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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ウイルスガード

2005-12-14 13:39:54 | 日記
 

エッセイ「心のすき間が埋められて」の前半を更新したところで一休みし、今日は久々に日記を書きます。後半はのちほど更新します。

 数日前、パソコンにインストールしているウイルスガードの機能がおかしくなりました。ウイルスは日々新しい物が出てきますから、セキュリティーの方もいつも最新の状態にしていなければなりません。

 ところがアップデート(自動更新)ができなくなってしまったのです。手動でもできません。いつも93%で止まってしまい、エラーメッセージが出ます。
 パソコンで困ったときはいつも娘か息子にお願いしていました。(主人はパソコンをやりません)でも、娘はこの春からひとり暮らしを始めていて、息子は就職したので忙しく、毎日帰りが遅いのです。

 昨日、息子の仕事がが休みだったので頼むと、「週に1度の休みで、やりたいことがいっぱいあるからだめ。自分でやってみればいいんだよ。でも、お母さんはすぐ壊すから、バックアップはとっておいた方がいいよ」と言われました。
以前、あちこちいじっていて大事なファイルを削除してしまい、パソコンを初期化したことがあったので……。

 どうしたら良いのかウイルスガードのサイトで調べてみると、解決方法がずらーっと書いてあります。印刷して9枚にもなりました。それもわからない用語がたくさん。ポップアップブロック機能? COOKIEに保存ってどういうこと? 真っ青になりながらも、なんとかそれをひとつずつ行って、再アップデートを試みると、また93%で止まってしまいます。

 仕方なく、サポートセンターにメールで問い合わせました。しばらくして、解決法を示したメールが送られてきました。今あるものを完全に削除して再インストールしてくださいということでした。そしてそのやり方が書いてあるのですが、とても難しそうです。でも、自分でやるしかないと思って、一生懸命祈ってからやってみました。1時間半かかって成功しました。パソコンも壊れないですんだのです!!

 悪戦苦闘しているとき、「お前は、パソコンにウイルスが入らないようにと心配してガードを固めているが、お前の心のガードはどうなのか?」という問いかけが心にありました。
 
 いつもきれいな心でいたいと願うのに、ふとした瞬間、人のことをねたんだり、疎ましく思ったりすることがあり、放っておくと、それはコンピューターウイルスのように心の中で増えていきます。
 
 それこそ、警戒しないといけないものです。ウイルス(罪)のない状態にはできないので、入ってきてもすぐブロックできるように心のウイルスガードも強化しなくてはと思いました。
 
 白血球値の低いわたしは、風邪のウイルスにも気をつけなければいけせんが……。


心のすき間が埋められて(その4)

2005-12-13 11:17:04 | エッセイ

 
三浦綾子の小説「積み木の箱」を次に読んだとき、ハンマーで頭をたたかれた気持ちになりました。教師である主人公の悠二は、正しいと思って一郎を指導してきました。でも、それは一郎の心を傷つけるものでした。「真に自分を支えるものが、自分自身のなかにはひとつもないことに気づいた。(略)この弱い自分を導いてくれる確固とした真の教師が欲しい。初めて悠二はそう思った」というのを読んで、(わたしは間違っていた)と思ったのです。
いままで、母親や友達とよく議論をしましたが、口では負かされても(自分は正しい)といつも思っていました。
同僚と園長や先輩の悪口をいっていたけれど、もしかして自分の方が悪いのではないかと思えてきました。罪に気づいたのです。
 そして日毎に苦しくなり、このままではいけない。教会にいかなくてはという思いがつのってきました。

 神戸は教会の多い街です。わたしの住んでいた地区に3つのプロテスタント教会がありましたが、そこへは行かず、地図を見て電車でひと駅ほど向こうの教会へひとりで行きました。雨の降る6月のことでした。
暖かく迎えられ、ぎすぎすした人間関係の中で疲れていた心が癒されるような気がしました。夏に1泊でもたれた修養会にも参加しました。クリスチャンの人たちは、みんな明るく輝いて見えました。わたしもあの人たちのようになりたいと思いました。
その年の12月に牧師先生から「洗礼を受けませんか」と言われました。「私、受けられるんですか?」と驚いて尋ねると、先生は黙ってうなずかれました。
 洗礼を受けたら、イエス様の十字架の血によって、罪を赦していただける。新しく生まれ変われる。そのとき、わたしが知っていたのはそのふたつだけでした。自分の心がみにくいことに気づいていたので、洗礼を受けたいと心から思いました。
 洗礼を受けたら、教会の人たちのようになれる。自分が変わる。自分のわがままな性格が嫌でたまらなかったので、洗礼を受けて変わりたいと思いました。
 母に相談すると、反対しました。結婚できなくなるというのが大きな理由のようでした。でも、私は親に指図されるのはもういやだと思っていました。
「自分のことだから。自分でもう決めたのだから、洗礼受けるよ」と、宣言すると、母はあっさりとあきらめ、「受けてもいいけれど、お父さんには絶対に言わないで」と、約束させられました。
 洗礼のための学びもなく、証しをすることもなく、教会に通い始めて半年で父親に内緒で洗礼を受けました。22歳の時でした。


心のすき間が埋められて(その3)

2005-12-12 11:48:18 | エッセイ


わたしにとって中学2年の1年間は、10年にも感じられるつらい時期でした。劣等感に押しつぶされそうになってもいました。自分の存在価値がわからず、生まれてきたことをのろい、自分をいじめる人、馬鹿にする人たちを恨み、自分自身を憎みました。

「人はなんのために生きるのか」その答えを知りたくて、色々な人に質問しますが、明快な答えを得ることができませんでした。もし、私が臆病でなければ、自殺していたと思います。毎日死にたいと思っていたのですから。

 高校に入ると友達も与えられ、喘息も漢方薬でだんだん治ってきました。劣等感も克服したと自分では思っていたのですが、優越感に変わっただけにすぎず、とても高慢になっていました。
 子どもが好きだったので、幼稚園の先生をめざして保育科の短大を受験しました。ミッションスクールとは知らずに受験し、補欠の十番でぎりぎり合格したのです。短大にいる間は、キリスト教を嫌い、礼拝の時間はよくさぼっていました。
 短大のときは、勉強も部活もがむしゃらに頑張りました。努力こそ尊いことだと思っていました。そのため、いい成績で卒業しましたが、幼稚園に勤めると、学校で学んだことのほとんどが役に立たないことに気づきました。学校の成績が良くても子どもたちの前では何にもならないのです。自分の無力さに愕然としました。 
 また、人間関係でつまずきました。教会付属ではない私立幼稚園に勤めたのですが、教師がお互いに張り合い、人間関係がぎすぎすしていました。
 園からの帰りに毎日、同僚と喫茶店で愚痴や悪口をいっていました。
 
 そのころ、わたしは母親に反発していました。わたしは決断力が乏しく、何でもてきぱきとやることができません。母はそんなわたしを黙って見ていることができず、指図し、わたしの代わりに決めてしまうことがよくありました。それがとても嫌でした。
 母は仕事のこと、友人関係のことなど根ほり葉ほり聞いてきます。細かいことを詮索されるのもいやで、なるたけ会話の時間を持たないようにしようとしていました。
 
 同僚と別れた後もあちこち寄り道して帰ることが多くなりました。寄り道といっても、街で遊ぶこともできず、ほとんどは本屋で立ち読みをして時間をつぶしました。
 その後、ひとりで食堂に入って夕食を食べました。家では母が夕飯を用意して待っているのに、家で食べたくなかったのです。外で食べながら急にみじめになって、何で自分はこんなことをしているんだろうと思いました。
 
 幼稚園で子どもたちに読み聞かせをする童話の本を探していたとき、三浦綾子「あさっての風」という文庫本が目にとまりました。壺井栄の童話で「あしたの風」というのがあって、その童話がとても好きでした。「あさっての風」も童話だと勘違いして買いました。三浦綾子という作家のことは、その頃は知りませんでした。

心のすき間が埋められて(その2)

2005-12-10 15:33:09 | エッセイ


 また、そのころ喘息の発作をよく起こしました。3才の時から小児喘息でしたが、中学生になる頃には治るといわれていたのに、神戸に引っ越してから、ますますひどい発作を起こすようになっていました。
 
 今は、喘息はきちっと予防をすればひどくならずにすみ、がまんをしてはいけないとされていますが、当時はひたすらがまんすることしかできませんでした。
 呼吸が苦しくて横になることもできず、座椅子にもたれて肩で息をしながら一晩過ごしたことがずいぶんありました。がまんしきれず夜中に救急外来にいき、注射を打ってもらったこともしばしばでした。
 
 このままなら、一生治らないかもしれない。就職も結婚もできない。という不安が起こってきました。病院の帰り、夜の坂道で歩けなくなり、道をはって歩いたこともありました。
 そのとき、こんなみじめで苦しい思いをしながらどうして生きていかなくてはならないのかと思いました。
 
 私は、サエちゃんという架空の友達を心の中で作って、1日のほとんどを空想の世界で過ごしていました。現実逃避です。そうでもしなければ、つらくて耐えられない日々でした。先生からは「死んだ魚の目をしている」と、いわれました。実際、生きているのに死んでいるような者でした。
 
 わたしは架空の友人、サエちゃんを神様のように思い、困ったときは「サエちゃん助けて」と叫んでいました。でも、本当に大変なときはサエちゃんはでてきてくれませんでした。
 サエちゃんは、心のすき間を埋めるものではありませんでした。

心のすき間が埋められて(その1)

2005-12-09 11:29:22 | エッセイ
 「日記に「空しさ」について書きましたので、それに関連した内容のエッセイを紹介します。これは、5.6年前に書いたものです。
なぜわたしがクリスチャンになったのか(救いのあかし)を書きしるしています。

 


 わたしは、仏壇と神棚のある家で育ちました。祖母は毎日仏壇に手を合わせており、父は、毎月1日になると神棚を掃除し水を上げ、拝んでいました。母は「人間、死んだら終わり。死んだ後は何にもないのよ」と、口癖のようにいっていました。

母は、わたしが生まれる2年ほど前に長男を生後5日で亡くしていました。わたしは2才のとき、肺炎で生死の境をさまよったこともあったので、とても過保護に育てられました。

人前ではおとなしくいい子だったのですが、家ではわがままでよく癇癪を起こしました。そのくせ非常にこわがりで、雷や地震、犬、小さな虫にいたるまで恐怖を感じ、いつもびくびくしていました。
臆病な性格のため、人前で何かをしなくてはならないときや、困ったときは「神様、仏様!」と心の中でいつも唱えていました。でも、中学生の頃、仏様は死んだ人がなると聞いていたけれど、神様ってどういうものなんだろう? と疑問を感じました。

父はよく、わたしが悪いことをするとバチが当たるからやめなさいといってしかりました。神様は、バチを当てる恐ろしい神様というイメージがありました。また、祖母はどんな物にも神が宿ると言って、八百万(やおよろず)の神様がいると話しました。

当時は、なぜか子ども部屋に仏壇と神棚がありました。あるとき急に思い立って、部屋の模様替えをしました。たんすを神棚の下に移動してその上に仏壇をのせていると、父と母が来て、ひどくしかりました。
「神棚の下に仏壇を置いたらだめだ。神様と仏様がけんかするから」
と、父が言いました。
 神様と仏様がけんかをする…… どういうこと? 神様と仏様は仲が悪いんだろうか……。 「神様、仏様」と唱えては、まずいんだろうか……。どっちを唱えた方がききめがあるの?
 わたしは疑問に感じると、どこまでも考えてしまう性格でした。台にのぼって神棚の中をのぞいてみました。紙のお札のような物しか入っていません。仏壇ものぞくと、小さな仏像と位牌があるだけです。こんな物には頼れないと思いました。
 何も信じられませんでした。でも、信じられる確かなもの。守ってくれるものを心から求めていました。
 
中学1年の2学期に父親の転勤で、東京から神戸に引っ越しました。方言の違いもあって、いじめられました。中2のときは、ひとりも友達がいなくて、1年間全くの孤立状態でした。
 孤独の中にあって、心の中にすき間があり、そこにいつも冷たい風がふいているような気がしていました。すき間を埋める物を求めていました。

 

手術記念日

2005-12-08 16:33:36 | 乳癌

 今日、12月8日は、真珠湾攻撃をきっかけにして太平洋戦争が始まった日です。また、ジョン・レノンの命日でもあります。

 わたしにとって、この日は手術記念日です。ちょうど2年前の今日、乳癌の手術を受けたのでした。アレルギー体質なので、麻酔があわないかもしれないという心配がありました。麻酔の注射を打たれるときは、このまま麻酔からさめないかもしれないと死を覚悟した一瞬でした。

 5時間後に気づいたときは、手術が無事終わっていました。クリスマス前の忙しい時期だったのに大勢の友人がお見舞いに来てくれました。
 
 病院ではクリスマス会をやってくださり、看護師たちによるキャンドルサービスがあり、カードやプレゼント(膝掛け)をいただきました。12月23日に退院したのですが、その翌日の夜、教会からキャロリング隊がわたしの住むマンションの部屋の下まで来て、素晴らしい賛美を聞かせてくれました。このときの感動は一生忘れないでしょう。

 現在わたしは健康が支えられ、今日は教会の家庭集会クリスマス会に出席でき、今は病院でいただいた膝掛けをかけてパソコンの前にすわっています。再発転移の心配、副作用による白血球減少の心配などありますが、心は平安です。そして、乳癌になったことを感謝しています。


クリスマスの本当の意味

2005-12-07 17:14:22 | 日記


「今年のクリスマスの予定は?」というお題があったのでそれにちなんで書きます。
 今年はちょうどクリスマスの25日が日曜日です。クリスマスは、もちろん教会で礼拝をします。いつも通り、教会学校の奉仕をしてから礼拝に出席するでしょう。
 欧米だとクリスマスの時だけは教会は人で一杯になるそうです。普段教会に通ってない人でも、クリスマスには正装して教会へ出かけていく人が多いと聞きます。日本では、教会で行われるクリスマスコンサートなどは、普段教会に来てない人もたくさん集まってきますが、礼拝はそれほどではありません。

昨日買い物をしていたら「クリスマスまでに彼氏ができますように」と書いた短冊が売っているのをみつけました。クリスマス・イブは恋人と過ごしたいという夢を持つのは、今も昔も同じなのですね。昔(20代のころ)はクリスマスの意味もわからずに、ただはなやいだ気持ちになったり、逆に寂しさを感じたりしていました。

 子供の頃は、サンタクロースからのプレゼントを心待ちにしていました。クリスマスにはプレゼントをもらうのが当然だと考えていました。

 でも、プレゼントはすでにいただいているのです。神さまが、わたしたちにイエスさまという贈り物をしてくださいました。クリスマスはイエス・キリストの誕生日です。イエスさまは、宮殿ではなく馬小屋で生まれ、ふかふかのベッドではなく、飼い葉桶に寝かされました。最も貧しいところに来て下さいました。このことを知ったとき、クリスマスに恋人がいなくても、きらびやかな飾りや、ケーキやプレゼントがなくてもいいのだと思いました。

 クリスマスは、イエスさまを地上におくってくださった神さまに有り難うという感謝の気持ちを持って、静かにお祝いしたいと思います。


なんのために生きるのか?

2005-12-06 13:11:15 | 教会

 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。(ヨハネ1:1-3)

*「ことば」「この方」はイエス・キリストのことです。

先週の祈祷会でこの聖書の箇所を読んで感動して涙が溢れました。そのときは、なぜ感動したのか自分でもよくわかりませんでした。
イエスは、神のことばです。イエスは世界が造られる前からおられたということになります。父なる神とともにイエスがおられたのです。そして、今も後(地球が滅びた後も)もおられます。つまり、永遠なる存在です。

 永遠ということを思うとき、わたしの胸は熱くなるのです。わたしが長い間さすらいの旅人のように何かを求めてさまよっていましたが、その答えが「永遠」という言葉の中にあったのです。イエス・キリストを仰ぐとき、永遠の命がいただける。このことを信じたとき、心の空しさは消えてゆきました。

 わたしが20代前半のころ、「銀河鉄道999」のアニメ映画が上映されました。映画館は一杯で、立ち見で見たことを覚えています。確か主人公の鉄郎は永遠の命を求めて旅をするのですよね。機械の体に変えて永遠に生きようとする人々。あこがれのメーテルも機械の体でした。しかし、永遠に生きられることになっても、メーテルはどこか淋しそうで、空しさをかかえている感じでした。イエスさまの下さる永遠の命は、それとは違って喜びに満ちたものです。

 何のために生きるのか? その答えがわからなくて空しさを感じていた日々……。「人は自分の生きる意味を知って生きるために造られたのです。そして、これは神につながることによって、初めて可能になります」と教えていただきました。わたしは、自分の生きる意味を神さまによって見いだせた感動で胸がいっぱいです。


神さまとイエス・キリスト

2005-12-05 11:48:43 | 聖書から

 
神とイエスキリストの関係がわからないと言われる方がいます。キリストは神のひとり子だと説明すると、それならお母さんは誰? と聞かれます。マリヤだと答えると、人間のマリヤと神さまが結婚したのか? イエスは不倫の子なのか? マリヤの夫、ヨセフはよく許したものだと言った人がいます。神さまを人間的レベルで考えるとこんなふうになってしまいますね。

 でも、ちょっと待って下さい。神さまは、天と地を造ったお方です。神さまが闇の中で「光よあれ」と言っただけで光ができたのです。神さまは、何もないところから宇宙を造り、地球を造り、動植物、人間も造られました。
 神さまは、処女であるマリヤのお腹に赤子を宿らせることも可能です。神さまだけが可能なのですね。

 それなら、なぜ神さまはイエスを人間の赤ちゃんとして誕生させたのでしょうか? まず第一の目的は、ご自分がどういうものか示すためです。(神さまは人間の目には見えませんからね)イエス・キリストを通してわたしたちが神さまを知るためです。神=イエス・キリストと考えていいわけです。

 イエスさまの弟子のピリポが
「わたしたちに父をみせてください。そうすれば満足します
(父というのは神さまのこと)」と言ったとき、イエスさまは、
「わたしを見た者は父を見たのです」(ヨハネ14:9)
と答えておられます。

なぜ空しいのか?

2005-12-03 10:54:00 | 社会

 
小学1年生の少女が殺される事件がたて続けに起きました。とても悲しいです。大切に育ててきた子供の命が突然奪われてしまったご両親の悲しみは、どれくらい深いことか……。どうかこのような事件が2度と起こりませんように祈ります。

 世の中はめまぐるしく色々な物が変化していきます。地震に強いと思い安心して買ったマンションが、危険な建物であることがわかったり、この方法がいいと信じてやっていたダイエット方が間違っているとわかったり……。流行も価値観も変化していきます。

 最近テレビでは様々なクイズ番組が放映されていますが、見ていると色々な知識が身に着いたような気になります。また、インターネットの普及で、あふれるばかりの情報が簡単に手に入りますが、本当に知りたいことはテレビやネットで見つけることができません。

 心の空しさを何とか埋めたくてネットにはまったり、携帯のメールをやり続けたり、ゲームにはまったり……さすらいの旅人のような気持ちで毎日を過ごしている人が多いのではないでしょうか。

 なぜ空しいのでしょう? フランスの学者パスカルは、「人の心には神の形をした空洞がある。その空洞を埋めることができるのは神だけだ」と言っています。


なにを探しているのか

2005-12-02 12:18:21 | 日記

 
10代のころ、わたしはかなり暗い性格でした。刺繍やパッチワークなどの手芸が趣味でしたが、(今は全くやりません。針を持つことすらまれです)一生懸命作ってして完成したとき、嬉しいというより空しさを感じました。なぜなら、何十年かたてば色あせて捨てられてしまうと思ったからです。新築の建物を見ると、百年もたてば古くなって壊されてしまうのだなあ……。新しい服を買っても、いずれはボロとして捨てられるのだと思うのでした。
そして何よりも空しいと感じたのは、人間はどんな人でも年をとって死んでゆくものだという事実があるからでした。

 どんな英雄でも、どんな偉業を成した人でも、長生きしてもせいぜい100年余りしか生きられない。すべては無になってしまうのなら、努力する意味などあるのだろうか?生きる意味はあるのだろうか?
 
 そんなことを考えて、心の中にはいつも冷たい風がふいていました。
みんな年老いていずれは死ぬ。日々一歩ずつ死に向かっているというのに…なぜみんな明るく笑ったり、はしゃいだりできるんだろう?と不思議でなりませんでした。
 
 死のことを口にすると、父は怒りました。「死はずうっと先のこと。そんなこと考えずに何でも一生懸命頑張りなさい。頑張ればきっといいことがある」と言われたのを覚えています。

 それからは、死ということを意識的に考えないようにしました。でもふっと空しくなるのです。何かを求めているのにそれが何かわからない。目的地を見失った旅人のような気持ちでした。

なにを探しているのか
なにを求めなにを見たいのか
結局 変わらないものとの出会いではないのか

星野富弘さんの詩です。

 変わらないものとは何でしょう? それは、天と地を造られた神さまのことです。神さまは昔も今もとこしえまで変わりません。
星野富弘さんは、体育の先生でした。体操の授業中事故にあい、首から下が動かなくなってしまいました。苦しみの中からイエス・キリストを求め、信じます。星野さんの口に筆をくわえて描いた絵と詩は、多くの人を励まし、力づけてくれています。


乳癌になって気づいたこと

2005-12-01 11:44:37 | 乳癌


乳癌になる前と後では感じ方、価値観、ものの見方が変わりました。いままで大事だと思っていたものが価値のないものに思われてきました。
いままでずいぶん無意味なことをしてきたものです。
若いとかふけているといわれて一喜一憂したり、太った、痩せたで心を騒がせていましたが、もし残りの命が短いのだとしたら、そんなたわいのないことで悩んでいる暇はありません。

子供の成績、進路のことで悩んでいたことも無駄なことでした。わたしが今、召されたとしても、二人の子供たちはしっかりと生きていける。大丈夫。それより、子供たちに大切なことを伝えていこうと思っています。
乳癌になってから、ポジティブになりました。聖書の学び会のとき、今までは疑問に思うことがあってもなかなか質問できないでいましたが、いま聞かないと一生聞く機会がないかもしれないと思って質問するようになりました。

また乳癌になって涙もろくなりました。聖書を読むとき、祈るとき、賛美するとき、感動して涙が出ます。だから礼拝のときは大変です。ハンカチとティッシュは手放せません。
癌になって、当たり前のことですが、人は必ず死ぬのだということを実感しました。同じような日々が繰り返されているけれど、必ず終わりがあるということ。そして過ぎ去った日は戻ってこないこと。

生から死を見るのではなく、死から生をみると一日が、いっときいっときが、とほうもなく尊いものに感じられます。
それは神様から与えられた『生かされている時間』だからです。
死を身近に感じるようになって、永遠への思いが強くなりました。乳癌になる前は、目先のことばかり考えていて、永遠へ思いをはせることが少なかったように思います。

再臨(イエスさまが再び地上に来て下さること)のことも、ずうっと先のことに感じていました。でも、今は再臨を待ち望み、永遠の命がいただけることに希望をいだいています。
先日、本を読んでいて、永遠という神様の視点で物をみるということを教えられました。永遠の視点で物をみると、ほとんどの悩み、問題はなくなると書いてありました。

たしかに、永遠の視点からみれば、地上での命が2.30年長くても短くても同じです。
地上での命の長さがどれくらいかを考えるより、一日、一日生かされている日々を大切にして、与えられている時間を無駄にしないように使っていきたいと思います。


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