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メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

デイジー・ミラー

2024-02-03 10:13:42 | 本と雑誌
デイジー・ミラー
ヘンリー・ジエイムズ 著 小川高義 訳  新潮文庫
 
ヘンリー・ジェイムズ(1843-1916)の作品で知っていたのは「ねじの回転」くらいで、それも映画をTVでおぼろげに見た記憶があるだけで読んではいない。
このデイジー・ミラーは130頁ほどの中編で、気のきいた短編とも、ドラマチックな長編とはちょっとちがう。
 
主人公の青年はアメリカ生まれだがながらくヨーロッパですごしスイスのある町にいる伯母のところに来た。その地でデイジー・ミラーというきわめて美しい娘と出あう。デイジーは母親と弟と召使と一緒にアメリカから来たらしいが、青年はなんとか彼女と話す機会を作り、読んでいるとちょっとややこしいやり取りののち湖の向こうの城を一緒に訪ねるが、その後すぐにジュネーヴに予定どおり戻ってしまう。
 
このあたりのやりとりが時代、階級(?)なのか、そうではなく青年の引っ込み思案な性格なのかわからないが、デイジーはあまり相手にしてなかったのかと思うと、後にそうでもなかったらしい。
 
その二人の行き来が、小説としては淡泊にみえるが、人間どうしの出会いと、そこからどうなるか深まるかそうでもないか、現実にはこういう方が多いかもしれない。そのあたりの描写がうまい。
 
そののち青年はデイジーの一家とローマで出会うが、スイスでの印象とことなり彼女はそこで男性たちと目立つ付き合いを重ねている。しかし青年を見て無視するかというとそうでもなく、彼の心配を一応聞きながらも行動は変わらない。このあたりのやりとり、間にいるちょっと年輩の夫人も交えちょっと複雑、精妙でおもしろい。デイジーは青年を振ったわけではないが、現地の相手とローマの旧跡の中に心配されながら夜に行き、おそらくマラリア蚊にかかってその後死んでしまい埋葬される。
 
それではこの話なんだったの、と普通なら文句をいわれるところだろうが、そこはその過程の細部のやりとり描写が小説の醍醐味というと大げさだが、この作者の力量を示すものだろう。それだからこの多作家の作品の中で「デイジー・ミラー」が売れているのかもしれない。
こういう読書体験もわるくない。
 
訳者の小川高義は初めて見る名前だが、今の日本語としてバランスがよくとられていると思う。最近の新訳では多くを担当しているようだが、一部の飛んでる現代訳でないのもいい。


絵本読み聞かせ(2024年1月)

2024-01-25 14:47:23 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ(2024年1月)

年少
ぎゅぎゅぎゅー(駒形克己)
わたしの(三浦太郎)
ぶーぶーぶー(ここぜさち 文 わきさかかつじ 絵)
年中
でんしゃでいこう(間瀬なおかた)
あぶくたった(さいとうしのぶ)
もりのおふろ(西村敏雄)
年長
ゆきがふる(蜂飼耳 文 牧野千穂 絵)
でんしゃでいこう
もりのおふろ
 
毎年このあたりになると季節性というかここの時期でないとフィットしないかなというものを使うことが多い。
それはともかく、ある保育士さんから内容的に高度なものは注意力がある最初においたほうがいいと聞き、年少と年長でトライしてみた。

「ぎゅぎゅぎゅー」は大人がみると抽象的というか、色とかたちのリズミカルな進行だが、ここでそれぞれが自分の好み、性格を自由に出し体でも反応してくる。それは「わたしの」、「ぶーぶーぶー」にもつながっていく。
「ぶーぶーぶー」はさまざまな色とかたちの自動車とそれらの組み合わせ、うごき。わきさかかつじ(脇阪克二)はデザイナーで、マリメッコで仕事をしていたことがある。マリメッコ(フィンランド)は陶器で見覚えがあり、この絵本もそれに通じるものがある。

「でんしゃでいこう」は一度見たことがある子もいるから、そろそろこれを最後のページから反対に繰っていく「でんしゃでかえろう」として読んでみるのもいいかもしれない。
 
「あぶくたった」は数年前にもりあがって翌日も歌ってたときいたけれど、そうでもなくなってきたのはおしるこ作りがあまり一般的でなくなったきたからか。
 
「ゆきがふる」をじっくりきいてくれたのはうれしかった。
 
「もりのおふろ」は不思議な人気がある。おとなからみて下手うまとはいわないが、絵としてはなにかへんなもの、でも出てくる動物の表情、かけ声、寒い時期に今日はおふろでよくあったまって寝なさいね、と終わることが出来るのはいい。




デュマ・フィス「椿姫」

2024-01-17 15:37:22 | 本と雑誌
椿姫 : デュマ・フィス 著  新庄嘉章 訳 新潮文庫

椿姫といえばヴェルディのオペラで、この好きな作品は何度も見聞きしてきたが、原作を読むのは初めてである。
 
予想以上によく出来ていて、パリの華やかな社交界にも入っている娼婦マルグリットとうぶで純粋な青年アルマンの悲劇、悲恋の物語。恋敵、パトロン、家(父親)のからみは定番とはいえこの後こうでなくてはになったという面もあるだろう。それでいてくさくなっていくというより、気持ちよくひたれるところもある。
 
作者はあの「モンテクリスト伯」のアレクサンドル・デュマの息子(フィス)(1824-1895)で、私生児だそうである。そういうことも、、、などとは言うまい。1848年の作品。
そしてヴェルディのオペラであるが、これは台本のピアーヴェによって(?)この原作のいろんな場面要素を使って組みなおしあの構成にしたもので、筋立てはかなり違っているが、父親による説得(プロヴァンスの、、、というあれ)などは原作の相当場面をうまく使っているといえる。
 
そしてオペラのタイトルは「La Traviata(道をふみはずした女)」であるけれど、日本ではこのデュマ・フィス原作の「椿姫(La Dame Aux Camelias)」 を使っている。これは成功だろう。
 
ところでこの原作の構成だが、この世界にある程度親しい「わたし」がある女性(実は主人公マルグリット)の遺産整理のオークションに立ち会い、一冊の本(マノン・レスコー)を競り落としたのがきっかけで、女性の相手アルマンを知り、そこからこれまでの物語に入っていくという形になっている。私の乏しい読書経験でも19世紀あたりの小説にはこういう物語の中心から離れたひとからみた話というかたちがいくつかあるようだ。
  
メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」、エミリー・ブロンテ「嵐が丘」、近代だけどサマセット・モーム「月と六ペンス」もそうなのではないか。こういう書き方すべてがとはいわないが、読みだしてから物語への入りがうまくいくようにみえる。
 
ところでこのデュマ・フィスの小説を読んでみようと思ったのは、またしても荒川洋治「文庫の読書」である。魅力ある物語、読みたくさせる紹介だが、ここにはヴェルディの名前はまったくない。それなら本作だけ読んでもと思わせた。まいったである。



絵本読み聞かせ(2023年12月 クリスマス会)

2023-12-26 09:46:17 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ 2023年12月
12月は例年クリスマス会の一部で、サンタクロース登場の前座
 
さんかくサンタ(tupera tupera)
サンタさんのおとしもの(三浦太郎)
てぶくろ(ウクライナ民話)(エウゲニー・M・ラチョフ 、うちだりさこ 訳)
(おまけ)
しろくまちゃんのほっとけーき(わかやま けん)
 
いつもとちがって1歳から6歳まで全員一同に集まったところでやるので、ものによってはその年齢帯にフィットしないものもある。年長組はちょっと幼稚なもの(?)でもつきあってくれるが、年少組などなにかそれらしきものをやってるという受け取りかたでもやむをえない。うまく楽しんでくれていてたいしたもの、こっちも感謝である。

さんかくサンタがプレゼントをくばる、ということからはじめ、サンタさんがおとしたてぶくろをひろったおんなのこがサンタさんをさがしてとどける。さがすところのゆきがふるまちの絵がすばらしい。
そしてこの季節の定番「てぶくろ」、これで三題噺というわけではないが、セットにしてみた。
たいていサンタは少しおくれるので、みんなおなかが空いたかなとおまけの絵本。
 
上記三浦太郎の絵本は比較的あたらしいもので今回はじめて使った。おおぜいの前でやるには少し小さく、後ろの方の子たちによく見えたかどうか。大判を出してくれるといい。
三浦太郎のものは小さい版が多く、五味太郎のものは大き目、ただそのなかの人や動物は小さい。難しいものである。
 
ところで、はじめて参加した年には私がサンタという案もでたけれど毎月来ていて顔がわれているからやはりよしたほうがいいだろう、ということで普段は来園しない方に頼んだそうだ。


絵本読み聞かせ(2023年11月)

2023-11-30 16:41:44 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ(2023年11月)
 
年少
だるまさんと(かがくい ひろし)
いやだいやだ(せな けいこ)
でんしゃがきました(三浦太郎)
年中
だるまさんと
でんしゃがきました
ぐりとぐら(中川李枝子 大村百合子)
年長
ぐりとぐら
もりのなか(マリー・ホール・エッツ まさき るりこ 訳)
バスがきた(五味太郎)
 
「でんしゃがきました」と「バスがきた」は今回が初めて、そのほかは昨年ほぼこの時期に使ったもの。
年少組、年長組は何か月か幼い子が多かったと思う。この時期これで反応は少しちがってくる。
 
「だるまさんと」はシリーズ三作の最後で、ちょっとふざけすぎという感もあるところ、年少にはわかりにくかったか、年中だとじゅうぶん反応してくれたが。
 
「でんしゃがきました」は食べ物電車がつぎつぎとという趣向だが、絵は豪華でたのしいものの、てんこもりでくどい感じはある。それでも子供はなんとかという場合もあるのだが。
 
「ぐりとぐら」は意外にも今回あんまり反応がなかった。有名でよく知っているものでもよろこぶ場合もあるのだが。
 
モノクロで絵が地味な割に、集中してくれたのが「もりのなか」。男の子が森に入っていって、いろんな動物たちが「ついていっていい?」とききながらあとにつづいていく、というシンプルなもの。絵本と子供の世界のふしぎといえばそう。
 
「バスがきた」は背景に対しいろんなところでバスを降りる人たちがかなり小さいので心配したが、それはなく、頁の都度考えたのしんで反応していたようだ。
 
このところNHKで五味太郎の特集が数回あり、あらためて絵本への志向がほかのひととちがうなと思い今回これを使ってみたが、作者がいうおもしろさが第一ということ、これたいへんなんだが、あらためて感じたことであった。