着いてみてもらおうと今回使った。これはひとりひとり感想をきいてみたいところ。
 
「ゆきむすめ」は「おおきなかぶ」と同様に佐藤忠良の絵が魅力、筋も年長組ならなんとかなのだが、ひとときの幸せをもたらして去っていくという世界各地にあるもの。
悲しみの美しさなんて大人の頭のなかの話であるかもしれないが。 

山本周五郎「月の松山」

2024-02-22 09:44:55 | 本と雑誌
月の松山
山本周五郎 著  新潮文庫
 
読書がとぎれてという時、山本周五郎(なにしろ多作)から何かをということになってきた。
これは著者(1903-1967)が1937年から1955年、代表的な長編などを書いていた時期の短編(40~50頁)十本で、舞台は戦国から戦後、主人公も武士から町人いろいろである。
 
掲載雑誌からもわかるが多くは講談調の語り口で楽に読んでいける。
もとになる話の種があったのか、または他の話からのヴァリエーションなのか、わからないがうまいものである。
 
一つ一つは「日本婦道記」の諸編に比べると勢いで書いたという感じはあるけれど、こういうものを沢山書くことが出来る(ようになった)作者だから「さぶ」などの長編も飽きずに読ませるのだろう。
 
中では「お美津簪(かんざし)」、「初蕾」あたりか。実はこの「初蕾」をとり上げた新聞記事(文化欄)でこの短編集を知った。その中の一つが「月の松山」、これは侍道の一つの典型で家と女性に対する思いがラストでどうなるかというもの。
 
山本原作の30分TVドラマシリーズがあるが、重なるところがある。